第6章 番組を終わらせても、IPは終わらない
スーパー戦隊のことを調べていて、ようやく今回の話の中心が見えてきた気がする。
長く続くIPというのは、ずっと同じ形で作品を作り続けることではない。
むしろ、必要なら形を変える。場合によっては、一度終わらせる。
それでも名前や世界観、キャラクターの記憶が残っていれば、また別の形で戻ってくることができる。
考えてみれば、これはスーパー戦隊だけの話ではない。
ウルトラマンもそうだ。
今でこそ毎年のように新しい作品が作られているけれど、ずっと途切れずテレビシリーズが続いてきたわけではない。長い空白の時期があった。それでもウルトラマンという名前が消えたわけではなく、再放送や玩具、イベントなどを通して残り続け、また新しい作品を作ることができた。
ゴジラも似ている。
毎年映画が作られていたわけではないし、長い休止期間もある。それでも「ゴジラ」という名前そのものは消えない。新作が発表されれば、それだけで大きな話題になる。
パトレイバーもそうだった。
新作がない時期がかなり長くあっても、作品そのものが完全に忘れられたわけではなかった。だから何十年経っても、また新しい映像作品を作ることができる。
こうして並べてみると、長寿IPにとって本当に大事なのは、毎年何かを出し続けることではないのかもしれない。
もちろん、新作が定期的にある方がファンとの接点は保ちやすい。商品も売れるし、新しい世代にも知ってもらえる。
でも、続けることそのものが目的になってしまって、作品の質や商売としてのバランスが崩れるなら、いったん休むという選択肢もある。
むしろ、休んでも戻ってこられる方が強い。
そう考えると、「シリーズ」と「IP」の違いがまた少し見えてくる。
シリーズという言葉には、どうしても作品が連続しているイメージがある。
前作があって、次があって、その次がある。
でもIPは、必ずしも連続していなくてもいい。
十年空いてもいい。二十年空いてもいい。その間に映画がなくても、テレビがなくても、ゲームや玩具やイベントだけで残っていてもいい。
重要なのは、次に何かを作ろうと思ったときに、もう一度立ち上がれることだ。
この「また始められる」という力は、かなり大きい。
スーパー戦隊が毎年のテレビシリーズをやめたことも、そう考えると少し見え方が変わる。
もちろん、これからどうなるかはまだ分からない。今後また従来型のスーパー戦隊が復活するかもしれないし、PROJECT R.E.D.のような別の形が中心になるかもしれない。
ただ、少なくとも「毎年50話近い戦隊を作らなくなった=スーパー戦隊そのものが終わった」と考える必要はなさそうだ。
番組は終わる。
シリーズの形も変わる。
でも、IPは残せる。
そして残っていれば、また別の作品を生み出せる。
ここまで来ると、最近企業が「作品」よりも「IP」という言葉を使いたがる理由も、少し分かる気がする。
一つの作品の寿命だけではなく、その名前を十年後、二十年後、もっと先までどう生かすか。
見ている時間が、ずいぶん長いのだ。




