第1章01 今日の目当て
~咲雄side~
朝食の皿を片づけてから、冷蔵庫を開けた。
豆腐が半丁と、使いかけの長ねぎ。卵は3個。野菜室には大根と人参がある。昨日買ってきた魚も残っているし、これだけあれば夕飯に困ることはない。
困ることはないのだが、何となく物足りなかった。
「……煮込みでも作るか」
口に出してみると、急にその気になってきた。大根は厚めに切って、柔らかくなるまで火を通したい。肉は脂が多すぎない方がいい。箸で崩れるくらいまで煮込めたら、なおいい。
そこで思い出したのが、マグマイグアナの尾肉だった。
以前食べたときは、噛み始めには少し歯応えがあったのに、煮込んだ部分は不思議なくらい口当たりがよかった。名前から想像するほど癖も強くない。あれをもう一度食べてみたい。
もっとも、食べたいと思えばすぐ手に入る品ではない。売っている店もあるが、いつでも置いてあるわけではない。幸い、今日は特に予定が入っていなかった。
だったら、自分で取りに行けばいい。
冷蔵庫を閉め、食卓の椅子に座り直した。湯飲みに残っていたお茶は、もうすっかりぬるくなっている。
マグマイグアナなら、富士宮の富士熔脈回廊が近い。26階層から先で何度か見かけたことがある。あの辺りなら道も覚えているし、1人で歩くのに困る場所ではない。
今日のところは、あまり奥へ行く必要もなさそうだ。
こうして出かけると決めると、あとは早い。食器を洗い、流しを拭いて、台所の窓を少し開けた。朝の空気が入ってくる。沼津の家で暮らすようになってずいぶん経つが、この時間に窓を開けるのは今でも気持ちがいい。
少し涼んでから窓を閉めた。肉が手に入らなければ、昨日の魚を焼けば済む。そう思っても、今はあの尾肉の味が頭から離れなかった。
ダンジョンへ行っても、目当ての食材が手に入るとは限らない。以前、結局何も出なくて、帰りにスーパーへ寄ったこともあった。
それでも、自分で探すのは楽しい。途中で別のものを見つけることもあるし、しばらく歩いていなかった階層へ足を延ばすのもいい。今日中に済ませる用事はないのだから、気の向くままに歩ける。
支度といっても、大がかりなことはしない。
財布と携帯電話を確かめ、ダンジョンへ持っていく小物を収納にまとめる。水と食べ物、予備の道具、それに必要になれば使う別の武器は、前の探索から入れたままだ。使った分はその日のうちに補充してあるので、改めて揃えるものは少ない。
最後に取り出したのは、飾り気のない直剣だった。
神から最初にもらった剣だ。刃も柄も、受け取ったときから変わっていない。もともと立派な品ではないし、攻撃力だけなら、今ではもっと使い勝手のいい武器がいくらでもある。
それでも、こいつには何にも代えがたい長所があった。
折れないのだ。
欠けることも、刃が曲がることもない。何十年使おうが、その点だけは信用できる。手にしたときの重さも、柄を握る位置も、今さら考える必要がない。
「今日も頼むよ」
剣を持ち上げてみる。もちろん返事はない。
別に剣と話をする趣味があるわけではないが、これだけ長く付き合っていると、出かける前に一言くらい言いたくなることもある。
防具は着けず、収納に入れたままにした。26階層にいる魔物の顔ぶれは分かっているし、今日の探索なら身軽な方が動きやすい。危ない攻撃を正面から受けるつもりもない。相手が想定より手強ければ、退くか、収納の中の別の武器に持ち替えればいい。
出発前の確認を済ませる。帰りが遅くなるつもりはないが、水と食べ物は余分に入れてある。迷宮で腹を空かせてまで欲しい食材を探すのは、どうにも本末転倒だ。
若い頃は、行きたい場所があれば手持ちの道具だけで飛び出したこともあった。失敗して覚えたことも多い。今でも荷物を持ちすぎるのは好きではないが、何も持たずに歩くのとは違う。
直剣を鞘に収め、収納した。家の戸締まりを確認して外へ出た。鍵をかけてから空を見上げると、雲はあるものの日差しは穏やかだった。何となく釣りにも出かけたくなる天気だが、今日は夕飯が先である。海は逃げないし、竿を出すのはまた今度でいい。
車を走らせながら、煮込みに何を添えようか考えた。熱い飯に漬物でもあれば十分かもしれない。花蜜が手に入れば、食後の飲み物を少し甘くしてもいい。あの辺りではアルラウネにも会えるはずだ。
目当ての肉に加えて甘いものまで狙うのは、少し欲張りだろうか。
まあ、見つかったらの話だ。
富士熔脈回廊の入口に着いたころには、朝の涼しさが薄れていた。
駐車場には車が何台も停まっている。装備を整えて歩いていく2人組や、入口の手前で荷物を確認している若者たちが見えた。平日のこの時間でも、探索に来る人はそれなりにいるらしい。
昔はダンジョンへ入るだけでひと騒ぎだったものだが、今では当たり前の仕事場にもなっている。入口の周囲も、来るたびに少しずつ便利になった。
車を降りたところで、隣の区画にいた男性と目が合った。肩に大きな荷物を背負い、手袋を直している。
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶を交わしてから、入口へ向かった。
