アルティエ①
「ラステロウ侯爵令嬢 前へお願いします」
華やかな音楽と談笑に包まれていた卒業パーティーの会場に、冷ややかな声が響き渡った。
声を上げたのは、王太子カイラード・ルトローゼの側近たちだ。
彼らの腕の中には、淡いピンクローズの髪を肩で切りそろえた少女がいた。空色の瞳で男性たちを頼りなげに見つめるその少女は王太子の髪の色である蜂蜜色のドレスを纏い、胸元には大粒のサファイヤのネックレスを輝かせている。それは下級貴族の装いとは到底言い難いあまりにも高価な代物だった。
そして側近たちのさらに奥には黄金の髪をした白いマントを羽織った男が令嬢が前に出てくるのを待っていた。
「…皆様のお声に預かり御前に参りましたわ」
王太子の婚約者 アルティエ・ラステロウは 突然のぶしつけな呼び出しにも関わらず、
高位貴族としての立ち居振る舞いを崩さなかった。
凛とした所作、周囲の者を一瞬で魅了するほどの圧倒的な美貌。
彼女は完璧な淑女としてそこに立っていた。
「ラステロウ侯爵令嬢。卒業のこの佳き日に君の悪行を断罪し、王太子殿下との婚約を破棄してもらう!」
「まあ。貴方、どなたに向かってそのような口を利いていらっしゃいますの?」
アルティエは呆れたように小さく首を傾げた。
その毅然とした態度に側近の一人が声を荒らげる。
「君はこのカリナが下級貴族であることを侮り、陰湿な嫌がらせをしていたというではないか! そのような狭量な女性が、次期王太子妃に相応しいはずがない!」
「陰湿な嫌がらせ、でございますか。そちらの男爵令嬢が婚約者のいらっしゃる男性に不躾に腕を絡めているのを見て、立場を弁えるよう注意することがいじめと称されるとは…、ふふっ、我が国のマナーも随分と様変わりいたしましたのね」
「白々しい! それだけではない。王太子殿下への嫉妬に駆られ、カリナの教本を破いただけでなく、彼女を庭園の噴水に突き落としたとも聞いているぞ!」
そう、この少女カリナ・イルム男爵令嬢はアルティエの婚約者であるカイラード・ルトローゼを陥落し、寵愛を得るだけでなく、その側近たちをも同じように陥落していた。
側近たちにも婚約者がいるのにもかかわらずに、だ。
それを最低限の忠告をしたに過ぎない。
それだけで嫉妬による嫌がらせとされこのような場で断罪されたのだ。
「証拠はございますの?」
「反省の欠片もないその不遜な態度こそが何よりの証明だ! 貴様のような身勝手な女に王太子妃は務まらない。婚約破棄を申し渡す!」
全く理不尽である。言いがかりにもほどがあると、そのことすらこの男どもにはわかっていないのだろう。
「…この婚約は王命ですのよ。たかが王太子の側近のあなた方が意を唱えるなどできようはずがありませんわ」
「ははっ、王命だから何をしても破棄されぬと思っていたのか。だがあなたの性根をしれば、陛下もご納得されるであろうよ」
「王太子殿下はそれでよろしいの」
皆が側近たちの奥にいる王太子に目を向ける
アルティエの問いに答えるようれに、彼は静かにうなづいた。
周囲に動揺が走る。
たとえ冤罪と言えどこのような醜聞にまみれてしまったことはアルティエの瑕疵になってしまう。
生徒たちや周りの貴族たちも淑女中の淑女といわれる彼女に対して同情の目を引いた。
「―いいでしょう。その婚約破棄。受け入れますわ」
扇で口元を隠すと顔色一つ変えずにアルティエは受け入れた。もうなにを言っても無駄とでもいうように。
アルティエと王太子カイラードの婚約は彼女たちが12歳のころに結ばれた。
アルティエはこの国で王妃、側妃の次に身分の高い令嬢だった。
公爵家には令嬢がおらず、その次の爵位ではあるが筆頭侯爵家の令嬢で、しかも王子たちと釣り合う年齢であった。
カイラードは当時第一王子で国王と真実の愛で結ばれた元子爵令嬢の王妃との間に生まれた子供だ。
しかしながら、国王にはもともとの婚約者であった公爵家令嬢の側妃がいた。
彼女は家の力で王妃になることも可能だったにも関わらず表舞台に立ちたくないと自ら側妃となることを選んだ。そして彼女から生まれた第二王子がいた。
側妃と自分の母が友人だったこともあり、幼いころから第二王子のユーリスと交流のあったアルティエは彼に心惹かれており、またお互いの母親同士もこの二人がゆくゆくは結ばれるだろうとほほえましく二人を見ていた。
