第7章 いつから「シリーズ」ではなく「IP」になったのか
ここまで考えてきて、最初の疑問に戻る。
昔は「シリーズ」と呼んでいたものを、なぜ今は「IP」と呼ぶことが増えたんだろう。
もちろん、「○○シリーズ」という言葉がなくなったわけではない。今でも普通に使うし、作品同士のまとまりを表す言葉としては、その方が分かりやすいことも多い。
仮面ライダーシリーズ、ウルトラシリーズ、ガンダムシリーズ。
それで何も困らない。
それなのに、企業の発表や業界の記事を読むと「IP」という言葉がやたら出てくる。
最初は単に、最近流行っているビジネス用語なんだろうと思っていた。
でも、ここまで見てきたことを考えると、それだけでもなさそうだ。
「シリーズ」と言ったとき、中心にあるのはやはり作品だと思う。
ひとつの作品があって、その続編がある。あるいは同じ名前を持った別の作品が続いていく。そのまとまりをシリーズと呼ぶ。
一方で「IP」という言葉を使った瞬間、作品だけではなくなる。
テレビ番組がなくてもいい。映画がなくてもいい。ゲームや玩具、イベント、キャラクター商品だけが動いている時期があってもいい。
もっと言えば、今は何も新作がなくても、「また使えるもの」として価値が残っているなら、それもIPとして存在している。
この感覚は、昔の「シリーズ」という言葉だけでは少し表しにくい。
ガンダムを例にすると分かりやすい。
新しいアニメを作ることもガンダムの展開だし、ガンプラを売ることもそうだ。ゲームを作ることも、イベントを開くことも、海外で展開することも、全部「ガンダム」という大きなものの一部になる。
そこで中心にあるのは、特定の一本のアニメではない。
「ガンダム」という名前そのものだ。
企業の側から見れば、これは作品というより、長期的に価値を生み出す資産として扱った方が分かりやすい。
だから「IPを育てる」という言い方になる。
少し身も蓋もない話をすれば、作品を作品として見るだけではなく、何十年にもわたって価値を生み出せるものとして管理するようになった、ということなんだと思う。
ただ、それを悪い意味に取る必要もない。
企業が長く使えるものとして考えるからこそ、新作が作られる。古い作品が掘り起こされる。昔のファン向けの商品も出るし、新しい世代の入口も作られる。
パトレイバーのように、長く大きな動きがなかった作品が何十年後にまた映像化されるのも、「今でも使える価値がある」と判断されているからだ。
ファンの立場からすれば少し味気ない言い方だけれど、IPとして価値が残っているというのは、作品が忘れられていないということでもある。
そう考えると、「シリーズ」から「IP」へ言葉が変わったというより、見ている範囲が広がった、と考えた方が近いのかもしれない。
昔から、やっていること自体は似ていた。
玩具も売った。映画も作った。漫画にもなった。ゲームにもなった。
メディアミックスも、キャラクタービジネスも、ずっと前からあった。
ただ、それらを一つ一つ別の展開として見るのではなく、全部まとめてひとつの大きな資産として考えるようになった。
その考え方を表すのに、「IP」という言葉が便利だった。
たぶん、そういうことなんじゃないだろうか。
だから俺たちも、いつの間にかその言葉を使うようになった。
昔なら「このシリーズまだ続いてるの、すごいな」と言っていたところを、今なら「このIP強いな」と言う。
やっていることは似ているのに、そこに含まれている意味は少し違う。
そう考えると、最初に感じた違和感にも、ようやく説明がつく気がした。




