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この章が終わったところで、一旦話は区切ります。
「下僕よ、どうだ今の我の炎は!」
花梨は自信満々にそう言って、俺に向かって右手を近づけ見せる。その手のひらには、ポッと淡い光が見える。
「オースゴイスゴイ! オヤスミ」
パチパチとまばらな拍手を送り、俺は屋敷の方へ戻ろうとする。
「待て、もっとあるだろ!」
だがそれは、花梨に腕を掴まれたことで阻まれた。まあわかっていたことだ。俺はゆっくりと花梨に振り向く。
「じゃあ言うぞ。それは『炎』とはいわない、『火』だ」
「なっ! 貴様……! 昨日に比べて少しは持続時間が長くなっただろ!」
正直な感想を告げてやったにも関わらず、花梨は納得いかないという表情を見せ、反論する。んなもん、五十歩百歩(意味合ってるっけ?)だ。俺はふわぁ~と大きくあくびをした。
「とりあえず俺はもう眠いんだよ、そもそもこんな夜中にやるなよ。しかも外で」
まだ夜の十一時を回ったところだが、基本俺は夜は弱くて朝に強いタイプなので、この時間帯でも眠い。
「ふっ、闇に差す一つの光の価値を知らないとは……貴様には情緒が無いな」
「いや意味わかんねえし……はあ、まあいいよ。とりあえず今日はこれでおしまいだ。お疲れさん」
俺は寝ぼけた状態で、花梨の頭を撫でる。
「だ、だから気安く我の頭に触れるなと……!」
「いいじゃねえか。『頑張った子供の頭を撫でる』。世のお父さんお母さんはそうやって子供を育てているんだぜ」
「子供じゃない!」
そう怒った声を出し、花梨は俺から手を振り払い、逃げるように怒って屋敷の中に入っていった。こういったやり取りは今日でもう、何度目だろうか。
花梨の「修行」に付き合いだしてから、早一週間経った。
花梨は俺の言いつけ通り、外では「能力」の使用は極力控えるようになり、屋敷内において、「能力」の練習をするようになった。
『下僕なのだから主の我に従うのは当然の義務だ』
以前ノリで書いた「契約書」のことを言っているのだろう。花梨は異論を唱えさせない、傲慢不遜に俺にそう命じた。そして俺が寝静まるのを見計らったように、花梨は電話を鳴らし(どこから知ったか未だ不明だ)、俺を無理やり起こし、「修行」に付きあわせた。
もちろん、俺は最初は乗り気ではなかった。だが一応は「契約」とやらを結んだ関係、主の言うことは聞かなければならない。
……というのは建前で、本音は居候として住まわせてもらっいる身として、下手に逆らうべきではないという思いからだ。
――そんな情けない理由から付き合ってきた「修行」ではあるが、ここ最近は無邪気に遊ぶ子供のように、「能力」を使おうとする花梨を見る内に、俺の中に「面倒くさい」という感情以外にも「楽しい」という思いも浮かんできた。……ほんの少しだが。
「……さて、俺も戻る――」
「よお、カズヤ! お疲れさん」
これで何度目かというくらいにあくびをした後、俺が屋敷に戻ろうとしたその時だった。急に目の前に、菖蒲さんが現われた。同時に、首元にひんやりとしたものを当てられた。
「――冷たっ! な、なんすか!」
菖蒲さんの出現と、首元を冷やされたことで俺の眠気は一気に吹っ飛んだ。
「見りゃわかんだろ、缶ジュースだよ、缶ジュース! ほら、冷めない内に飲めよ」
「はあ、こりゃまたご親切にどうも……まずっ!」
一口飲み、一番初めに出た感想がそれだった。俺は缶のラベルを確認する。
「おい、なんだよ人がせっかく買ってきたものに、まずいなんてよ!」
「だったらもう少しまともな飲み物提供してくださいよ! なんですかこの『激辛カレー味の豆乳』ってのは!」
俺は声を張り上げ、菖蒲さんに、禍々しい色とイラストの缶のラベルを見せる。暗闇で気づかなかったが、いったい誰がこんなものを販売しようと思ったんだろう。
「ハッハッハ、やっぱまずいよなソレ! でも慣れると旨いんだぜ!」
「慣れたくないし、笑って誤魔化そうとしないでくださいよ! ……でも、ありがとうございます」
冗談のつもりであっても、こうして俺に飲み物を持ってきてくれたのは事実だ。その点においては俺は改めて感謝する。
「……変わってんな、オマエ」
「いや形式的なものですよ。けど、これはもう飲みませんよ」
俺は菖蒲さんの手を掴み、強引に缶を手渡した。
「おう、サンキュ!」
「――え?」
てっきり難色示すかと思ったが、菖蒲さんは嬉しそうに飲み始めた。あれ、これって間接キ――。
「……かぁ! うめえ!」
ものの十秒足らずで菖蒲さんは飲み終えた。その姿はまるで酒を飲み終えたおっさんのようだった。
「――そういえば菖蒲さんって、今何しているんですか?」
そんな姿から、なぜか俺の頭のなかにそんな疑問が浮かんできた。菖蒲さんは首を傾げ、キョトンとしていた。
「何って……お前と話しているだろ?」
「そういうことじゃなくて……その、菖蒲さんって大学とか行っているんですか?」
「いや。アタシは高卒だよ」
あっさりと、菖蒲さんは答えた。あれ、黒須さんがした最初の自己紹介で、大学生って言ってなかったけ?