ユーリスは勉強も剣も非常に優秀で10歳のころには神童といわれるほどだ。
そんな彼の一番近くにいられることをアルティエは誇りに思い、また彼においていかれないよう自らも厳しい勉学や淑女教育を死に物狂いでこなした。結果、彼女もまた常に優秀な成績を収めていた。
しかし、二人の婚約話が具体化しようとしたその時、横やりを入れてきたのは王妃だった。
優秀な血統と神童といわれる第二王子、だけど彼は側妃に似たため黒髪であった。陛下譲りの青色の瞳であったが、髪色は王家の象徴を持たずに生まれてきた。
かたや外見だけは美しく王家の象徴の蜂蜜色を含んだ黄金の髪を持つが、いたって平凡の後ろ盾のない第一王子。
貴族たちは第一王子派と第二王子派でに分割されていたが、第二王子の才覚と公爵家の後ろ盾を前に必然的に第二王子を王太子に望む声が日に日に高まっていった。
このままでは愛しい息子が王太子になれないと思った王妃は陛下に泣きつき、無理やり彼女との縁をねじ込み、王命としてその婚約はなされた。
貴族の娘として生まれた以上、王命に背くわけにはいかずアルティエはその婚約を受け入れた。だけど心は、簡単に納得はできない。
(ひどい、ひどい…私はただユーリスと一緒にいたくて…。それだけのために頑張ってきたのに…。だけど、わたくしも貴族の娘。わたくしの思いだけでは覆せないのも事実。…私の恋は、人生はもう終わったのだわ)
アルティエはユーリスへの想いを人知れず泣きながら胸の奥底にしまい込んだ。
そうして迎えたカイラードとの初めての対面の日。
「君が僕のお嫁さんになってくれる令嬢だね。よろしくね」
一つ年上であるはずのカイラードは、王家の象徴である蜂蜜色の髪とユーリスと同じ青い瞳を持った美少年だった。けれどユーリスよりもずっと幼い表情で、ユーリスのような知的差はまったくもって見当たらない。
そうしてカイラードは何も考えていない無邪気な笑顔で握手を求めてきた。
(なにも…知らないのね。私の未来を壊したくせに)
瞬間、カイラードの屈託のない笑顔に激しい憎悪が湧き上がったが、アルティエは完璧な微笑みを貼り付け怒りを抑え込んだ
そんな自分の感情をぶちまける事され出来ない状況に酷く落ち込んだ。
ラステロウ家の後ろ盾を得たカイラードは無事に王太子の地位に就いた。
それから月に一度のお茶会が始まったが、アルティエにとって、ユーリス以外との時間は苦痛でしかなかった。何より、カイラードの学習進度は信じられないほど遅かった。
ユーリスなら3年前に満点で終わらせている教科を、カイラードは「大変だったけど、ようやく合格点をもらえたよ!」と呑気に笑って報告してくるのだ。アルティエは呆れて物も言えなかった。
また別の日には、学んでいた隣国の言語をまだたどたどしさを残しているのにも関わらず教育係から合格をもらったという。
アルティエはその言語など完璧にマスターし、すでに別の国の言語を履修していた。
そのため教育係が忖度したのだろう。本来合格のレベルじゃないのに合格を出すため、次の課題を出されてもカイラードはやはり理解が追い付かないままだ。
万事がその調子で本人のやる気のなさと教育係の忖度でアルティエが年下にもかかわらず彼女の方が先に習得してしまう。
たまらず「殿下、わたくしと会うよりも勉強の時間を増やされたらいかが」といえば帰ってくるのは甘えた言葉ばかり。
「ん-、そうなんだけどアルティエ嬢とのお茶の時間も大切だからね」
明らかにやる気のない返事が返ってくる。アルティエにはただ面倒から逃げているようにしか聞こえない。
将来の国を背負う王太子として、あまりにも危機感がなさすぎる。
まったくもって王太子としての自覚がないカイラードに失望は深まるばかりだった。
だが、別に暴力的でもなく、誕生日にはそれなりのプレゼントをよこされ、婚約者としての表面上の義務は問題なくこなしてくれるカイラードにそれ以上口を出すのはやめた。
けれどお茶会へのエスコートを頼めばマナーは粗が目立ち、ダンスを踊れば足を踏まれる。
自分と並び立てば見劣りする婚約者に不満を持ってもしかたないと思う。
カイラードの向上心の無さはアルティエにはただの怠け者にしか見えなかった。




