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老人を見たら生き残りと思え ~ダンジョン歴40年の探索者は、今日も気ままに冒険する~  作者: アレグリア
序章

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序章02 40年後の世界

~陽菜side~


2026年。


午後の実習が気になって、私はいつもより30分早く教室に着いた。黒板には班ごとの集合時刻が書かれている。机に広げた地図の端を押さえ、今日歩く道をもう一度たどった。


川越探索技術専門学校に入って3ヶ月。実際にダンジョンへ入ったのは、まだ両手で数えられる程度だ。学校で繰り返し地図を読んでも、石の通路へ入ると距離の感覚が変わる。まして今日は私が班の地図係を担当する。自分が道を間違えれば、友達だけでなく引率の先生まで余計に歩かせることになる。


実習予定表には、川越石回廊の1階層にある分岐を2か所確認し、通った道と目印を記録するとあった。早く終われば2階層の入口付近まで降りてもよい。ただし、それを決めるのは先生だ。魔物を探す実習ではないので、見つけたときは距離を取り、勝手に戦わず報告する。


最初の分岐に鉛筆で印をつけたところで、教室の入口から声をかけられた。


「陽菜、もう始めてたんだ」


顔を上げると、同じ班の森川夏帆がいた。夏帆は鞄を自分の席に置くと、私の机までやって来た。


「昨日も見たんだけど、念のため」

「ここなら迷わないよ。前の実習で通ったじゃん」

「夏帆は覚えてるだろうけど、私は地図がないと不安」

「じゃあ、壁の番号も一緒に見よう。私も間違えて覚えてるかもしれないし」


夏帆が指したのは、地図に記された通路番号だった。前の実習でも、先生が小さな標識を見落としかけた私たちを呼び止めたことがある。私は地図を読むのが好きだが、目の前の景色を覚えるのは夏帆のほうが得意だ。


彼女は私の椅子の脇に置いた細長いケースにも目を向けた。


「今日もそれ持ってくの?」

「もちろん。支給された武器だからね」

「槍って運ぶだけでも大変そう。私の短剣なら鞄に入るのに」

「届く距離は長いんだけど、狭い通路じゃ扱いにくいよ」

「そういう場所こそ、気をつけないとね」

「うん。今日は使わずに済むのが一番」


私の得意武器は槍。初めてダンジョンに入った日に神から与えられた武器は、折れたり欠けたりしない代わりに、威力が高いわけでもない。学校に持ってくるときは穂先を覆い、専用のケースに収めている。長い荷物を毎回背負うのは少し面倒だが、短い武器を選び直せるわけではなかった。


始業のチャイムが鳴った。私は地図を畳んで机にしまった。夏帆は自分の席へ戻り、三浦先生が資料を抱えて入ってくる。


午前はダンジョン史と安全管理の授業だった。


黒板に書かれたのは、1986年、2001年、2007年の3つの年号。先生は最初の年号に丸をつけた。


「今日は、ダンジョンが現れてからの40年間に起きた大きな出来事を振り返ろう」


最初の写真には、町なかに現れた石の門と、それを囲む警察官が写っていた。道路標識も電柱も今と変わらない。そこに見慣れたダンジョンの入口だけが不釣り合いに立っている。


1986年、神が突然世界各地にダンジョンを出現させた。入口をくぐった人には、神から武器と得意分野が与えられたという。ただ、それで何もかも解決したわけではない。魔物の習性も、ドロップ品の扱いも、階層の構造も、人間にはほとんど分かっていなかった。


今では、学校で覚えるような基本的なことにも、最初は誰かが試して確かめた経緯がある。私は机にしまった地図を思い出した。今日の実習で歩く道も、先に調査してくれた人がいるから分かる。


次に先生が映したのは、4人の探索者が並んだ昔の新聞写真だった。


「2001年、パーティー『黎明』は蒼天竜域の120階層へ到達し、竜帝ヴァルグレオンと戦った。討伐には失敗し、4人とも死亡したが、これは通常の探索中の戦闘だ。全員が地上の入口近くに復活している」


神代咲雄、宮坂修司、高瀬陽介、宮坂志保。4人の名前は私でも知っている。全員が笑っている写真の下には、当時の新聞の見出しが残っていた。


2001年の戦闘映像は、今から探しても見られない。オラクルにアーカイブや切り抜きの機能が加わったのは2010年からで、それ以前のライブは後から保存できない。配信画面を別のカメラで撮ろうとしても、その映像や音声は記録されないのだ。だから先生が見せる資料も、当時の写真や記事になる。


続いて映し出された2007年の写真には、見覚えがあった。今でもニュースの特集でよく使われるもので、避難する人々が道路を埋め、建物の窓が何列も割れている。


「次は2007年の大災厄だ。神が起こしたイベントの中でも、とりわけよく知られている。神は世界各地のダンジョンで魔物を異常増殖させた。普段は魔物がダンジョンの外へ出ることはないが、このイベントでは地上へ出られるようになっていた。探索者たちは内部で討伐し、流出を食い止めようとしたが、数が多すぎて追いつかなかった。防ぎきれなかった魔物が入口からあふれ、街にも被害が及んだ」


