アルティエ②
さらにアルティエを追い詰めたのは、息子にどこまでも甘い王妃だった。
王妃は自分の息子の出来があまり良くないことを察すると、アルティエにしっかり支えるようくぎを刺してきた。
それだけでなく彼を引き立てるよう彼女の成績を落とすようにも指示してきた。
王太子妃として優秀であれという要求と、婚約者を立てるために無能を演じろという相反する指示にどうすることもできず、そのままでいれば王妃から王妃教育の一環として人目のつかない場所で鞭をあてがわれた。
痛い、苦しい。
でもだれも助けてくれない。カイラードに相談したところで、彼に何ができるというのか。
(ああ……もう、どうでもいいわ……)
アルティエの心は次第に麻痺し、ただ微笑むだけの人形のようになっていった。
それでも、地獄のような日々は、残酷なほど淡々と過ぎていった。
一つ上のカイラードが去年学園に入学し、アルティエとユーリスが入学する年になった。
久しぶりに間近で見るユーリスは、背が伸び、声も低くなり、アルティエの知る少年から、見違えるほど逞しい大人の男性へと成長していた。彼を見るたび、胸が締め付けられるほど愛おしく、そして切なかった。
ユーリスにはまだ婚約者がいなかった。
第二王子として、選定に時間がかかっているだけなのか、それとも…
時折、彼と目が合うと、ユーリスはほんのりと頬を染め、幼い頃と変わらない優しい笑顔を向けてくれた。そんな彼に少しだけ期待してしまうがわが身を振り返り、その期待を手放した。婚約者のいる身でユーリスに近づくことはできない。思いを押しとどめて遠くから彼を眺めるしかできなかった。
自分はこのままカイラードとの人生を歩んでいくしかないのだろうか。
暗憺たる思いを抱えていたそんな折、一人の少女がアルティエの前に現れた。
淡いピンク色の髪を持つカリナ・イルム男爵令嬢だ。
カイラードは第一王子として生徒会に入会し、当然のように会長の座に就いていた。
カリナは自分と同じ年でありながら生徒会に入会し、その人懐こい性格と可愛らしい容姿であっという間にカイラードと側近たちと仲良くなって彼らの心を掌握した
いつしかカイラードのその瞳には隠しきれない恋心が宿るようになっていた。
そして、その距離は縮まり、周囲にもわかるくらいに彼らは周りを見ずにいた。
当然その話は王妃にも伝わり、なぜかアルティエが呼び出され、激しく叱責されたのだ。
自分のことを棚に上げ、男爵令嬢など身分が違いすぎるのだから絶対許さないと息をまいてアルティエに当たってくる
「あなたが婚約者なのだからしっかりしなさいよ。なぜあの二人を引き剥がさないの!」
(なぜ私に言うの?怒るなら自分の息子でしょうに…)
全くもって理不尽だ。そう思うが口にすれば不敬罪だ。
アルティエは「承知しました」とだけ口にした
カリナに嫉妬など微塵もなかったが、仕方なしに立場を弁えるよう注意すれば、彼女はそんなつもりでは…」と涙を浮かべ、カイラードは「カリナは悪くない」とかばう。
側近たちも「ラステロウ侯爵令嬢は厳しすぎる」「嫉妬は見苦しい」と非難されアルティエの心は荒んでいく一方だった。
そんなある日、人目のない中庭の片隅で、ユーリスがそっとアルティエに声をかけてくれた。 「……アルティエ嬢。辛いなら、もう無理をしなくていいんだ」
その変わらない温もりに触れた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、アルティエはユーリスの胸で声を上げて泣き崩れた。
(ああ、私はやっぱり、この人が好きなのだわ……)
人知れず、心の奥底で再び燃え上がった恋心。
この想いがあるからこそ、あと少しだけ耐えよう
そうして迎えたカイラードの卒業パーティーの日、婚約破棄の断罪を受けたのだ。
身に覚えのない罪を突きつけられ、周囲の批判の目に晒されながらもアルティエの胸を満たしていたのは、言葉にできない歓喜だった。
(これでやっと、この怠け者のお守りから解放される……!)
