第七十九話 ありがとう
「おい、ナコ。その黒竜は……」
私の問いかけに、ナコは笑顔で振り向いた。涙でぐちゃぐちゃの顔のまま。
「海です」
隣でダルシオンが安堵するのが分かった。
その時、マスターが苦しそうな声を発した。
「マスター! しっかりしてください!」
ダルシオンが焦ったように声をかける。
マスターは、息もしづらい様子でナコに抱かれている海に視線を向けた。
「海、俺を消せ。そうすれば白竜も消える。それがお前の役目だろ」
海の瞳が揺れた。だが、それは戸惑いではない。覚悟を固める揺れだ。
海はナコの手から離れて、マスターの側に降り立った。
キュイキュイ
海が鳴くと、ナコが遅れて通訳をしてくれた。
「黒竜は自ら終わりを望みました。白竜の望みを叶えてくれと。白竜を留めておくことはできませんか?」
マスターは、ナコの通訳を待ってから答えた。
「白竜は黒竜がいなくなったことで不安定だ。いつ俺と切り替わるかわからん。俺がこのまま死んでも白竜は死ねない。黒竜の力でないと死ねないんだ」
マスターは間をおいて、続けた。
「最後まで白竜と一緒にいてやりたい」
ダルシオンの悔しそうな呟きを私だけが聞いた。
「情……ですか……」
私は拳を強く握った。やりきれない気持ちが私を支配した。
マスターの弱点は『情』か……。
キュイキュイ
「わかりました、って言ってます」
ナコは通訳をすると、私らに顔を向けた。
「離れましょう。黒竜の力に巻き込まれちゃいます」
私は動こうとしないダルシオンを無理やり引きずって離れた。
「ペーター、お前もこっち来い!」
「は、はい!」
ペーターが走ってくる。その後ろで、ナコはマスターに何か言われて魔法をかけた。そして涙を拭いながら走ってきた。
「ナコ、何したんだ?」
「眠りの魔法です。白竜と話すには眠る必要があるらしくて」
そう言うと、ナコは赤くなった目をダルシオンに向けた。ダルシオンは黙ったままマスターを見つめている。
私たちは……何も言わなかった。
◇
黒竜が消えてしまった。その事実だけが我を包んでいる。
結局我はこの人間の思い通りになってしまった。一度だって勝てなかった。主導権を握ることすらままならなかった。選ぶ人間を間違えたのだろうか……。
「白竜」
あの人間の声が聞こえる。
「長い付き合いだが、お前とは何も分かり合えなかったな」
『元々、人間と我が分かり合うことなどできなかったのだ。結局最後まで我を閉じ込めていたくせに』
「……すまんな」
珍しくしおらしい声だった。
『海という人間……あれは我々と違って黒竜のことを理解していた』
「そうだな」
『最後は黒竜そのものとなった。我の知る黒竜を消して。なんと傲慢な……』
「そうだな」
先程からそれしか言わないこの人間に苛立った。
『そなたでなければ、と何度思ったことか』
「契約を先に持ち掛けたのはお前だろ? 俺に八つ当たりするな」
言い返せない自分に苛立った。
「白竜」
『なんだ』
「この際だから言っておく」
黙ってその先を待つ。
「ありがとう」
その言葉になぜか昔のことを思い出した。
我が白竜としてこの世界を浄化していた時のこと。この世界の命と関わっていた時のこと。命たちがいつも口にしていた言葉だった。
その時、黒竜の気配を感じた。
右を向いても左を向いても黒竜はいない。なのに懐かしさを感じた。
『黒竜がいるのか? そなたも感じるだろう?』
あの人間は答えない。いや、もう答えられないのだろうか。
我は不安になった。突然の孤独。
あぁそうか……。我はいつも寂しかったのだ。
それを自覚した途端、我の心は穏やかになった。
黒竜が隣にいる気がする。生まれたばかりの時のように。
『ありがとう』
言葉にできないこの気持ちを感じていただけたら幸いです。
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