第8話「初めてのデート、そして小さな事件」
「変装、どうする?」
待ち合わせ前日の夜。
通話越しに、桜井桃華が少し楽しそうに言った。
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「帽子とマスクは必須かな」
「あとメガネも」
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「そんなに必要?」
「必要」
即答だった。
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「私、一応“バレたらまずい人”だからね?」
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少し冗談っぽく言うけど、その言葉の重さは知っている。
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「……分かってる」
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「でも」
彼女が少しだけ声のトーンを変える。
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「ちゃんとデートしたい」
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その一言に、胸が熱くなる。
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「俺も」
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短い言葉。
でも、それで十分だった。
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当日
休日の昼。
人通りの多いショッピングモール。
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「……颯太くん?」
小さな声。
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振り向くと――
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そこにいたのは、帽子にマスク、そして伊達メガネをかけた女性。
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でも――
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「桃華?」
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「正解」
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少しだけ笑う。
その目元だけで、分かる。
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「……なんか、スパイみたいだな」
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「でしょ?」
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「でも、ちょっと楽しい」
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そう言って、彼女は隣に並んだ。
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ほんの少しの距離。
触れそうで触れない。
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「どうする?」
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「映画とか?」
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「いいね」
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普通の会話。
普通の選択。
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それが、何より特別だった。
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映画館
暗い館内。
並んで座る二人。
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上映が始まっても、内容はあまり頭に入らなかった。
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隣にいる存在が、近すぎて。
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「……ねえ」
小さな声。
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「うん?」
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「手、貸して」
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一瞬、驚く。
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でも、そっと差し出す。
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すると――
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指先が、軽く触れる。
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そして、少しずつ――
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繋がる。
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(……)
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心臓が、やけにうるさい。
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でも彼女は、前を見たまま。
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「これくらいなら、バレないよね」
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小さく囁く。
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「たぶん」
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それだけのやり取り。
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でも――
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それだけで、十分すぎた。
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映画後
フードコート。
人の多い場所。
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「こういうとこ来るの、久しぶりかも」
桃華が周りを見渡しながら言う。
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「普段は来れない?」
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「うん、ほぼ無理」
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少しだけ苦笑する。
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「だから今日、ちょっと嬉しい」
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その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
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「もっと色々行こう」
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「……うん」
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その時だった。
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「あれ?」
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後ろから声。
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二人同時に、体が固まる。
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「もしかして……」
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振り向くと、そこにいたのは――
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大学の同級生。
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「颯太じゃん!」
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(やばい)
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心臓が、一気に跳ね上がる。
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「こんなとこで何してんの?」
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視線が、隣の桃華に向く。
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「え、彼女?」
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その瞬間。
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桃華が、一歩前に出た。
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「違います」
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落ち着いた声。
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「サークルの先輩で、ちょっと相談乗ってもらってて」
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自然すぎる言い訳。
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「へぇ〜」
同級生は少し疑うような目をする。
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「まあいいや。じゃ、また大学でな」
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そう言って去っていく。
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数秒。
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二人とも、動けなかった。
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「……びっくりした」
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桃華が、小さく息を吐く。
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「ごめん……」
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「なんで謝るの?」
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少しだけ笑う。
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「夫婦でしょ?」
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その言葉に、少しだけ救われる。
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「こういうのも、一緒に乗り越えるんだよ」
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その一言で、さっきの緊張が少しだけ和らいだ。
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帰り道
少し人の少ない通り。
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「ねえ」
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「うん?」
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「今日、楽しかった?」
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その問いに、迷う必要はなかった。
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「めちゃくちゃ楽しかった」
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彼女は、少しだけ照れたように笑った。
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「私も」
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そして――
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「また行こうね」
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「絶対」
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そう約束した。
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“普通のデート”。
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それは、簡単なようで。
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この二人にとっては、とても特別な時間だった。
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