第六十三話 魔族
違和感を覚えて自分の姿を鏡に写した。だが特に変わったことはない。不思議に思いつつも身なりを整えて扉を開けた。
そこにはかなこ。そしてその腕には小さな黒い塊を抱えている。近づいて声をかけようとして、ピタリと止まった。かなこの腕の中には小さな黒竜がいる。かなこはその黒竜を『海』と呼んで話している。黒竜もそれに答えてキュイキュイと鳴いている。
私は突然足に力が入らなくなり、その場に崩れるように倒れた。足を見るとヒビが入っている。手にもヒビ。大きな不安に包まれて必死にかなこを呼んだ。だが彼女は振り向きもしない。黒竜と楽しそうに話している。足が、手が、体がどんどん崩れていく。そして私の視界にもヒビが入り…………ゴロンと視界が床に転がった。
「かなこっ!!」
叫ぶように助けを求めたら、そこには薄暗い石の部屋が拡がっていた。私は荒くなった息を整えながら額の汗を拭った。
「夢……か…………。」
自分の手を見るとヒビはなかった。そして夢だと気づいて安堵のため息をついた。
あの後、床に転がったまま寝てしまったようだ。こんな硬くて冷たい床に寝ていたから体中が痛い。しかも嫌な夢を見て気分は最悪だ。
起き上がって部屋のドアを開け、廊下の様子を窺った。しーんと静まり返り、人の気配はない。
私は静かに廊下に出て、アヤの部屋と反対方向に歩き出した。できるだけ音を立てずに。
薄暗い廊下を進むと突き当たりに大きな扉が見えた。魔王の部屋の扉とはまた違った雰囲気だ。
そっと扉に手をかけて開けようとしたら肩をポンっと叩かれた。
ビクリとして恐る恐る振り向くと、優しそうな笑みを浮かべた男が立っていた。
「やぁ。君は誰かな?見たことないね。しかも…………人間?」
頭には魔族のツノが生えてる。歳は私と同じくらいだけど、妙に不気味な雰囲気を漂わせている。黙っている私に笑顔を向けながら探るように私を見ている。
「もしかして…………君は例の子かな?アヤに聞いたよ。魔王様が変な子をうちに連れてきたってね。」
アヤが話したってことは黒竜ってこともバレてる?どうしよう。素直に挨拶すべきか?
強ばった顔のまま思考をフル回転させていると、その人はニコリとして、入ろうとしていた部屋の扉を開けた。
「さぁどうぞ。ここは談話室だ。」
扉の隙間から光が溢れ出て来て、中の様子が目に入ってきた。
与えられた部屋とは違って、ここは広く、ソファや机などがあり、装飾品も飾られている。いわゆる普通の部屋。薄暗くて殺風景なイメージが覆された。
「ちょうど誰もいないね。せっかくだから僕の話し相手になってくれないかい?」
私はこの人が誰なのかも分からない。でもこの人の誘いに乗ることにした。
彼は私をソファに座らせて、お茶を入れてくれた。まるで客人扱いだ。
「どうぞ。」
「ありがとう…………ございます。」
ソーサーごと受け取る時に小さな声でお礼を言った。彼はニコリと微笑んで向かい側に座った。そしてカップに口をつけて私を見つめてきた。
「アヤは君のこと大して教えてくれなかったんだ。変わったやつを連れてきた。魔王様の大切な客人だ。手を出すな。それだけだ。だから君のことは全く知らない。僕はリク。四天王の1人だよ。君は?」
四天王の1人。リク。確か同盟組む時に出てきた人って聞いたような…………。
「私は…………ハナ。」
「へぇ。ハナちゃんか。よろしくね。」
私は本名を名乗らなかった。『海』という名は知られてるかもしれない。それに偽名なら、名前を使った魔法も効かないからだ。
「君は人間なのかな?魔族のツノもないし。不思議な子だね。どこから来たの?」
「えっと…………南の方。」
火山はここから南の方だ。間違ってはいない。
「ふーん。」
リクはそう言うとお茶を口に運んだ。
「あの。他の四天王はどこに?」
「アヤは魔王様のところかな?ナギはどこかで暴れてると思うよ。シュウはさっきまで剣を振ってたから、多分そろそろここに来ると思う。四天王に会いたいの?」
私の問いに答えたと思ったら、興味津々といった様子で聞いてきた。
そりゃ会いたい。まともに顔も知らないのだ。四天王にならなきゃいけないのに四天王を知らないなんて冗談じゃない。
私はリクに頷いた。