先生は被害が大きかった地域を地図上で示した。


「ダンジョン内にはS級やSS級の魔物も現れた。多くの上級探索者が危険な場所で戦い、命を落とした。しかも、このイベントでは神が復活を認めなかった」


普段のダンジョンなら、魔物に殺されても入口付近に復活する。死ぬときの苦しさを経験するうえ、装備や持ち物の一部を失い、その後72時間は入り直せない。それでも生きて帰ってこられる。2007年の大災厄では、それができなかった。


何度も聞いた話だが、写真を見るたびに喉の奥が重くなる。当時の探索者は、目の前の魔物を逃がせば地上の人が危ないと知っていたのだろう。その犠牲の上で、救われた命も多かったはずだ。


「では、地上へ流出が始まったあと、避難を決めるのは誰だった?」


先生の問いに、前の席から手が上がった。


「地域の自治体です。警察や消防も対応します」

「そう。ダンジョン庁だけがすべてを決めるわけじゃない。防衛する探索者、避難を進める人、病院で受け入れる人が、それぞれの仕事をしなければならなかった」


授業では、あの災害をきっかけに見直された避難計画も扱った。私の住む地域の訓練でもダンジョンからの魔物流出を想定している。毎年見てきた避難経路の地図が、急に別のものに思えた。


先生は最後に、同じ死でも通常の探索と神のイベントでは条件が違う場合があると確認した。復活できるかどうかも、帰還できるかどうかも、イベントごとに決まる。知っているルールを別の場面に勝手に当てはめてはいけない。それは今日覚えたというより、繰り返し教えられている大事なことだった。


昼休み、食堂でカレーを食べていると、夏帆と柳瀬直樹がやって来た。直樹は同じ班の記録係で、鞄から実習予定表を出して席に置く。


「午後、2階層に降りられるかな」

「1階層の課題が終わって、時間が残ればね。先生次第だけど」

「行けたら、入口の目印も写真に撮っておきたいんだ」

「いいね。階段も一緒に写せたら、あとで場所が分かりやすそう」

「それなら少し引いて撮ってみるよ」


直樹は予定表の余白に撮影の予定を書き足した。前の実習でも、報告書を書くときは直樹の写真に助けられた。


夏帆はカレーを一口食べてから、スマホのオラクル画面をこちらに向けた。


「昨日の『星彩』、ここ見た? 玲奈さんが後ろの人に合図するところ」

「見た。天城澪が大きい魔法を撃った直後だよね」

「そうそう。みんな澪さんの魔法の話をしてるけど、あの瞬間に位置を入れ替えてるのが好きなんだ」


画面では、宮坂玲奈が仲間へ短く指示を出し、離れていた2人が互いの位置を確かめて動いていた。私は昨日、雷魔法のあとの敵の様子ばかり見ていたので、こういう動きには気づかなかった。


「夏帆、こういう場面をよく見つけるよね」

「自分が大きい魔法を撃てるわけじゃないから、せめて周りをちゃんと見られるようになりたくて」

「じゃあ、午後も通路の番号を頼りにしてる」

「陽菜も地図を見るんでしょ。一緒に確認すればいいよ」


私は頷いた。夏帆は地形を覚えるのが早いし、私は紙の地図と照らすほうが得意だ。お互いに確かめ合えるほうが安心できる。


午後は学校の実習車で川越石回廊へ向かった。三浦先生が私たち3人を担当し、ほかの班には別の先生がついている。


入口の手前で装備の確認をする。学校指定の防具に灯り、飲み水、救急用品。槍の穂先には覆いをつけ、ケースの留め具も締め直した。肩にかけると少し右へ寄るが、歩くのに支障はなさそうだ。


「今日は地図読みだ。魔物を見つけても追いかけない。やむを得ず戦うことになったら、私の指示に従うこと。経路は大庭が確認し、森川も目印を見る。柳瀬は記録を頼む」

「はい」


3人で返事をすると、先生は予定表の分岐を私に確認させた。私は入口から最初の分岐、次の分岐、帰りの道順を指で示す。先生は頷き、団体用の端末で事前登録された私たちの入場を確認した。ゲートの表示が青に変わると、先へ進むよう手で示した。


何度入っても、入口の前では少し緊張する。初めての日は槍を受け取ったことばかり覚えているが、それからレベルも少し上がった。私は自分のステータスを呼び出した。


《本人レベル:6》

《MP:147/147》

《得意武器:槍 攻撃補正+20%》


先週上がったばかりのレベル6。MPはあるけれど、まだ魔法を覚えていない。いま頼りになるのは学校で練習した足運びと、槍の扱い方くらいだ。今日必要なのは、まず落ち着いて道を確かめることだと自分に言い聞かせた。


