カイラード②
やがて時が経ち、カイラードはユーリスたちより一足先に学園へと入学した。
そこは、彼にとって予想もしなかった救いの場となった。
生まれ育った王宮のように常に弟の影に怯え、陰口に耳を塞ぐような息苦しさはそこにはなかった。周りにいるのはごく普通の年相応の貴族の学生たちばかり。
王子という立場から幼いころから高度な教育の叩き込まれていたカイラードは一般の学生たちの中に混ざってみると思ったよりもずっと出来が良かった。
王宮の教育係たちが過剰に忖度していたわけではなく、ただ、弟のユーリスと婚約者のアルティエの二人が異常なまでに優秀すぎただけだったのだ。
「殿下、今の法律の解釈見事でしたね!」
「この数式の解き方、教えていただけますか!」
「殿下の教え方わかりやすいのでこの教科もぜひお願いします」
周囲から向けられる言葉に、皮肉や侮蔑の色はない。
カイラードは初めて自分の努力が正当に認められる喜びを知った。
そうして生徒会に参加し、将来の自分の手足となり一緒に国を支えてくれるであろう本当の友達もできた。
ユーリスも、アルティエもいない学園。
自分の心をすり減らす二人がいないその場所はカイラードにとって生まれて初めて心から楽しいと思える場所になった。
けれど楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、一年後、ユーリスとアルティエが学園に入学してきた。
二人の圧倒的な優秀さは瞬く間に学園中に広まった。試験の成績、剣術の試合、社交の場での立ち振る舞い、何をとっても完璧な二人の陰に隠れ、カイラードの存在感はまたしても薄まっていく。
王宮で味わったあの息苦しい日々が再び彼を飲み込もうとしていた。
唯一の救いは、彼らが王族や高位貴族が固まるのは好ましくないと、生徒会に入ってこなかったことだ。そのおかげで生徒会室だけはカイラードにとっての聖域であり続けた。
代わりにその聖域に入ってきたのはカリナ・イルム男爵令嬢。
ふわふわとしたピンク色の髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ水色の瞳。小動物のように可愛らしい容姿の少女だった。
彼女はその人懐こい性格で、カイラードたちとの距離をあっという間に縮めてきた
「カイラード様って物知りですね、尊敬しちゃいます」
生徒会室で書類を整理している時、カリナは無邪気に目を輝かせてそう言った。
王子へつらうわけでもなく、義務的な相槌でもなく、まっすぐな言葉はカイラードの胸に心地よく染み渡った。
「ユーリス様やアルティエ様は、確かにとても優秀です。でも…あまりに遠すぎて、私たち下位貴族にはお気持ちが分かりませんわ。……だけどカイラード様は違います。いつも私たちと同じ目線で、優しく寄り添ってくださる」
カリナはカイラードの手元に温かいお茶を置きながら、そっと微笑んだ。
「私はカイラード様の方が立派な王様になると信じてます」
その言葉はカイラードが何よりも欲していた救いそのものだった。
カリナはカイラードの心の一番深いところにあるドロドロとした暗いコンプレックスを優しく紐解いていく。
弟への劣等感や婚約者からの拒絶によって、長年冷たく凝り固まっていた彼の心が彼女の甘い言葉によってみるみるうちに融かされていく。
カリナという存在は、いつしかカイラードにとって暗闇を照らす唯一の光のようになっていった。
カイラードだけでない。側近となるべく友人たちも高位貴族の嫡男としての重圧や、優秀な兄弟への劣等感など、何かしらのコンプレックスを抱えて生きていた。
カリナは彼らの傷口にもそっと触れその頑なな心をいとも簡単に紐解いていった。
「カリナは本当に良い子だな」 「彼女といると、自分が自分でいていいと思えるんだ」
生徒会室はいつしか、カリナを中心とした温かい空間に包まれていた。
その間も、婚約者であるアルティエはカイラードに一切近づいてこなかった。
かといってユーリスとも適切な距離感を保っており周囲に勘繰られるような隙は一切見せない。ただ与えられた淑女教育を粛々とこなしている様子だった。
まさにカイラードの婚約者として非の打ち所がない完璧な態度を貫いていた。
ユーリスもまた、自身の優秀さを誇示することなく友人たちと過ごすことを好んでいた。
三人はそれぞれの場所で交わらない学生生活を送っていた。
そうこうしているうちに、カイラードは最高学年でになった。
学園を卒業すれば、もうこのように生徒会室でカリナと穏やかな時間を過ごすことは叶わない。さらに、1年後にアルティエが卒業すれば彼女との政略結婚が待っている。
(このまま、愛のない結婚をするべきなのか…?しかし、私には王命を覆すだけの力はない。どうすればいいのだろう…)
割り切れない気持ちを抱えたまま、卒業まで半年を切ったころのある日の放課後。
カイラードはカリナと二人きりで、静まり返った生徒会室の書類仕事をしていた。
不意に、カリナが羽ペンの手を止め寂しげに伏せ目になった。
「カイラード様も、もうすぐ生徒会の仕事から抜けてしまわれるのですね……」
「カリナ…だけど卒業まではまだまだ時間があるよ。それまでは生徒会にはできるだけ顔をだすようにするさ」
「卒業されたら、王宮へ戻られて……ラステロウ侯爵令嬢とご結婚される。そうなったら、私のような男爵令嬢のことなんか、すぐに忘れちゃいますよね」
ぽろりと零れ落ちそうなほど大粒の涙を溜めた水色の瞳、守ってあげたいと思わせる儚げな姿。 カイラードはたまらなくなって、彼女の手をそっと握りしめた。
「そんなことはない。カリナのことは忘れないよ」
「…カイラード様、私っ、カイラード様のことが…っ」
うるんだ瞳で見つめられ自分への思いを口にするカイラが愛おしいと思った。
(アルティエとの婚約を解消して、私はカリナを選ぶべきではないだろうか……?)
どろりとした誘惑のような考えが脳裏をよぎる。
(そうだ、アルティエだって、私のような男と結婚するより、その方がユーリスと結ばれる機会が生まれるかもしれない。それが全員にとっての幸福ではないのか?)
一度芽生えたその思考は暗い熱を持ってカイラードの頭から離れなくなっていった。
(どうすれば、皆が幸せになれるだろう)
そんな甘い考えばかりが頭の中をぐるぐると回っていた。




