第6話「夜、重なる想い」
■夜
夜。駅前のビジネスホテル。昼間とは違う、静かで現実感のある空気。
部屋のドアが静かに開く。
「……来た」
そこにいたのは、“斉藤もも”ではない。
「おかえり、颯太」
柔らかく微笑む桜井桃華だった。
「ただいま」
自然とそう返していた。昼間の出来事がまだ胸に残っているのに、それ以上に“今ここにいる彼女”が現実だった。
⸻
■再会の温度
「先、お風呂入る?」
タオルを持ちながら桃華が言う。
「……うん」
「一緒に、入る?」
一瞬だけ空気が止まる。
「冗談」
小さく笑って、彼女はそのままバスルームへ消える。
数十分後、シャワーを浴びた彼女は“仕事の顔”も“外の顔”もない、ただの一人の女性だった。
入れ替わるように颯太もシャワーへ向かう。
水音の中で昼の光景がよみがえる。
(あれが……桃華の仕事)
分かっていたはずなのに胸が少し痛む。それでも気持ちは変わらない。
(それでも、好きだ)
⸻
■ベッドの距離
再び部屋。ベッドに少し距離を空けて座る二人。
「……ねえ」
桃華が静かに言う。
「さっきの続き、いい?」
「うん」
「颯太くん、本音で言って」
「うん」
「私の仕事、どう思った?」
逃げられない問い。
「苦しかった」
正直に答える。
「嫉妬もした」
桃華の目がわずかに揺れる。
「でも、それでも桃華を否定したいとは思わなかった」
少し息を吸って続ける。
「桃華が選んでる仕事だから。俺は受け入れたい」
沈黙のあと、桃華は小さく頷く。
「……そっか」
「ありがとう」
その一言で、空気が少しだけ柔らかくなる。
⸻
■距離が消える瞬間
「じゃあさ」
桃華が少し距離を詰める。
「今度は私の番」
「え?」
「颯太くんの気持ち、ちゃんと感じたい」
その言葉のあと、そっと唇が重なる。
昼間よりもゆっくりとしたキス。確かめるように、距離を溶かすように。
「……好き」
桃華の小さな声。
「俺も」
気づけば抱き寄せていた。拒まれることはなく、彼女も同じように腕を回してくる。
「颯太くん……」
その声は昼間とは違う、“演じていない声”だった。
⸻
■夜の確かさ
時間がゆっくり流れる。
部屋の明かりは少し落とされていて、窓の外の街灯だけが淡く揺れていた。
言葉は少しずつ減っていくのに、代わりに“距離の近さ”だけが増していく。
ソファの上で、桃華の指先に軽く触れる。
それだけで、十分だった。
「……ねえ」
桃華が小さく口を開く。
「うん」
「今日さ」
少しだけ間。
「変だったね」
「どこが?」
「全部」
小さく笑う声。
でも、その笑いは軽くなかった。
「颯太くんが、ずっと真面目すぎてさ」
「真面目ってなんやねん」
「そのまま」
また笑う。
そのやり取りが、やけに自然だった。
⸻
■夫婦という言葉
少し沈黙が落ちる。
そのあと、颯太が静かに言う。
「……ねえ」
「うん」
「これでちゃんと実感できた?」
「何を?」
「俺たちが……夫婦だってこと」
桃華は一瞬だけ視線を落とす。
そして、ゆっくり頷く。
「うん」
「できてるよ」
その言葉が、思っていたよりも落ち着いていた。
⸻
颯太は、少しだけ息を吐く。
「俺さ」
「うん」
「正直、まだ夢みたいなんよ」
桃華が横目で見る。
「どれ?」
「全部」
即答する。
「イベントで会ってた時も、大学で会った時も、今も」
少し笑う。
「ずっと現実っぽくない」
⸻
桃華は、少しだけ黙ってから言う。
「でもさ」
「うん」
「現実にしちゃったの、颯太くんだよ」
その一言に、颯太は少し言葉を失う。
「……確かに」
「でしょ」
軽く笑う桃華。
でもその笑顔は、どこか安心しているようだった。
⸻
■確かめる温度
颯太は、手を伸ばして桃華の手を握る。
少しだけ強く。
「桃華」
「なに」
「俺、ちゃんと分かってる?」
「何を?」
「重いこと言ってるって」
桃華は少し目を細める。
「分かってるよ」
「でもね」
指を軽く絡める。
「それでもいいって言ったの、私だから」
その声は静かだったけど、逃げがなかった。
⸻
颯太は小さく頷く。
「……ありがとう」
「何が」
「全部」
桃華は少しだけ顔をそらす。
「急に真面目やめて」
「無理やろ、今の流れで」
「まあね」
くすっと笑う。
その笑いが、やけに柔らかい。
⸻
■深夜へ
やがて部屋はさらに静かになる。
時計の音だけが小さく響く… 桃華がふと小さく欠伸をする。
「眠い?」
「ちょっとだけ」
「寝る?」
「うん」
自然な流れだった。
ベッドに横になると、すぐ隣に桃華がいる。
距離は近いのに、どこか落ち着いている。
「ねえ」
寝る直前、桃華が小さく言う。
「まだ信じてないでしょ」
「何を」
「私のこと」
颯太は少し考えてから答える。
「信じてるよ」
「でもさ」
「まだ“怖い”はある」
その言葉に、桃華は少し黙る。
⸻
「そっか」
それだけ言って、少しだけ体を寄せる。
「じゃあさ」
「うん」
「その怖いの、少しずつ減らしていこ」
颯太は小さく笑う。
「簡単そうに言うやん」
「簡単じゃないよ」
即答だった。
⸻
■深夜
静かな部屋に隣で眠る桃華。
その寝顔は、驚くほど穏やかで、どこにも“仕事の顔”はなかった。
(守りたい)
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなる。
さっきまでの不安も、迷いも、完全には消えていない。
それでも――
この人の隣にいることだけは、もう疑わなかった。
「……ほんまに、いろいろ起きすぎやろ」
小さく呟いて、苦笑する。
でも、その声はどこか安心していた。
夜は静かに続いていく。
二人の距離だけが、少しずつ“確かさ”になっていった。
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