するとリクは嬉しそうな顔をしてとんでもないことを言い出した。
「君、四天王になりたいの?だったら手伝うよ。誰を蹴落そうか。」
「えっ?」
リクはニコニコとしたまま私の疑問に答えるように話し出した。
「僕はね。自分の計算通りに事が進むのが好きなんだ。頭の中でチェスの駒を動かすみたいにね。だから君がやりたいことを実現できたらそれは僕にとっても快感なんだよ。今はナギがやろうとしてることを実現させようとしてる。どう?僕に任せてみない?」
開いた口が塞がらなかった。
リクは魔王と同じようなことを言っていたからだ。自分の好きなことのためなら、四天王を蹴落とすのもいとわない……と。
「蹴落とすのがナギって人でも構わないと?」
リクは満面の笑みで頷いた。
「構わないよ。魔族なんだ。みんなそうさ。自分がやりたいことをする。そういう生き物なんだよ。」
魔族みんながそういう考えってこと?
返事に困っていると、リクは首を傾げて聞いてきた。
「ハナちゃん。もしかして魔族のこと知らない?」
私は恐る恐る頷いた。
「そっかー。じゃあ教えてあげるね。」
リクは椅子に深く座って背もたれに体重をかけながらゆっくり話し出した。
魔族は全てのステータス値が高い。そして好戦的になり、自分の快感を求める傾向がある。
リクは計算通りに事が進むこと。
ナギは自分の力を誇示して、恐怖に怯えた顔を見るのが好き。
シュウは剣の腕で強い相手と戦うのが好き。ナギと違うのは戦闘そのものが好きというところ。
そしてアヤは、魔王に従属すること。
約50年前、マスターによる結界がなくなった時に、人間と戦い、魔王は力の半分を失った。人間の魔術師によって力を奪われたのだ。
そして8年前、四天王だけでフェルス王国に侵攻した際、奪われた魔王の力によって魔族は痛手を食らった。それからは、小競り合いはあったものの、大きな衝突はなくなった。
そしてついにナギが痺れを切らせて、フェルス王国への侵攻を決断した。西大陸の魔族と手を組んで、力と数で一気に潰す作戦だ。リクはその参謀として、色々と戦略を巡らせている。
西大陸にも魔王がいる。その魔王は東大陸の魔王と違い、世界の征服を望んでいる。そのために緑竜を食べて力をつけた。そして西大陸はほとんどが魔族のものとなった。
そこへリクがある条件を提示して共闘をすることになった。
『人間を滅ぼし、白竜を殺したら世界は全て西大陸の魔王のもの。ただし、東大陸の魔王は殺さないこと。そして黒竜は東大陸のもの。』
西大陸の魔王はその条件を呑んだ。リクの思惑も知らずに。
黒竜の力を手にしたら西大陸の魔族が束になっても敵わない。白竜さえ消えれば、東大陸の魔族に怖いものはない。世界征服を横取りしようというわけだ。
私はリクの話を聞いて、湧き上がる恐怖をひたすら隠した。自分が黒竜だとバレたらどうなるか。四天王の誰かにバレたらどうなるか。
幸いなことに知ってるのは魔王とアヤだけ。魔王は言う気がなさそうだった。あとはアヤさえ口封じできれば問題ない。
「で?四天王になりたいの?」
リクは私を試すような目で聞いてきた。
部屋から出て、隣の部屋に押し込めたあの女を見に行く。しかし、ドアをノックしても返事がない。私はドアを開けて中に誰もいないことを確認して、談話室に向かった。
談話室の前まで来ると中から話し声が聞こえた。リクとあの女だ。
「で?四天王になりたいの?」
リクがあの女に聞いてる。
何を言ってるの?魔王様のお気に入りだからって調子に乗らないで。まともに自衛すらできないのに四天王?笑わせないで。
リクの問いにあの女がなんて答えるか聞くために、扉に貼り付いた。
「なにやってんだアヤ。」
あの女の返答と被せるようにシュウが声をかけてきた。私は焦って中の会話に集中した。
「いいね。楽しそうだ。」
リクの声だ。あの女の答えを聞きそびれた。私はシュウをキッと睨んで言った。
「あんたのせいで台無し。」
「はぁ?なんだよ急に。」
私はシュウを無視して中に入った。
「おや?アヤ。それにシュウまで。」
あの女は驚いた顔をしている。
「おうリク。アヤがお前らの会話聞きたそうにしてたぞ?」
シュウが余計なこと言ったから、私はシュウの足を蹴った。でもこの戦闘バカには効かない。
