この世界 4
現在、簡易リング上ではボクシングさながらの格闘戦が行われていた。
相対する男達は、息つく暇もなく、互いに拳を突き合わせている。
両者共、悪くない動きだと、この選考会の主催者たるパトリック・シュトラウスは思った。
選考会の開始から既に数刻は経っていたが、ここまでのところ、今回の選考会は豊作とも言えた。
とりわけ、リハルド・サラミスは特筆すべき人材であり、初戦の不戦勝は仕方がなかったとはいえ、それ以外の取り組みでは目を見張るような、圧倒的な実力を発揮し、シュトラウスを唸らせたのは言うまでもない。
その男を一言で表すならば、魔獣だ。
相手を完膚なきまでに叩き潰し、そこには一切の情けなどない。
まるで血に飢えた獣だ。
戦士としては文句のつけようのない人材だったが、しかし治安を担う衛士となるには些か疑問は残ったが、その考えは彼を取り巻く騎士団幹部たちのどよめきによって霧散した。
シュトラウスは、狂犬と呼ばれるに相応しい男であるリハルドの姿を反芻しつつも、目の前の戦いに視線を戻す。
そこには黒髪の男が対戦相手の男を地べたで、ねじ伏せるように拘束している様子があったのだ。
「い、いでででででっ!!」
黒髪の男、紀寺大和に関節技である腕挫十字固を極められた男はその痛みに悶絶しながら叫ぶ。
「ま、参った!参ったからやめてくれ!」
「両者、そこまで!」
この様子を終始見ていた試験官が大和と男の間に割り込み、制止した。
大和は技を解くと、その場に立ち上がり、着衣の乱れを直した。
そんな大和に向けて、先程まで地面で悶絶していた男が息も絶え絶えに口を開いた。
「おいお前っ 今のは反則だろっ! この試験は徒手格闘だけなはずだ!」
男はそう指摘しながら、試験官のほうへ視線をやった。
対する試験官は困惑した表情を浮かべ、その視線を幹部たちのほうへやる。
指示を仰いでいるのだ。
やれやれ、とシュトラウスは溜息を吐きながら、口を開く。
「確かにこの試験の要旨は徒手格闘であるが、キデラがお主を屈服させた技が反則であるかは、否である。そもそも、本試験においては素手であれば、相手を殺害せしめるような行為以外はいかなる技を行使しても良い。その点を鑑みてもキデラが反則を犯したとは言えぬのではないか?」
彼がそう言い切ると、対戦者の男は低く唸るだけで、反論しなかった。
この様子を決め手だとした試験官は、大和へ右手を差し向ける。
「ただ今の試験、キデラ・ヤマトの勝利!」
その宣言を受けた大和は、相手の男に深く一礼すると、足早にリングから降り立っていく。
そんな大和の姿を見つつ、騎士団幹部たちはひそひそと雑談を交わした。
「さっきの技を見たか? あの巨漢の体がいとも容易く宙を舞ったぞ。」
「ああ、それよりもあの拘束技だ。あんな技、これまで見たこともない。」
そんな幹部たちの雑談を聞きながら、シュトラウスも先程の大和の試合を思い起していた。
当初は大和も相手の男も完全に出方を伺う消極的なものだったが、何度かの拳の応酬の後に、男の一瞬の隙を突いた大和が、相手の男を背負って投げ飛ばしたのである。
そこからは大和の独壇場となったのは言うまでもない。
最初こそ、やきもきするような試合運びだったが、大和は常に相手の出方を伺い、隙を探していたのだ。
相手が誰であれ、決して油断しない。
そんな彼の姿勢に、シュトラウスは軽く口元を緩めていた。
やはりこのキデラという男、何かしらの鍛錬を積んでいる。
奴がこのまま順調に試験をこなしていけば、何やら面白くなりそうだ。
そう思った老齢のシュトラウスは楽し気な表情を浮かべ、長い顎鬚を撫でた。
◇
選考会も終盤を迎えつつあった。
午前の部、一次審査である徒手格闘は既に終了し、大和は昼食を摂るべく練兵場の隅にある小屋の軒下にいた。
