第5話「揺れる想いと、仕事の現実」
■現場へ
それは、突然のことだった。
「一回だけ、来てみる?」
そう言ったのは、桜井桃華だった。
「現場」
その言葉の意味は、すぐに分かった。
けれど――胸の奥が一瞬だけ冷える。
「いいの?」
思わず聞き返す。
「普通はダメだよ」
桃華は小さく苦笑する。
「でも……颯太くんには、ちゃんと知ってほしい」
その声は、いつもの軽さじゃなかった。
仕事でも冗談でもない、一人の人間としての決断の重さ。
「私が、どんな仕事してるのか」
颯太はしばらく黙り… 喉が少しだけ詰まる。
それでも――
「……行く」
はっきりと答えた。
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■スタジオ
数日後。
都内の撮影スタジオ。
外から見ればただのビル。
だが一歩入った瞬間、空気が変わる。
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スタッフの足音に照明機材の金属音。
カメラの無機質な視線。そして何より… 張り詰めた“仕事の空気”。
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「こっち」
桃華に案内され、端に立つ。
「基本、声出さないでね」
「……うん」
その時点で、もう後戻りできない感覚があった。
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■切り替わる彼女
撮影が始まる。
その瞬間だった。隣にいた“桃華”がいなくなる。
代わりに現れたのは――「斉藤もも」。
表情が変わり視線が変わる。
呼吸の律動すら変わる… まるで別人だった。
(これが……仕事)
分かっていたはずなのに… 知っていたはずなのに。
“目の前の現実”は想像よりずっと重い。
カメラのシャッター音。
照明の熱… そして――彼女の声。
その一つ一つが、胸に刺さる。
呼吸が浅くなる。視線を逸らせない。
(これが、仕事なんだ)
何度も繰り返しても、慣れなかった。
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■楽屋へ
撮影終了。
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「颯太くん」
スタッフに呼ばれる。
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「桃華ちゃん、楽屋で待ってるよ」
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心臓が強く鳴る。
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■再会
楽屋の前で颯太はノックする。
「……入って」
扉を開けると――そこにいたのは“斉藤もも”ではなかった。
「お疲れ様」
桃華だった。
その一言で、胸がきゅっと締まる。
さっきまで見ていた“現場の彼女”との落差が、余計に心を揺らす。
気づけば足が動いていた。
「桃華」
衝動のまま距離を詰め… そして――唇が重なる。
一瞬、驚いたように目が揺れるけれど拒絶はない。
ゆっくり離れると、静かな空気だけが残った。
「……大胆だね」
桃華が息を整えながら言う。
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「ごめん……」
「ううん」
小さく首を振る。
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そして扉へ視線を向ける。
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「マネージャーさん」
外へ声をかける。
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「ちょっと遅れるし、着替えるから鍵閉めるね」
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「了解」
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「彼は?」
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一瞬の間。
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「……大丈夫だよ」
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カチリ、と鍵が閉まる。
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■閉ざされた空間
外の気配が消える… 静けさが濃くなる。
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桃華は振り返る。
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「颯太くん」
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真っ直ぐな視線。
逃げられない距離。
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「さっきの撮影、見てどう思った?」
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颯太はゆっくり息を吐く。
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「……正直に言っていい?」
「うん」
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「苦しかった」
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言葉にした瞬間、少しだけ楽になる。
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「嫉妬もしたし……」
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拳が自然と握られる。
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「でもそれ以上に――」
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言葉が詰まる。
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「桃華が、遠く感じた」
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沈黙。
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数秒後、桃華は静かに息を吐いた。
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「……そっか」
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そして一歩近づく。
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「ちゃんと見てくれて、ありがとう」
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その声は責めていない… ただ受け止めていた。
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■再び
「ねえ」
さらに距離が縮まる。
「颯太くん」
そして――今度は桃華の方から唇を重ねた。
最初は確かめるように… 次第に少しだけ深く。
さっきとは違う… “仕事”ではない温度… “感情”のあるキスだった。
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時間の感覚が曖昧になる。
ただ相手の存在だけが確かになる。
やがてゆっくり離れる。
「……これで、少しは近くなった?」
息を乱しながら桃華が笑う。
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「……うん」
それしか言えなかった。
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■夜の約束
「夜、空いてる?」
突然の問い。
「え?」
「またちゃんと話したい」
真剣な目。
「ホテル、来て」
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颯太は静かに頷いた。
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■別れ際
数分後… 楽屋のドアが開く。
「じゃあ、颯太くんは先に帰ってて」
「分かりました」
軽く頭を下げる。
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廊下へ出る。
歩きながら胸の奥を整理できない。
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苦しい… 嬉しい… 怖い。
でも――
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「……好きだな」
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結局それだけが残る。
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■夜へ
約束は夜。
それはきっと――二人の関係が、もう一段階“現実側”へ進む時間だった。
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