「いって!なんだよ!おいリク。そいつ誰だ?」
シュウは私に悪態をつきながらもあの女のことを聞いた。
「この子はハナちゃん。魔王様の客人だよ。アヤが言ってたでしょ?」
「あぁ。あれか。」
思い出したシュウは、馬鹿みたいに普通にあの女と自己紹介し合っている。あの女もペコペコしてる。馬鹿みたい。
でもおかげであの女のことを知れた。
名前…………ハナっていうんだ。でも火山でそんなふうに呼ばれてたっけ?大して気にしてなかったから、記憶を遡っても思い出せない。
するとあの女がこっちに歩いてきて、笑顔で話しかけてきた。
「私はハナ。あなたはアヤだよね?よろしく。」
むしずが走った。なんでこんな笑顔で話しかけてくるの?無理やり連れてこられたのに嫌じゃないの?ここに来たばかりの時のあの怯えた雰囲気はどこへ?
私はハナの差し出された手を払い除けて、そのまま談話室を出た。
イライラする。ナギとは違った意味で嫌いだ。あの女。ハナ。あいつは魔王様に気に入られてる。それだけでも嫌なのに、あっさりこの魔族の空間に入り込んだ。
「何を考えてるの?」
数時間前。
あの女を部屋に押し込んだ後、魔王様のところに行った。
「魔王様。あの女を客人扱いするのですか?」
「えぇ。わたくしの大切なお客。手を出さないよう、みんなに釘を刺しておいてね。」
私は魔王様の言うことなら何でも聞く。でも今回はさすがに文句を言ってしまった。
「あの女は黒竜です。さっさと食べてしまえば、以前の力を取り戻すことができます。そのために連れてきたのではないのですか?」
魔王様はニコリと笑った。いつもの妖艶な微笑みなのに、どこか苛立っているような様子だ。
「アヤ。あの子が黒竜であることは誰にも言ってはいけないわ。それに、あの子はわたくし達と同じ魔族なの。仲良くしてちょうだい。これからはずっと一緒よ。いいわね?」
私はそれ以上何も言えずに頷いた。
そして現在。
談話室から自室に戻ってきて私はベッドに座った。
ハナは黒竜であり魔族。魔王様は食べるつもりはなさそう。じゃあなんで連れてきたの?
それにハナはリクと何か話していた。リクは恐らくハナの考えを実現することに囚われた。ナギの手伝いをしていたから脅威にはならなかったけど、ハナとなれば別だ。四天王の座を奪われかねない。
せっかく魔王様の側近として取り立てて貰ったのに…………。
私は力のない魔族だった。弓矢の腕前とちょっとした魔法しか使えなかった。
初めて魔王様を見た時、なんて美しい人なのだろうと思った。見た目だけじゃない。凛として自信に満ちた威厳。ずっと側で見ていたいと思った。でも四天王なんて夢のまた夢。
そんな時、彼に会った。
マスターは魔王様の客人として私たち魔族のところに頻繁に顔を出していた。誰彼構わず声をかけていたし、何故かみんなに慕われていた。私は、きっと魔王様の恋人なのだろう…………くらいにしか思ってなかった。
「お前は素質があるな。名前は?」
お城の掃除をしていた私に彼は話しかけてきた。
「ア、アヤです。」
驚きと恐怖が入り混じった声で返事をすると、マスターはニコリとした。
「そうか。アヤ。お前は魔王の側にいたいか?」
突然のことに声も出なかった。まるで私の心の中を読まれているみたいだった。彼の言う通り、掃除をしながら魔王様のお側にどうしたらいられるかと考えていたからだ。
黙って返事を待つ彼に、私は言った。
「魔王様の為ならなんだってします。お側においてくれるならなんでもします。」
彼は頷いてどこかへ去ってしまった。
そして数日後、私は魔王様の世話係として取り立てられた。毎日魔王様と同じ空間にいられる。どれだけ至福の時間だったか。そしてそのうち、欲が出てきた。
『四天王になれば側近になれる』
そのことが頭から離れなくなった。
そして私はマスターに頼った。どうしたら力をつけられるか。どうしたら四天王になれるか。
彼は教えてくれた。四天王の中で最も倒しやすい相手が誰なのか。でもそれだけしか教えてくれなかった。
だから私は必死にそいつを観察して機会を窺った。そして何十年もかけてようやくそいつを倒し、四天王に上りつめた。
四天王の座は絶対に譲らない!
