閑話④(前編) 「台所の匂いと、遠い病室の声」
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夕方・水上家
「じゃあ、もう一回やってみな」
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母の声が、台所に響く。
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エプロン姿の水上颯太は、少し真剣な顔で包丁を握っていた。
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「肉じゃがってさ、意外と難しいな」
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「味の決め手は砂糖と醤油のバランスよ」
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母は慣れた手つきで鍋を見守る。
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その横で――
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「兄ちゃん、マジで料理できるようになるの?」
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弟が興味津々で覗き込む。
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「うるさい、やるんだよ」
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少し照れたように言う颯太。
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今日は特訓の日だった。
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新しい料理たち
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・肉じゃが
・ポテトサラダ
・ミルフィーユ鍋
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「……これ全部やるの?」
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父親が少し驚いた顔をする。
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「うん」
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颯太は頷く。
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「今度、一緒に住む時に作るって決めてるから」
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その言葉に、母親が少し首を傾げる。
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「彼女に?」
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一瞬、空気が止まる。
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「……まぁ」
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曖昧に笑う。
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まだ“結婚”は言っていない。
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ただの“彼女”。
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その設定で押し通している。
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「ちゃんとした子なんだろうねぇ」
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母は軽く笑う。
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「うん」
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即答。
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「すごく大事な人」
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その一言に、弟がニヤニヤする。
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「おお、ガチじゃん」
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「黙れ」
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軽く小突く。
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でも――
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その表情は柔らかかった。
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夜・食卓
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「いただきます」
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五人の食卓。
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・父
・母
・姉
・弟
・颯太
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並んだ料理。
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「お、うまいじゃん」
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父が肉じゃがを口にする。
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「ほんとだ、普通に美味しい」
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姉も驚く。
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「兄ちゃん、意外とやるじゃん」
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弟が笑う。
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母は少し微笑んでいる。
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「ちゃんと続けなさいよ」
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「うん」
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颯太は少し照れながら頷いた。
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夜・自室
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食後。
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静かな部屋。
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颯太はスマホを手に取る。
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「……今、いい?」
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通話。
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「うん」
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病室の桃華の声。
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少しだけ安心する。
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「今日さ」
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颯太は笑う。
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「肉じゃがとポテトサラダとミルフィーユ鍋作った」
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「え、全部?」
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少し驚いた声。
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「うん」
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「今度一緒に住んだら、絶対作る」
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その言葉に、少し間。
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「楽しみにしてるね」
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柔らかい声。
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その一言だけで、胸が温かくなる。
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「早く退院できるといいね」
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「うん……」
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短い沈黙。
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でも、繋がっている。
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通話終了後
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「……よし」
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スマホを置く。
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そのまま机へ向かう。
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引き出しを開ける。
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そこには――
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雑誌。
写真集。
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そして――
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斉藤もものグラビア切り抜き
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「……やっぱ綺麗だな」
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静かに呟く。
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ページをめくる。
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そこにいるのは――
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“推し”としての彼女。
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でも今は違う。
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(あれが今は、隣にいるんだよな)
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現実と非現実の境界が、もう曖昧になっている。
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指先でページをなぞる。
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「信じられないよな……」
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小さく笑う。
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でもその目は真剣だった。
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“推し”だった存在。
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“遠い世界の人”。
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それが今は――
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“守るべき妻”。
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そして――
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三人の命を抱えた母。
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夜は静かに更けていく。
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台所の匂いと、雑誌の紙の匂いが混ざる部屋で。
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颯太は、ただ一人考えていた。
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(絶対、守る)
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その決意だけが、はっきりと残っていた。
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