昼食は騎士団側が用意した賄い物で、固パンに芋の入ったスープというものだった。
そんな質素な食事を摂りつつ、大和は午前の審査を思い返していた。
結果として、大和は午前の部である徒手格闘審査を見事通過していた。
合計2戦したのだが、決め手はいずれも得意とする柔道の技だった。
この世界では余り柔道のような投げ技というものが浸透していないのか、いずれの対戦相手も打撃技しか使ってこなく、大和にとってしてみれば、比較的優しいものに感じられた。
警察学校時代、柔道を専攻していて良かったと、彼は改めて実感していた。
しかし大和は今後の審査である午後の総合試験に幾許かの不安を感じていた。
何故なら、総合試験というのは実際に剣や槍などの使用する実戦を想定した試験であり、この選考会においては主催者側も参加者側もこちらが本命だと捉えているからだ。
この世界では当然だが、刀剣を扱うことに慣れたものが多く、対する大和にしてみれば柔道の合間を縫って練習した剣道の少しの心構えしかない。
その他、逮捕術訓練で使用する警棒や警杖、この世界で言うところのこん棒や槍を嗜んだ程度であり、実戦に関して言えば先日の野盗を相手にしたものくらいだ。
そう考えると、自身の不利が目に見えて分かってきたものであるが、ここまで来て諦めるわけにはいかない。
この衛士という身分を手にすることが出来れば、何かしらの道が拓けるはずだ。
そうすればきっと元の世界に帰る手がかり、女神のオーダーを完了させるヒントが見つかるかもしれない。
大和はそう決意を改め、手に持ったパンを口に放り込み、咀嚼する。
「貴方、キデラだったよね?」
「?」
パンを咀嚼していた大和に差し掛かる人影。
その問いかけに、大和は首を左へ曲げると、そこには赤毛の女が立っていた。
赤毛の女は柔和な笑みを浮かべつつ、言葉を続ける。
「私、サハラ。サハラ・グレット。隣、良い?」
大和が返事をする暇を与えず、サハラと名乗った女は大和の隣に腰を下ろすと、手に持ったパンをチマチマと齧り始める。
大和は驚いた様子でサハラを見詰めていたが、少しすると自分も残ったスープを口に運ぶ。
そして行儀悪くも、スープを啜りながら口を開いた。
「君もこの選考会に?」
「サハラで良いわ。...うぇ、このパンまっずーい。」
サハラはそう言いつつ、スープでパンを流し込み一気に飲み込む。
「はあ、なによ、このパン。私の家が作ったパンならこうはならないのに。」
「...」
サハラは大和の問いかけに応えることなく、パンの感想を述べる。
そんな彼女を大和は訝し気に見詰めた。
大和のその視線に気づいたサハラは牙のように尖った八重歯を覗かせてはにかんだ。
「あ、ごめんごめん。そう、私もこの選考会の参加者。ね、貴方強いのね。さっきの試合凄かった!」
「あ、ああ。ありがとう。」
「そんなに強いのなら騎士団に応募すればいいのに。って、最近は騎士団の募集がないんだっけか。ところで、何で貴方は衛士になろうと思ったの?」
食い気味のサハラに大和は困惑する。
なんなんだ、この子は?
見たところ俺よりも年下っぽいが、それにしても人懐こい子犬みたいな奴だな。
と、目の前の赤毛の女の子にそんな感想を抱きつつ、大和は質問に答える。
「...うーん。何というか、この国で真っ当に生活できる身分が欲しいから、かな。」
「ふーん、なるほどね。」
対するサハラは特に意に介した様子もなく相槌を打つに留まる。
食い気味に質問してきたくせに、感想はそれだけか。
そう思った大和だったが、その思いを口に出さなかった。
そう思えたのは、彼女は興味本位で質問した程度であり、彼の事情を詮索しようと考えての言動ではないと思えたからだった。