私は部屋を出てリクの元に向かった。ハナが何を言っていたのか。誰を狙っているのか。そして私以外なら手を貸すと伝えるために。
ハナという客人と話した後、部屋に戻るとリクが訪ねてきた。
「シュウ悪いね。君の部屋まで押しかけちゃってさ。」
「いつものことだろ。で?何か話があるんだろ?」
リクはいつもの不敵な笑みを浮かべている。
「マスターの居場所が分かったんだ。君はマスターと戦いたがってただろ?ナギに言うと彼女も行きたいとか言い出しかねないから君にだけこっそり教えようと思ってさ。」
俺は武者震いした。
マスターが白竜だと知る前から奴のことは気になっていた。強い。常に隙がない上に、殺気を感じてもまるで動じない。あれは相当な手練れだと確信していた。だが奴と直接戦うことは叶わなかった。魔王の客人ってやつだからだ。
そして、奴を殺す命が出た時、俺は喜びと恐怖が同時に襲いかかってきた。一瞬でも躊躇ったのだ。殺されるんじゃないか。だが戦ってみたい。そんな一瞬の躊躇いがあだとなった。ナギが我先にと動き出してしまったからだ。あいつは殺気丸出しでマスターに襲いかかった。馬鹿だと思った。そんなことしたらあっという間にマスターは全てを察して逃げちまう。
俺もリクもアヤも、慌ててナギに加勢した。だが遅かった。マスターはニヤリといつもの余裕そうな笑みを浮かべて言った。
「お前たちとは仲良くやってきたと思っていたが。残念だ。」
全くそんなこと思ってもいないだろうに、そう言ってマスターは姿を消した。四天王全員で襲いかかったのに奴はあっさり躱していた。
強い。俺は確信した。
「リク。それは俺にマスターを殺れってことか?」
「いいや。僕も行くよ。僕とシュウならいけると思う。それに。弱点も聞いたんだ。」
リクは勝利を確信した顔をしている。
「聞いたって誰にだ?」
「ハナちゃんだよ。彼女はマスターに呪いをかけられたんだって。」
妙な女だとは思っていた。まさかマスターの呪いを受けていたとは。
俺はリクに答えた。
「いいぜ。その誘い、乗ってやるよ。」
談話室に来ると、見慣れない女がいた。しかも人間の姿だ。魔力不足で人間の姿なのか、マジで人間なのか。
「誰だ?」
声をかけるとそいつは振り向いて微笑んだ。
「ナギさんですか?私はハナといいます。魔王様の客人として暫くここに滞在します。よろしくお願いします。」
客?そういえばアヤが言ってたな。あたしは思い出してハナに答えた。
「あたしがナギだ。あんたこんな所に来てなにしてんの?魔族?」
ハナは困ったように微笑んだ。
「一応魔族なんですけど…………なんていうか。呪いをかけられて人間の器に閉じ込められてるんです。それで助けてもらおうと思って魔王様を訪ねてきました。」
なんだ魔族か。しかも呪い。まぁ見るからに弱そうな奴だからな。呪いかけられるなんてヘマやらかすわな。
「そりゃ災難だったな。」
あたしはハナを馬鹿にして、そのまま談話室を出ようとした。するとハナは、あたしの足を止めるような言葉を発した。
「竜の居場所知ってますか?」
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