第1章10 先生役は柄じゃない(後編)
~陽菜side~
教室のあちこちで、椅子のきしむ音がした。前の席の学生も、後ろの席の学生も、神代さんの次の言葉を待っている。
さっきまでは、タイタンとの戦い方について質問が続いていた。けれど今度は、旧『黎明』の話だ。私も思わず身を乗り出してしまう。
歴史の授業で見た新聞写真には、若い頃の神代さんを含む4人が並んで写っていた。宮坂総理も、高瀬会長も、うちの学校の理事長も、その写真の中ではみんな探索者だった。
「じゃあ、意見が割れたときは誰が決めてたんですか?」
直樹が尋ねた。
「修司が決めることは多かったですね。昔から、先頭に立つのが好きなやつでしたから。ただ、何でも修司の言うとおりだったわけじゃありませんよ」
「高瀬会長も反対したんですか?」
「よくしましたよ。高瀬は慎重でしたからね。あいつが引き返そうと言えば、修司も理由はちゃんと聞いていました」
「神代さんは?」
「俺ですか? 俺も好き勝手に言っていましたね。こっちの道を見てみたいとか、あの魔物と戦ってみたいとか」
神代さんは楽しそうに笑った。
「修司も俺も先へ行きたがるものだから、高瀬にはよく怒られましたよ。志保にもね」
教室に笑いが起きる。
総理大臣を「修司」と呼んで、昔は怒られたなんて話をする。あの日、一緒に戦った神代さんと、ニュースの中の宮坂総理が同じ時代を過ごしていたことが、少しだけ実感できた。
「宮坂理事長って、昔はどんな方だったんですか?」
窓際の学生が手を挙げた。
「今とあまり変わりませんよ。優しくて、よく周りを見ている人でした。治癒も結界も志保が頼りでしたしね」
「怒ったりもするんですか?」
「しますよ。本気で怒ったときほど、何も言わなくなるんです」
「えっ」
「修司も、志保が黙るとちゃんと気づきましたからね」
今度はさっきより大きな笑い声が上がった。三浦先生まで口元を押さえている。
行事で見かけた理事長は、いつも穏やかに笑っていた。神代さんの話を聞いていると、あの人にも私たちの知らない顔がいくつもあるようだった。
「じゃあ、竜帝と戦ったときも、そうやって4人で動いたんですか?」
少し後ろの席から声がした。
笑い声が静まる。
竜帝ヴァルグレオン。
蒼天竜域の120階層にいるSSS級モンスター。旧『黎明』の4人は、25年前、そこまでたどり着いて全員が死亡した。通常の探索中の戦闘だったため、4人とも地上の入口付近に復活した。それでも、竜帝は倒せなかった。
授業では、そう教わった。けれど、そこでどんな戦いがあったのかは知らない。
神代さんは少しだけ天井を見上げた。
「そうですね。あのときも4人で役割は決めていました。ただ、思ったとおりにはいかなかったなあ」
「やっぱり、すごく強かったんですか?」
「ええ。強かったですよ。俺たちも、それなりに自信はあったんですけどね」
神代さんの声は、それまでと変わらず穏やかだった。
「よく覚えているのは、あいつが飛び上がったときです。修司が正面へ出ている間に、俺は横から回り込みました。大きな相手でしたから、少しでも攻撃できる場所を探さないといけませんでした」
私は先日のタイタンを思い出した。大きな相手の足元へ入り、長い武器で攻撃を続けていた神代さんの姿だ。
「刃は何度か届きましたよ。硬い鱗に当たった感触も覚えています。けれど、こちらが攻め続けられる相手じゃなかった。高瀬が『上だ!』と叫んだんです。顔を上げたときには、竜帝はもう翼を大きく広げていました」
「飛んだんですか?」
「ええ。すぐ目の前にいた巨体が、風を巻き上げながら離れていった。修司も俺も、ついさっきまで刃の届いていたところに、もう相手がいないんです」
神代さんは、片手を少し持ち上げてみせた。
「飛ぶことは分かっていましたよ。竜ですからね。でも、実際に目の前で動かれると、あの速さについていくのが難しかった。顔を向け直している間にも、向こうは位置を変えてしまう。羽ばたく風もすごかったですしね」
