閑話⑦(後編)「再始動と、“選んだ日常”の重さ」
■夜・桃華の決断
カフェを出たその足で、桜井桃華はスマホを取り出した。
「ほのかさん」
すぐに通話が繋がる。
「……桃華さん?どうしたの、こんな時間」
少し驚いた声。
桃華は一拍だけ置いて、まっすぐ言った。
「仕事、入れてください」
「……今?」
ほのかの声がわずかに揺れる。
「本気で?」
確認というより、“覚悟の確認”。
桃華は一瞬も迷わない。
「少しずつでいいので」
「家族にも認めてもらえる形で続けたいです」
「逃げたくないんです」
その言葉に、ほのかは一度沈黙する。
「……分かった」
静かな返事。
「じゃあ、軽めの案件から戻す」
「ただし条件」
「無理は絶対にさせない。少しでも危なかったら止める」
「いい?」
桃華は即答する。
「はい」
⸻
■スケジュール再調整
数分後、メッセージが届く。
(軽めの案件から再開します)
(無理は絶対にさせません)
(体調最優先で調整済みです)
桃華は画面を見つめる。
「……お願いします」
小さく呟き、送信する。
その指先は、少しだけ震えていた。
⸻
■翌日・現場復帰
撮影スタジオ。
久しぶりの空気。
ライトの熱、機材の音、人の声。
「え、マジで戻ってきたの?」
「子どもいるって聞いたけど……」
「でも普通に綺麗すぎない?」
視線とざわめき。
その全部が、遠く感じる。
桃華はゆっくり息を吸う。
「よろしくお願いします」
その声は落ち着いていて、どこか“覚悟の層”が一枚増えていた。
⸻
■午前の仕事
「もう少し顔上げてもらえますか」
「はい」
「そのまま視線だけ左で」
「……はい」
シャッター音が連続する。
カメラの向こうと、こちら。
そこには確かに線がある。
(母としての自分)
(仕事としての自分)
以前なら曖昧だった境界が、今ははっきりしている。
ふと気づく。
(焦ってない)
(でも軽くもない)
ただ“落ち着いて重い”。
それが今の自分だった。
⸻
■午後・休憩室
「無理してない?」
ほのかが水を差し出す。
「大丈夫です」
桃華は少し笑う。
その笑顔は、作ったものではない。
「ちゃんと戻れてますか?」
ほのかは少し考えてから言う。
「戻る、じゃないよ」
「今のあなたは“整えてる”」
「昔に戻る必要ないし、戻れない」
「今の形でいい」
桃華はその言葉をゆっくり反芻する。
「……整える」
「そう」
ほのかは頷く。
「壊れない形にするってこと」
桃華は小さく息を吐く。
「……それなら、できるかもしれません」
⸻
■帰り道
夕方の電車。
窓に映る自分。
少し疲れた顔。
でも、崩れてはいない。
(私は何を選んだんだろう)
(全部守るって、こんなに重いんだ)
(でも捨ててない)
その事実だけが、静かに残る。
電車の揺れの中で、思う。
(戻るんじゃない)
(続けるんだ)
⸻
■帰宅
「ただいま」
玄関を開ける。
「おかえり」
颯太の声。
それだけで、肩の力が少し抜ける。
桃華は小さく笑う。
「ただいま」
その声には、昼間の仕事の余韻がまだ残っていた。
⸻
■夜・リビング
三つ子は眠っている。
静かな部屋。
颯太が顔を上げる。
「どうだった?」
桃華は少しだけ考える。
「……ちゃんと戻ってきた」
「仕事も、少しずつ再開した」
颯太はゆっくり頷く。
「そっか」
「無理してない?」
「してない」
即答。
少し間。
「でも……楽でもない」
桃華が正直に言う。
颯太は小さく笑う。
「そりゃそうだろ」
「全部抱えたままなんだから」
その言葉に、桃華は少しだけ目を伏せる。
「私、ちゃんと選べてるのかな」
颯太は即答しない。
少しだけ間を置いて言う。
「選んでるよ」
「正解かどうかは分かんないけど」
「でも逃げてない」
その言葉が、静かに胸に落ちる。
「……そっか」
⸻
■“選んだ日常”の重さ
桃華はソファに座る。
体が少しだけ沈む。
「ねぇ」
「うん?」
「私、戻れないよね」
颯太は即答する。
「戻る必要ないって言ってるだろ」
桃華は少し笑う。
「強いね」
「強くない」
颯太は少しだけ目を逸らす。
「ただ……そうじゃないと困るだけ」
その言葉に、桃華は静かに息を吐く。
(ああ、この人も同じだ)
(支えてる側も、同じくらい重い)
⸻
■静かな確信
夜は続く。
止まっているようで、確かに進んでいる時間。
桃華は小さく呟く。
「もう、普通には戻れないね」
颯太は少しだけ笑って答える。
「最初から普通じゃないだろ」
「でもさ」
「今の方がちゃんとしてる」
桃華は目を閉じる。
「……うん」
その返事は、もう迷いの音を含んでいなかった。
⸻
夜は静かに流れ続ける。
壊れそうで、壊れない。
揺れながら、それでも続く日常。
そしてその中心に、桃華は確かに立っていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
もしこの物語に少しでも「面白い!」と感じていただけたなら——
ブックマーク & 評価★5 をぜひお願いします!
その一つひとつが、次の章を書き進める力になります。
読者の皆さまの応援が、物語の未来を動かします。
「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ、見逃さないようブックマークを!
皆さまの応援がある限り、次の物語はまだまだ紡がれていきます。