入口をくぐると、オラクルのライブ開始を知らせる表示が視界に現れた。ダンジョンに入った人の配信は自動で始まり、自分では止められない。私は少し後ろから撮る視点を選んでいる。後で自分の姿を確認しやすいからだ。


石の通路は外よりひんやりとしていた。壁には淡く光る鉱石が混じり、学校から持ってきた灯りの光がその表面を滑る。私が先頭を歩き、夏帆と直樹、それから最後尾の先生が続く。地図と壁の番号を見比べながら進んだ。


最初の分岐では予定どおり右へ進む。夏帆も向こうの壁にある番号を確認した。


「右で合ってる?」

「うん、目印も地図と同じ」


私は分岐の番号を記録し、直樹が写真を撮るのを待った。そこから緩い坂を下りると、地図では近く見えた次の分岐まで、思いのほか時間がかかった。


2つ目の分岐は、通路の曲がり具合が地図より分かりにくかった。夏帆は左へ行けそうだと言ったが、私は一度立ち止まった。壁の番号を探して、少し先まで視線を送る。番号を確かめると、左側の通路で合っていた。


「ここも左でいいね」

「私、確認せずに曲がるところだった。助かった」

「先生に止まれって言われる前に気づけてよかった」


直樹が2つ目の番号を撮り、私は地図にチェックをつけた。これで1階層の課題は2か所とも終わった。先生は私たちの記録を見てから、曲がり角から離れた少し広い場所で休憩を取ることにした。


水を飲みながら肩を回すと、槍のケースがまた右へずれた。背中の留め具をいじっていると、直樹が声をかける。


「その留め具、少し緩いんじゃない?」

「やっぱり? 坂を下りるときにずれてた」

「上のほうを締めれば、背中に寄ると思う」


試しに締め直す。夏帆が「さっきより真ん中に寄ったよ」と言ってくれたが、自分では見えない。そこで私はスマホでオラクルを開き、自分のライブを表示した。


画面には、少し後ろから映した自分が立っている。ケースはまだ右へ傾いていた。私はスマホを見ながら肩紐の位置を動かした。今度は画面の中でもケースが背中へ収まり、肩を上げなくて済む。


「こうなってたのか。自分じゃ見えないもんだね」

「これならさっきより歩きやすそう」と夏帆。

「うん。ありがとう」


画面の隅には、視聴者が2人いると表示されていた。母が見ているのかもしれない。そうでなくても、誰かがこうして私の姿を眺めている。生まれたときからオラクルがある世代なのに、自分が見られる側になると少し気恥ずかしい。


スマホをしまい、数歩歩いてみた。ケースは前ほど横へ揺れず、足元も見やすかった。先生がそれを見て、私たちの記録をもう一度確かめる。


「1階層の確認は終わったな。予定より時間もある。2階層へ降りて、入口付近の目印だけ確認したら戻ろう。それ以上は進まないぞ」

「はい」


階段へ向かう途中、奥から2人の探索者が上がってきた。私たちは壁側へ寄って道を譲る。相手は軽く頭を下げ、入口の方へ歩いていった。大きな荷物を背負っていても足取りが軽い。


「あんなに荷物があるのに、歩くの速いね」

「ほんと。私ならあんなに身軽に歩けないな」


私は地図へ目を戻し、階段までの位置をもう一度確かめた。


階段を下りると、2階層の入口から短い石の通路が見えた。壁の色は1階層より濃く、足元には細かな砂が落ちている。指定された目印は階段を下りてすぐの壁にあり、先生の指示どおり私たちはそこから先へは進まなかった。


直樹は階段と目印が一緒に入るように写真を撮り、私は階段の位置を地図に記入した。記録を見た先生が帰還を指示する。


「ここまでで十分だ。戻ろう」


帰りは、私が2つの分岐を順番に説明することになっている。予定表の欄にチェックをつけると、朝から続いていた緊張が少しだけゆるんだ。


地図を畳もうとした、そのときだった。


視界の中央に、見覚えのない大きな文字が浮かぶ。


《緊急イベント告知》

《イベント名:拠点防衛戦》

《対象ダンジョン内の探索者は全員強制参加》

《本イベントでの死亡:復活可能》


最初は、何を読んでいるのか分からなかった。さっきまで帰りの道順を考えていた頭が、そこだけ空白になったようだった。


「……先生?」


夏帆も同じ表示を見ている。直樹はカメラを下ろしかけた姿勢で止まり、先生だけがすぐに私たちへ向き直った。


「全員、その場にいろ。続きの表示を確認するんだ」


先生の声で、私はようやく文字へ視線を戻した。


《参加者を特別ダンジョンへ転移させます》


口を開くより先に、足の裏から石の感触が消えた。壁も階段も、先生の姿も、いっぺんに遠ざかっていく。


私は畳みかけた地図を握りしめた。自分の足がどこにあるのかさえ、もう分からなかった。

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