後ろの席の学生が、小さく息を呑んだ。
「そのあと、上からブレスが来たんです。さっきまでいた場所を離れようにも、竜帝は空中で動き続けている。志保が結界を張ってくれたおかげで、俺たちは攻撃の届くところから離れられました。正面から全部受け止められるような攻撃じゃありませんでしたからね」
「じゃあ、結界で守ってもらいながら戦ったんですか?」
「ええ、でも、ずっと守ってもらえるわけじゃありません。その間にも竜帝は動くし、こちらも攻撃しなきゃいけない。修司と俺がまた前へ出ても、相手は地上にいるとは限らない。高瀬の警告がなかったら、危なかった場面も何度もありました」
黒板には、ついさっきまでのタイタン戦の図が残っている。
あのときの神代さんは、巨人を柱から遠ざけて、自分で相手を引き受けた。けれど、竜帝は地上に留まってくれる相手ではなかったらしい。
「高瀬会長は、どこから竜帝を見ていたんですか?」
直樹が訊いた。
「ずっとどこにいたかは、俺にも分かりません。声が聞こえたときは、俺も竜帝の方を見ていましたから。あとで高瀬から聞いた話と、自分で見たものが混ざっているところもあるでしょうね」
そう答えると、神代さんは少し首を傾けた。
「でも、高瀬の声はよく覚えていますよ。何度も助けられましたから」
「それで……神代さんが倒されたときは、何が起きたんですか?」
質問した学生は言い終えてから、少し気まずそうにした。
みんな、4人が全員死亡したことは知っている。それでも、そのときの様子を聞きたかったのだと思う。
神代さんは気にした様子もなく答えた。
「最後に覚えているのは、竜帝がまたこっちを向いたところですね。まだ距離はあると思って、俺は剣を構え直しました。ところが、次に見たときには、竜帝の顔がずっと近くにあった。剣を上げようとしたところで、記憶が途切れているんです。目が覚めたら、ダンジョンの入口近くでした」
「ほかの3人が倒れたところも、見たんですか?」
「いえ、全員は見ていません。俺だって途中でやられていますからね。復活してから顔を合わせて、ああ、4人とも負けたんだなと」
神代さんは、そこで小さく笑った。
「修司はずいぶん悔しがっていましたよ。もちろん俺も悔しかった。あれだけ準備して、4人で行って、手も足も出なかったとは思いませんけど……勝てなかったんですから」
教室が静かになった。
あの神代さんが、仲間と一緒に戦っても勝てなかった相手。
SSS級という文字は教科書で見ていた。でも、今聞いた話の方が、ずっと怖かった。
「もう1度挑もうとは思わなかったんですか?」
別の学生が訊いた。
「もちろん、また行きたいとは思いましたよ。負けっぱなしは嫌ですからね。でも、120階層まで戻るだけでも大変です。それに、もう1度行ったからって勝てる相手でもない。あのときは、どうしたら勝てるのか分かりませんでした」
さっきまで質問していた学生たちも、しばらく黙っていた。
「その戦いのあと、『黎明』は解散したんですよね?」
「ええ。でも、負けたから仲違いしたわけじゃありません。みんな、それぞれ進む道が変わったんです。4人で同じダンジョンへ通うことはなくなりましたけど、付き合いまで終わったわけじゃありませんよ」
「今でも、連絡を取ってるんですか?」
「ええ。高瀬は相変わらず小言が多いですよ。俺が何かすると、すぐに連絡してきますからね」
神代さんが困ったように笑うと、教室にも笑い声が戻った。
「そろそろ時間ですね」
三浦先生が時計を見た。
「まだ質問したい人もいると思いますが、今日はここまでにしましょう。神代さん、ありがとうございました」
「こちらこそ。昔話まで長々としてしまいましたね」
神代さんは頭を下げた。
「普段、人前でこんなに話すことはありませんから、少し疲れましたよ」
教室から拍手が起きる。私も両手を叩いた。