「ラステロウ侯爵令嬢、いやアルティエ嬢」
凛とした、低く心地よい声が会場に響き渡った。
「君は悪くない。悪いのはそこにいる兄上と身の程を知らない男爵令嬢だろう。君は王太子の婚約者と常に完璧にその役割を果たしていた。僕はいつも君を見ていたよ。理不尽な要求にも耐え、嫉妬などという醜い感情に流されず、毅然と対応していた君の姿を」
堂々とした足取りでユーリスはアルティエの前まで歩み寄ると、彼女の目の前でひざまづき、その白魚のような手を愛おしそうに包み込む。
「アルティエ嬢。君が兄上と婚約する前から僕は君に恋をしていた。婚約破棄するなら、どうか僕の手をとってくれないだろうか。僕と結婚してほしい」
突然の第二王子による、あまりにも情熱的なプロポーズ。
会場は水を打ったように静まり返り、次の瞬間、凄まじい騒然とした空気に包まれた。
しかし、誰もユーリスを責めることはできなかった。
先に浮気をし、高位貴族の令嬢を蔑ろにして男爵令嬢にうつつを抜かしたのは、間違いなく王太子カイラードなのだから。
周囲はアルティエの答えに皆が固唾をのんで見守る。
貴族たちが固唾を飲んで見守る中、アルティエは目の前にいる最愛の人を見つめた。
幼い頃からずっと焦がれ続けた初恋のユーリスと今度こそ共に生きていける。
その奇跡のような喜びが、じわじわと胸の奥底へ広がっていく。
これまで彼女を縛り付けていた人形のような冷たい仮面が初めて音を立てて剥がれ落ちた。
「わ、わたくしも…ユーリス様をお慕いしております。わたくしでよければ…喜んで」
そう答えたアルティエの頬は、薔薇色に染まっていた。はにかむように咲いたその笑顔は誰もが見惚れるほどに可憐で美しかった。
「なんて可愛らしい……」
「あれがラステロウ侯爵令嬢の本来の笑顔なのか……」
あの表情こそがアルティエの本来の顔なのだ。
ユーリスがカイラードと婚約する前から恋していたといっていたがアルティエもまた同じ想いを抱いていたのだと周囲の学生や貴族たちは瞬時に理解した。
王命により馬鹿な王太子のお守りをさせられていただけで彼らはずっと思いあっていたのだ。誰もがアルティエとユーリスへ祝福の眼差しを送る。
それと同時に、周囲の視線はカイラードたちへと向けられ、急速に冷え切っていった。
そもそもカイラードは婚約者である侯爵令嬢をないがしろにし、男爵令嬢にそそのかされてこんな公の場で婚約破棄まで突きつけたのだ。
ラステロウ家の後ろ盾を失った彼は王太子の座を剥奪されるのも、もはや時間の問題だろう。それどころか、王位継承権すらも剥奪されるやもしれない、あるいは廃嫡すらあり得るのではないか。
そうなると必然的に男爵令嬢の家も側近たちの未来も費えるだろう。
華やかな夜会の中心で、貴族たちはすでに王太子と男爵令嬢、そして彼らに加担した側近たちの凄惨な未来を冷酷に計算し始めていた。
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「おや、ずいぶんと賑やかだね」
会場の重い扉が開き、声が響いた。
現れたのは、アルティエの父であるラステロウ侯爵と国王陛下、および王妃と側妃。だが、集まった者たちが何より驚愕したのは、その重鎮たちのすぐ後ろに平然とした顔で付き従っている男の姿だった。
そう、その男は王太子であるカイラード・ルトローゼ、本人だ
「えっ…?」
周囲は予想だにしないカイラードの出現に慌てて側近たちと男爵令嬢の元へと視線を戻す。しかし先ほどまで彼らの奥で傲然と佇んでいたはずの白いマントの男は影も形もなくなっていた。それどころか側近たちや男爵令嬢さえも弾かれたように背後を見やっては驚愕の表情を浮かべていた
一体どういうことだろう。
「それで、いったい何の騒ぎだ?」
国王が管理官に事の次第を問う。
管理官は「それが…」と額に冷や汗をにじませ口ごもりながら先ほどまでこの場で行われていた婚約破棄と第二王子の公開プロポーズの内容をたどたどしく伝えた。
アルティエとユーリスは、扉の向こうに立つ本物のカイラードを見つめたまま、完全に硬直していた。
断罪をおこしたのは彼ではない…?
では、私たちの愛の告白は…?
もし、この婚約破棄劇場を仕掛けたのが王太子本人ではないのだとしたら。
カイラードの預かり知らぬところで側近たちが勝手に暴走しただけなのだとしたら、この堂々と行われたユーリスの愛の告白は美談などではなくただの不貞の告白になってしまう。
その事実に思い至った瞬間、アルティエとユーリスの顔から血の気が引き、二人は目に見えて青ざめていった。
そんな絶望に歪んでいく二人の顔を眺めていたカイラードは愉悦に口角があがるのを抑えるのが大変だった。