顔見知りというほどでもない相手との会話は、どうも少し身構えてしまう。あちらも支度の途中だったので、挨拶だけで済んだのはありがたかった。
入口に近づくと、若い探索者の視線が俺の直剣へ一瞬向いた。防具も着けていないから、軽い気持ちで入る年寄りに見えたのかもしれない。
実際、今日の目的は夕飯のおかずである。気軽な探索という点では、あまり間違っていなかった。
入口の近くには、これから出発する人たちだけでなく、探索を終えて戻ってきた人もいた。道具を積んだ台車を押す2人組が横を通り過ぎる。片方は汗だくで、もう片方は何かを楽しそうに話していた。
何があったのかは知らないが、ずいぶん楽しそうだ。ああいう顔を見ると、こちらまで少し嬉しくなる。
入場ゲートの読み取り機に探索者証をかざすと、短い電子音がした。いつものことなので、そのまま先へ進む。
入口を抜けると、空気が変わった。
外より少し乾いていて、岩の匂いが濃い。奥から流れてくる風には、ほのかに熱が混じっていた。名前のとおり、階層によってはかなり暑くなるダンジョンだ。
視界の端に、オラクルライブの配信開始を示す表示が灯る。
見慣れた表示なので、気にせず先へ進んだ。配信を見に来る人がいることは知っているが、こちらから話しかけるようなことは滅多にない。どうせ今日も、歩いているか魔物を倒しているかのどちらかだ。
こんなものを何十分も眺めて、面白いのだろうか。
好きで見てくれる人がいるなら、別に構わないが。
登録してある25階層の中継地点を選び、移動する。ここまでは何度も来ている。安全な場所で身の回りを確認してから、26階層へ続く階段へ向かった。
近くではほかの探索者たちが休んでいた。その脇を通り、階段を下りる。
26階層へ出ると、通路の壁には赤茶けた筋が幾重にも走っていた。足元の石はところどころ黒ずみ、長い時間をかけて熱を受けたような色になっている。いきなり焼けつくほど暑いわけではないが、歩いていると襟元に汗がにじんだ。
軽い身体強化をかけておく。歩くのも戦うのも少し楽になるし、維持するMPは今の俺には大した負担ではない。せっかく使えるものを、我慢する理由もなかった。
歩いていると喉が渇いてきた。少し進んだところで収納から水筒を取り出し、水を飲む。蓋を閉めて収納へ戻した。
目当ての魔物は、この辺りの岩陰や通路の広い場所で見かけることが多い。とはいえ、今日はどこにいるかまで分かるわけではない。
左手に狭い抜け道がある。そこを通れば一つ奥の通路へ出られるが、あまり大きな魔物は入り込まない。今の目的には向いていないので、広い方へ進む。岩に囲まれた道を歩いていると、靴の下から小さな砂利が転がる音がした。
壁には、ときどき古い傷が残っている。魔物がつけたものか、昔誰かが戦った跡なのかまでは分からない。そんなものを眺めていると、同じ道でも飽きないものだ。
倒された魔物は時間が経てば補充されるが、目当ての種類が同じ場所に現れるとは限らない。岩陰を覗きながら、広い通路を選んで歩く。
角を曲がると、岩の向こうで爪が石をこする音がした。
足を止め、相手の姿が見えるのを待つ。
しばらくして現れたのは、背の低い岩を乗り越えようとしている大きなトカゲだった。ごつごつした背中に、赤黒い鱗が並んでいる。長い尾を引きずり、こちらの足音に気づくと頭を持ち上げた。
マグマイグアナだ。
「いたいた」
そうつぶやく間に、相手は岩から下りてきた。
顔をこちらへ向け、口を開く。太い尾が石の床を払うと、触れた場所が薄く焦げた。この魔物の尾は、見た目以上に熱い。うっかり受ければ、傷を負うだけでは済まない。
正面に立ったままでは尾の攻撃を避けにくい。身体強化で足が軽い分、回り込むのも楽だ。左へ2歩移動する。トカゲが体の向きを変え、勢いよく踏み込んできた。
前脚の爪が石をひっかく。大きく開いた口が、さっきまで俺のいた場所を通り過ぎた。横から首の付け根へ剣を入れると、相手は体をよじって尾を振った。
大きく下がらず、尾の振り終わる側へ回り込む。胴の鱗を正面から斬っても効率が悪い。首の下や脚の付け根を狙い、短い攻撃を重ねた。
刃は入るが、傷は浅い。これくらいではまだ倒れない。追撃を急がず、相手が向き直るたびに先に動く。尾が届きにくい位置を保ち、同じ弱い部分に何度も剣を入れた。
しばらくして動きが鈍った。踏み込んできた前脚をかわし、その勢いで首の下へ深く刃を入れる。マグマイグアナは前につんのめり、何度か地面をひっかいたあと、動かなくなった。
やがて体が光の粒になって消えた。
足元には、赤黒い鱗が十数枚、重なって残っていた。
鱗をまとめて拾い上げ、表示を確かめる。
「……鱗か」
残念ながら、尾肉ではない。
鱗も工房へ持っていけば使い道はある。ただ、今ほしかったのは煮込み用の肉だった。
鱗を収納へ入れ、周囲を見回す。
同じ種類の魔物が、近くにもう1体いるとは限らない。来た道を戻るより、別の広い通路を探した方がよさそうだ。
「もう少し、付き合ってもらうか」
直剣を握り直して、次の分岐へ向かう。肉が手に入らなければ、それはそれで仕方がない。だが、まだ諦めるには早い。
更新の励みになりますので、評価・ブックマークを是非よろしくお願いします。