講話が終わると、あちこちで話し声が上がった。
「竜帝って、そんなに速いのか」
「結界があっても、勝てなかったんだよね」
「理事長が怒ると黙るって話、聞いちゃったよ」
「陽菜、どうだった?」
夏帆がノートを閉じた。
「聞けてよかった。タイタンのときのことも、昔の『黎明』のことも」
「竜帝の話、怖くなかった?」
「うん。でも、神代さんが自分の負けたところまで話してくれるとは思わなかった」
夏帆も小さく頷いた。
「私は志保理事長の結界の話が気になったな。あんな相手から仲間を守りながら動くなんて、すごいよね」
「高瀬会長の声を覚えてるって話もさ」
直樹が会話に入ってきた。
「25年前のことなのに、そこは覚えてるんだなって」
「ずっと一緒に戦ってきた人の声だもんね」と夏帆が言った。
私は、教室の前にいる神代さんを見た。三浦先生と何か話していて、さっきと同じように笑っている。
「昔の新聞写真、覚えてる?」
私が言うと、直樹が頷いた。
「授業で見た、4人が並んでるやつ?」
「うん。あの写真、また見てみたくなった」
直樹は教室の前にいる神代さんを見た。
「……そうだ。俺たちも写真、撮ってもらえないかな」
「神代さんと?」
「うん。せっかく来てくれたんだし。駄目なら諦めるけどさ」
神代さんはまだ教室にいた。三浦先生と話し終わるところのようだ。
「聞いてみようよ」
夏帆が立ち上がった。私も鞄を椅子に置いて、2人の後を追った。
「あの、神代さん」
声をかけると、神代さんがこちらを向いた。
「大庭さん。何か聞き忘れましたか?」
「いえ。今日のお話、ありがとうございました。すごく面白かったです」
「それはよかった。昔の失敗までしゃべってしまいましたけどね」
直樹が私の横から前へ出た。
「神代さん、よかったら一緒に写真を撮ってもらえませんか?」
「写真ですか?」
「はい。僕たち3人と」
神代さんは少し驚いた顔をした。
「俺と撮っても、あまり面白くないと思いますけど」
「そんなことないです!」
思ったより大きな声が出た。
「……あ、すみません。でも、記念に残しておきたいんです」
神代さんは私たちを見回して、笑った。
「それなら、もちろん。どこに立てばいいですか?」
直樹がスマートフォンを取り出すと、三浦先生が声をかけてくれた。
「撮りましょうか?」
「お願いします!」
教室の前に4人で並んだ。私が神代さんの隣に立ち、反対側に夏帆と直樹が並ぶ。
「では、撮りますよ」
三浦先生がスマートフォンを構える。
カメラの方を向くと、隣の神代さんも穏やかな顔で笑っていた。
撮影音が鳴った。
三浦先生からスマートフォンを受け取った直樹が、画面を見せてくれた。
「ちゃんと撮れてる」
「直樹、目つぶってない?」
「つぶってないって。ほら」
夏帆に言われて直樹が画面を拡大する。確かに目は開いていて、私は笑ってしまった。
「あとで2人にも送るよ」
「ありがとう、直樹」
私と夏帆が礼を言うと、直樹は頷いた。
「神代さんも、ありがとうございました」
「どういたしまして。じゃあ、皆さん。実習、頑張ってくださいね」
神代さんは軽く手を振り、三浦先生と教室を出ていった。
廊下から、次の授業へ向かう学生たちの足音が聞こえてくる。
「写真、送っといたよ」
直樹の声でスマートフォンを開いた。
画面の中には、さっき並んで撮った4人がいる。
歴史の授業で見た新聞写真には、神代さんが昔の仲間3人と並んでいた。あの写真の4人が、どんな相手と戦ったのか。今日、ほんの少しだけ知ることができた。
今、私のスマートフォンには、神代さんが私たちと並んだ写真がある。
「陽菜、次の教室行こう」
夏帆が鞄を肩にかけた。直樹も荷物をまとめている。
「うん。今行く」
私は画面を閉じ、スマートフォンをしまった。
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