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「姉さん、少しは落ち着きなさい」
足音たてずに、こそこそと泥棒のごとく進んでいく内に、屋敷内からはっきりと声が聞こえ始めた。俺は身をかがめ、割れた窓ガラスの部分からそおっと中を覗いた。
「蓮香さまの言うとおりです。菖蒲さま、冷静になりましょう」
広間らしき場所。俺が覗く窓際には、黒須さんが立っていた。俺は慌てて顔を引っ込める。だが、その向かいには三人ばかりの女の人がいたのが見えた。俺は聞き耳だけたてて、中の様子を確認することにした。
「ナニいってんだ、こんな勝手なことやって怒らずにいられるかっての」
「こればかりは我が姉に同意だ。黒須……どういうことなんだ?」
「だから何度も言っていますように、今日よりこの屋敷に『新たな住人』が増えるということです。理解していただけましたか?」
「――だから、それがわからないと言っている!」
女の子の叫びともいえぬような声の後、割れた窓の隙間から、なぜか「水の塊」が飛び出してきた。
「――っ!」
思わず声が漏れそうになるのを、俺は両手でおさえ防ぐ。「水の塊」はしばらく飛んでいくと、形が解かれ地面にびちゃっと落ちた。……何、今の?
「飛距離が伸びましたね。中々の進歩です」
「う、うううっ……馬鹿しているな!」
「おい花梨! 何外してんだよ、ちゃんと当てろよ」
「う、うるさい! 貴様に言われたくない!」
「お姉ちゃんに向かってキサマとは何だ!」
「というか姉さんも花梨も、家の中で『能力』を使うなって何度も――!」
黒須さん以外の、三者三様の争い声が響き渡る。混乱する頭の中、はっきりとわかることが一つだけある。
俺はまったく、歓迎されていない……。
「………よし! あの、すいませ――!」
とりあえず、顔出して元気よく自己紹介をしようと、俺が立ち上がったときだった。
部屋の中に目を通すと、ソファからテーブル、コップまで、広間の中にある、ありとあらゆるものが不自然なまでに、金髪の少し年上っぽいの女の人を中心にするように、散乱していた。
「もう……怒った!」
その隣にいた中学生くらいの女子が、睨むような目つきで、力強く両手を上げた。
「とびきりの、お見舞いしてやる……!」
すると信じられないことが起こった。さっき窓から飛び出してきた水の塊よりも、さらに大きい水の塊が、その女の子の両手の上に形成されていっていたのだ。
「花梨、あなたね――」
「おい蓮香、逃げるぞ。もうアタシたちの手には負えない」
「ちょっと姉さん――」
「姉さん」と呼ばれた女の人は、蓮香というらしい女子の手を握った。
「……あれ?」
一度も目を離したつもりはない。そのはずなのに、なぜかどういうわけか……二人の姿はその場から「消えて」いた。
「ど、どこに――!」
「……ん? オマエは?」
「え……えっ!?」
誰の気配も感じなかったはずなのに、俺は背後から声をかけられた。振り返り、声の主を見て、俺の体は硬直した。先ほど消えたと思っていた二人が、立っていたのだ。
「え……その……え……何で……?」
「――あ、オマエがクロスの言っていたヤツだな!」
「姉さん、今はそれどころじゃないわ。ほら、あなたも早く逃げなさい!」
「姉さん」と呼ばれた女の人を引っ張り、さらに屋敷から離れていく「蓮香」とやら。顔を元に戻すと、部屋の中にいた「花梨」という女の子の両手には、五メートルほどの巨大な「水の塊」ができていた。
「く……ら……えぇえ! 必殺、『ヴォーゲン・フェアデルプ』!」
それを女の子は、さながらサッカーのスローイングのごとく、前に向かって投げ出した。水の塊は、ゆっくりと窓際へ向かって飛んでくる。
「………黒須さん、早く逃げないと!」
遅いが水の塊は、着実へ向かってきている。にも関わらず、黒須さんは立ちっぱなしだった。
「ああ、貴方でしたか。すいません、説得には失敗しました」
ペコリとのんきに頭を下げる黒須さん。いやいや! 今はそれどころじゃないって!
「でも、ちょうど良かったです。一葉さま、手を出してください」
「わかりました! 早く俺の手を握って外に出てください!」
俺はすぐさま右手を差し出し、黒須さんの手を取ろうとした。――が、
「はい、それではお願いします」
「え……」
黒須さんは俺の右手を掴むと同時に、その華奢な体のどこにそんな力があるのか、ぐいっと引っ張りあげ、屋敷の中に入れた。それと入れ違いに、黒須さんは外に出た。
「ちょっ――!」
体勢を取り戻し、俺は顔を上げる。一メートルも満たないところに、水の塊は来ていた。
「…………うおうっ!」
反射的に、俺は両目を閉じ、両手をクロスの形で前に出した。だが、もう避けることは不可能だった。
走馬灯のごとく、思考が加速する。俺の頭の中に、様々な思惑が浮かんでは消える。――「死」のイメージも浮かんだ。
「……………………………………………ん?」
だがしばらく経っても、俺の体に「濡れる」という感覚はやって来なかった。俺は片目をちらっと開ける。
「……あれ?」
はっきりと眼を開け、俺は異変に気づいた。たしかに眼の前まで迫っていた「水の塊」は、俺の体に触れるどころか、床にも壁にも窓にも、「濡れた形跡」がなかった。
「……へ?」
ハアハアと疲れ果てた顔をしていた、「花梨」が信じられないものを見たかのような、キョトンとした顔に変わる。
「……嘘!? なんで……はっ! 貴様は……!」
「おいおいこりゃあ……」
「どういう……こと……!?」
それは後ろの二人も同じだった。その驚き方は、当事者の俺以上であった。
「――とりあえず、今ので大体は理解いただけたと思いますが」
そんな俺たちを放っておいて、黒須さんはきっぱりと紫島姉妹へ言った。
「彼はごく『普通』に、お嬢様たちに接することができます。なので住んでもらいます」




