7
人生山あり谷ありというが俺にとってこの二週間の山と谷の落差は激しかった。
不運がおとずれたと思えば、幸運がおとずれ、そこからさらに充実した生活を送ることができ……そこから真っ逆さまに落下した――。
「…………う……うん……」
真っ暗闇の中に、一筋の光が差し込まれる。俺はその光を大きくしようと、自然とまぶたをゆっくりと開けた。
「…………」
見覚えのある天井が俺の目に入った。体が動かない、頭もよく働かない。俺はぼやけた視界の焦点を合わせることだけに集中した。
「俺の……部屋か?」
はっきりと視界のままに周囲を見回し、俺はここが、自分の部屋だとわかった。
「あれ……そういや……痛っ!」
ほっとすると同時に、急に右手人差し指あたりから痛みがおとずれた。俺は仰向けの状態で左手でその部位に触れる。
「あれ……? あー……」
触れると同時に違和感がおとずれる。その違和感の原因が何であったかを思い出そうと、俺は頭を働かせる。そこに、
「あーっ! カズヤお前、目覚したのか!?」
突如として、寝ている俺の顔の横に、何者かが現われた。首だけ傾け、確認すると、それは菖蒲さんだった。菖蒲さんは俺を見るや否や、感激の声を上げた。
「あ、おはようっす菖蒲さん――ぐぼっ!」
「おはようじゃねえよ! お前、この……心配させやがって!」
菖蒲さんは怒ったような、それでいて嬉しそうにしながら、俺の鳩尾付近をドスドス叩く。みぞおちではなかったがそれでも痛かった。
「ちょっ、タンマタンマ! マジで痛いからやめてくださいっ!」
「あ、すまねえつい!」
俺の苦痛の表情を察したのか、菖蒲さんははっとなって俺から身を引く。ほっ、助かっ――
「ああああああっ! 一葉! あんた……やっと目を覚ましたのねっ!」
安心したのもつかの間、壊れるんじゃないというくらい力強くドアが開き、そこから花梨の声がした。だが、口調はまるで別人だった。花梨は短い距離を力強く走ってくる。
「よお花梨、今日は素なんだな」
「なに言って……はっ! ……い、一葉……で、ではない下僕よ! よ、ようやく目を覚ましたようだな……!」
気付いたのか、いつも通りの口調に戻る花梨。世間的に見たらこっちの方が不自然だろうが、俺には安心できるものだった。
「……あー、ちょっと訊きたいんだけど……今日って何月何日?」
大分記憶が戻りつつあったこともあり、俺は「自分の身に何が起きたのか?」については聞かず、「どれだけの間、自分は意識をなくしていたか」を確認することにした。
「現時点をもって二十六時間三十一分四十三秒……およそ一日以上となります」
えーとと、菖蒲さんも花梨も、左手を使い計算するという中、淡々とした声を出しながら、新たなる訪問者――黒須さんが答えた。黒須さんはお盆にうどんの入った丼と白っぽいジュースの入ったコップを載せながら、ベッドの左側に回りこみ、音を立てることなくイスに座った。
「どうぞ、一葉さん」
「あ、こりゃまたご親切にどうも……ん?」
ストロー付きの俺の口元に近づける黒須さん。俺は反射的に、ストローからジュースをすする。風邪を引いた時によく飲む飲み物だった。一口すすると、俺は喉の乾きに耐えかね、一気にストローから飲み物をすすっていた。
「………ぷはあ……ごほっ、ごほ……!」
「おいおい、慌てんなって! 落ち着け」
「ふん、まったくだ!」
慌てて飲んだせいでむせてしまった。菖蒲さんと花梨は呆れ顔をしていた。
「いや、かなり久しぶりだったんで……あ、うどんもらいますね」
意識をなくしていた時間を聞いて、俺の空腹はいっそう高まった。よいしょと俺は上半身を起こし、お盆から奪うようにしてうどんを取ろうとした。
「……ん?」
そこで俺は、妙に右腕が重いなあということに気づいた。俺は右腕にに視点を送り、その違和感の正体を探ろうとした。
「……菫、ちゃん?」
なぜ気づかなかったのか、自分でも不思議だった。ぎゅっと力強く、菫ちゃんは小さな手で俺の右腕を掴んでいた。菫ちゃんはベッドにもたれかかるようにして、スヤスヤと寝静まっていた。
「おいスミレ、おい起きろ! カズヤ、目ぇ覚ましたぞ!」
天使のような菫ちゃんの眠り顔は、菖蒲さんによって破壊された。菫ちゃんは、小さなあくびをし、まぶたをこすりながら、目を開けた。
「………ふぇ?」
俺と目が合い、菫ちゃんは瞳孔を大きく開き、口をあんぐりと開いた。
「よ、菫ちゃん!」
何事もないということを表そうと、俺は元気よく菫ちゃんにあいさつした。
「い、一……一葉さん……! 一葉さんっ!」
今にも泣きそう……というか、菫ちゃんはポロポロと涙を流し、俺に向かって抱きついてきた。
「うぐっ、ひくっ……!」
その衝撃で腹への痛みがさらに増した。菫ちゃんは嗚咽の混じったような声で、ずっと俺の胸の中で泣いていた。
「菫ちゃん……」
菫ちゃんを……いや、菖蒲さん、花梨、そして黒須さん。多くの人に心配をかけてしまったということを実感した俺にとって、「人差し指」を無くしたなんてものはもう蚊に刺されたようなものであった。
「みんな……」
涙声になる、情けない。だが、言わなければいけない。
「――ありがとう」




