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「――っ!」
慌てて俺はしゃがんだ姿勢から立ち上がり、体を思い切り後ろに引こうとした。だが、一歩遅かった。
目の前にいた白い犬は、鋭い牙を見せながら俺に向かって飛びかかってきた。
犬が俺の後ろに着地する。同時に、俺の右手に痛みが襲い始めた。
「……………っ!」
あまりの痛みに俺は声を出すこともできず、悶絶する。俺は「噛まれ」た右手を左手で抑えながら、背後にいる犬に向かって顔を振り向かせる。
「……ぐるる……ぅ……ううっ……!」
てっきり俺に向かってもう一度襲い掛かるかと思ったが、白い犬は地面に顔を向け、低い声を出す。よく見るとそこには先ほどコンビニで買ったポテトチップスの袋が見えた。白い犬はその袋にガッチリと噛み付き、首を左右に思い切り振り出した。
不幸中の幸いというべきか……。俺は白い犬がポテトに集中している内に、白い犬から逃げようと考える。俺はそおっと後ろ歩きで犬から離れようとする。
だが俺はそこで気付く。犬のいる場所から一メートルも離れないところに、蓮香が突っ立っているということに。
「…………」
金縛りにあったかのごとく、蓮香はまったくその場から動こうとしなかった。目は大きく見開かれ、額に汗を流し、体をブルブルと震わせていた。
「おいはす――!」
俺は叫びに近い声を上げようとした。だがそれを最後まで言うことはできなかった。蓮香がドサッと大きな音をたてて、地面に尻餅ついたからだ。
それと同時に、白い犬は袋を噛みちぎることに成功した。ポテトチップスが地面に半分ほど散乱する。それは、蓮香の足元付近にも落ちた。
白い犬は狂ったように散らばったポテトチップスをガツガツと口にしていく。それでも蓮香は動こうとしなかった。
「……くそっ!」
幸い白い犬はポテトチップスに集中しているので、蓮香のことは気にしていない。ポタポタと地面に生温かい血が滴り落ちる。だが脳内アドレナリンが分泌されているせいか、俺は先ほどよりも痛みを感じることはなかった。意を決し、俺は白い犬を警戒させないように、ゆっくりと白い犬に近づく。
今の距離では白い犬はいつ蓮香に襲い始めてもおかしくない。だが、あんな痛みをもう一度味わうつもりはない。白い犬の意識をこっちに向けたら、俺はダッシュで逃げるつもりだ。
「…………」
わずか十メートルほどの距離にもかかわらず、数キロのような感覚だった。精神がすり減る、心臓が破裂するんじゃないかというくらいバクバクする……それでも俺は……蓮香を助けなければならなかった。
あと三歩ほどで犬の真下まで来るというところ。そこで白い犬は顔を上げ――目の前にいる蓮香を見た。
「……っ!」
頭の中に最悪なイメージが浮かび上がる。先ほどの痛みが脳裏をよぎる……。
「こっちだ!」
腹の底から、俺はなりふり構わず白い犬に向かって叫んだ。白い犬は一瞬俺に振り向くも、すぐさま蓮香に向き直る。
「う――おおぉおおっ!」
馬鹿みたいな声を上げ、俺は白い犬に――蓮香に向かって走りだした。
「……!」
白い犬は俺の存在をやっと気に留める。白い犬は焦ったかのように前方の「獲物」に向かって飛びかからんとする――。
「く……そっ!」
俺はダイビングヘッドのごとくジャンプし、右手を思い切り伸ばした。その右手は、ちょうど、白い犬と蓮香の間に割りこむような形を取った。――だが、
………………痛い。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い………!
俺の脳はただその感覚だけに包まれる。
どろっとアスファルトの地面に「何か」が落ちた。暗くてよく見えない、だが血ではないことは確かだった。
「……」
白い犬の顔が俺の真上にある。白い犬はギラギラとした目つきをさせ俺を見下ろす。だが、それ以上何かをしてくる気配はなかった。
「どうかしましたか!」
曲がり角から先ほど聞いた警察官の声が聞こえてくる。その声にビクッと体を震わせた白い犬は、穴の空いたポテトチップスの袋をくわえ、その声とは反対の方向へと逃げていった。あっという間に、白い犬の姿は闇に飲まれ消えていった。
「……なんとか……助かった……かな……」
脅威が立ち去ったことにより、俺の張り詰めていた精神はぷちっと切れた。俺はがくっとアスファルトに全身を預けるように寝転んだ。
「……あ」
意識が閉じかけようとしたまさにその時、俺は地面に転がった「何か」の正体がわかった。
あー……左手でメシ食べる練習しないといけないな……。
それを見て俺が真っ先に頭に思い浮かんだのは、そんな呑気なことだった。
今度こそ、俺の意識は闇に落ちた。