「――あ、そうなんですか。それじゃ今はどこかで働いているんですか?」
そうした疑問も浮かんだが、俺は話の流れを切らないように再び尋ねた。
「ううん。そもそもアタシは働かなくても十分貯金はあるし」
聞く人が聞けば羨ましがるか恨めしがる言葉(俺は羨ましい)だった。だが、
「あの、それっていわゆるニートってやつじゃ……」
「カズヤ、アタシノパンツミルカ?」
唐突に話題を変え、菖蒲さんはショートパンツに手をかける。……いやいや待て待て!
「見たくありませんから、ズボンにかけた手を元に戻してください!」
できるだけ落ち着きを保ちながら指示してみたものの、内心かなり焦っていた。パンツ見られるほうがマシって……どんだけ触れられたくない話題なんだよ。
「ごほん。とにかくアタシはまだ動くべき時じゃないんだよ。察しろ」
「わかりました……察します」
これ以上の追求は、この屋敷での俺の立ち位置を悪くしてしまう。俺は渋々うなずいた。
「じゃ、アタシはこれで寝るから。オマエも早く寝ろよ」
「誰のせいだと――って、もういねえ」
菖蒲さんの姿が消える。やっと俺も部屋に戻れそうだ。
「……さっぱりするか」
菖蒲さんとのやり取りで、汗をかいてしまったこともあり、俺はシャワーでも浴びることにした。
「お疲れ様です一葉さん。ちょうどお風呂の湯を入れ替えたところですので、今でしたらシャワーでなくても大丈夫ですよ」
屋敷内を見回っていた黒須さんは、俺にそう言い、なぜか持っていた俺の着替えを渡してくれた。
「…………」
「どうかしましたか?」
「いえ。あの……ありがとうございます。それじゃ、使わせてもらいます」
戸惑いながらも、俺は礼を言い、長い廊下の先を曲がったところにある、浴室へと向かう。前々から疑問だったんだが、黒須さんっていったい何者なんだろう……。
「……にしてもかなり久しぶりだな」
普段、俺は浴室とはまた違う場所にある、シャワー室で体を洗っていた。
べつに黒須さんに言われたとかではない。年頃の女の子が入る湯船に、男の俺が入ることはどうにも抵抗があったからだ。
だから湯船に浸かっていいと言われると、妙にテンションが上がった。一度だけ見る機会があったが、紫島家の風呂は「足が伸ばせる」。これだけでも俺にとっては満足だった。
「る~るーるっ!」
鼻歌交じりに、俺は風呂場のドアを開いた。俺は服を脱ぎ、別個にされた青いカゴに自分の洗濯物を入れる。気が利くことに、黒須さんは浴室の電気も点けたままにしてくれていた。裸になった俺は、そのままドアを開いた。
「おー、やっぱ広いなー………………………あ?」
世界が止まる、陳腐な表現だがまさにそんな感覚だった。
え、あの……え? いやいや、なんでまた……あれ? ドッキリ? 罰ゲーム? あ、ご褒美だ!?
頭が混乱する。動悸が激しくなる。汗が吹き出す。血の気が引く……。ありとあらゆる症状が俺に一気に襲ってきた。
「……………っ!」
『浸かっていい』と、黒須さんにたしかに言われた浴室。なのにどういうわけか、その浴槽内には人がいた――。
湯気が立ち込め、もやがかかったようになっていた浴室内は、俺がドアを開いたのをきっかけに、徐々に鮮明さを取り戻す。
俺と同い年、文武両道、そんじょそこいらのモデルに負けない抜群のプロモーションを持った、しなやかな肢体の持ち主。
そして、この先一生「能力」を使う気はないと宣言した女の子だった。
「よ、よお――奇遇だな!」
無意識の内に発せられた言葉。それが俺の覚えている最後のセリフだった。
「~~~~………っ!」
声にならない叫びを上げて、紫島蓮香は俺を睨みつけた。と、同時に俺に向かって何かが飛んできた。
「あぎゃっ!」
浴室で俺が最後に見た光景は、四角い木の桶の角が、猛スピードで飛んでくるというものだった。




