第3話「秘密の結婚、そして遠距離夫婦」
結婚直後の夜に…
「……ほんとに、結婚しちゃったね」
イベント会場の控えスペースの外。
人の少ない廊下で、彼女――桜井桃華は小さく呟いた。
その左手には、まだ何もない。
指輪も、証明書も、形としての“結婚”はまだ何もない。
それでも――
確かに、変わってしまった。
「はい」
僕は、はっきりと頷いた。
⸻
「勢いすぎない?」
「勢いです。でも、本気です」
即答だった。
彼女は少しだけ呆れたように笑って――
でも、その目は優しかった。
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「……普通さ、もっと段階踏むでしょ」
「普通じゃなくていいです」
「出たよ、それ」
くすっと笑う。
その表情は、“斉藤もも”じゃない。
完全に、“桜井桃華”の顔だった。
⸻
「とりあえず」
彼女は周囲を一度確認してから、少し声を落とす。
「同棲とか、無理だからね?」
「……ですよね」
現実は、ちゃんと重い。
彼女は現役のAV女優。
生活も、スケジュールも、すべてが普通じゃない。
⸻
「しばらくは……遠距離夫婦、かな」
その言葉に、少しだけ寂しさが刺さる。
でも――
「会えますよね?」
「当たり前じゃん」
少し強めの声。
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「夫婦なんだから」
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その一言だけで、胸の奥が熱くなる。
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■その日の夜
颯太の部屋。
一人暮らしの、狭いワンルーム。
いつもと同じはずの部屋なのに――
今日はどこか落ち着かない。
スマホの画面。
さっき交換したばかりの連絡先。
【桃華】
「ちゃんと帰れた?」
その一言に、思わず笑う。
【颯太】
「はい。桃華さんもお疲れ様です」
すぐに既読。
【桃華】
「“さん”いらない」
一瞬、指が止まる。
【颯太】
「じゃあ……桃華」
送信。
その瞬間、心臓が跳ねる。
【桃華】
「うん、それでいい」
たったそれだけ。
それだけなのに――“夫婦なんだ”って、実感してしまう。
⸻
■数日後・大学
昼休み。
いつものキャンパス。
「……颯太くん」
小さな声。
振り向くと――私服姿の桃華。
完全に、“一般の大学生”。
「桃華……」
「声、小さく」
「あ、ごめん」
自然と、距離を取る。
近づきたいのに、近づけない距離。
「こういうの、不思議だね」
彼女がぽつりと言う。
「外では他人みたいで」
少しだけ間。
「中では、夫婦」
その言葉が、やけにリアルだった。
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「なあ、颯太くん」
「うん?」
「後悔してない?」
意味は分かっていた。
仕事のこと。これからのこと。
全部含めての問い。
「私、こういう仕事だし」
「うん」
「これからも続けるし」
少しだけ揺れる視線。
「それでも、本当にいいの?」
「いいです」
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即答だった。
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「桃華がやりたいことなら、応援したい」
その言葉に、彼女は一瞬だけ固まる。
「……バカだね」
でも、その声は少し震えていた。
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「そんな簡単に言えることじゃないのに」
「簡単じゃないです」
「でも、好きだから」
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風が吹く。
彼女の髪が揺れる。
「……ありがと」
小さく、でも確かに。
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■その夜
初めての電話。
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「なんか変な感じ」
少し近い声。
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「さっきまで会ってたのに」
「それな」
沈黙。
でも、心地いい。
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「ねえ、颯太くん」
「うん?」
「夫婦っぽいこと、ひとつしていい?」
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鼓動が強くなる。
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「……なに?」
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少しの間。
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「おやすみ、颯太」
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たった一言。
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でも――
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「……おやすみ、桃華」
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それだけで、満たされる。
まだ触れ合うことも少ない。
一緒に住んでもいない。
それでも… 僕たちは、確かに夫婦だった。
⸻
そして――
この“距離のある夫婦”の時間が、
やがてどんな形に変わっていくのか。
まだ、誰も知らなかった。
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