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閑話③(後編) 「三つの鼓動と、新しい未来」


■大学・正門前


「……行ってくるね」


朝の空気は少し冷たくて、けれどどこか柔らかかった。


桜井桃華は、正門の前で立ち止まる。


隣には、水上颯太。


「大丈夫か?」


その声は、いつもより少しだけ低い。


「うん」


桃華は小さく頷く。


「授業、あるでしょ?」


「あるけど……」


颯太は言いかけて止まる。


心配がそのまま顔に出ている。


「一緒に行こうか?」


その一言に、桃華は少しだけ笑った。


「いいよ」


「ちゃんと、行ってくる」


颯太「……ほんとに?」


桃華「うん」


もう一度頷く。


「終わったら連絡する」


颯太「……分かった」


少しだけ間。


颯太「無理すんなよ」


桃華「うん」


短い言葉。


でも、その中に全部があった。



■講義中


「……」


ノートには文字が並ぶ。


でも意味は頭に入ってこない。


(午後……)


(行く)


それだけが、何度も頭を支配する。


(大丈夫)


(大丈夫)


そう繰り返すたび、心臓は速くなる。



■午後・移動


大学を出る。


一人。


街の音が遠く感じる。


(怖い)


でも足は止めない。


(ちゃんと知る)


そのために来た。



■産婦人科・受付


「桜井桃華さん」


「……はい」


名前を呼ばれた瞬間、呼吸が浅くなる。


(ここからだ)



■診察室


「今日はどうされましたか?」


穏やかな医師の声。


白衣の男性医師がカルテを開きながら言う。


桃華は一度息を整える。


「妊娠検査で陽性が出て……」


声が少し震える。


「確認をお願いしたくて」


医師は小さく頷く。


「分かりました。ではエコーで見ていきましょう」


「緊張してますか?」


「……はい」


「大丈夫ですよ。ゆっくりいきますね」



■診察台


「力抜いてくださいね」


「……はい」


冷たい感触。


機械の音。


沈黙。


医師が画面を見ながら操作する。


「ここですね……」


「まだ初期なので、少し分かりにくいかもしれません」


「……はい」


桃華の手がシーツを握る。


(颯太くん)


(怖い)


医師が少し首をかしげる。


「ん?」


「どうかしましたか?」


桃華の声が震える。


医師は画面を拡大する。


「少し、見え方を変えますね」


カチ、カチ。


静寂。



■医師の変化


「……あれ?」


「……これは」


桃華「……?」


「もう一度確認します」


「ここ……2つ……いや」


さらに拡大。


数秒の沈黙。


医師が小さく息を吐く。


「……おめでとうございます」


桃華「え……?」


「妊娠しています」


それは分かっていた。


だが――


医師は続ける。


「しかもですね」


「……少し珍しいケースです」


桃華「珍しい……?」


医師は画面を指す。


「ここに1つ」


「そして、こちらに1つ」


「さらに……ここ」


桃華「……?」


医師は静かに言った。


「三つあります」


桃華「……え?」


医師「三つ子ですね」


空気が止まる。



■確認


桃華「……三つ……?」


医師「はい」


「心拍もそれぞれ確認できます」


看護師が横から補足する。


「今の段階で3つとも順調に見えますね」


桃華「……ほんとに……?」


医師「ええ。間違いありません」


「こちら見てください」


モニターに3つの小さな点。


「これがそれぞれの胎嚢です」


看護師「全部、ちゃんと反応ありますよ」


桃華の目が揺れる。


「……三人……」


医師「そうですね」


少し柔らかく笑う。


「男の子1人、女の子2人の可能性が高いですね」


桃華「……そんなことまで分かるんですか?」


医師「まだ“可能性”ですけどね」


看護師「これからもっとはっきりしてきますよ」



■診察後・説明


別室に移動。


看護師がカルテを持って座る。


「びっくりしましたよね」


桃華「……はい」


「三つ子って言われると、頭追いつかないと思います」


「今はそれで普通です」


桃華「……普通、なんですね」


看護師「はい」


カルテをめくる音。


「まず今の状態ですが、問題はありません」


「ただし」


表情が少し真剣になる。


「三つ子妊娠は、リスクが上がります」


桃華「……はい」


看護師「つわりが強くなる可能性」


「体重増加、貧血、早産リスク」


「全部、単胎より高いです」


桃華「……はい」


看護師「だから大事なのは」


「“無理をしないこと”」


「これが一番です」


桃華「……どのくらい、ですか?」


看護師「今までの7割くらいで考えてください」


桃華「7割……」


看護師「仕事も生活も全部です」


看護師「あともう一つ」


桃華「はい」


看護師は少し優しくなる。


「一人で抱えないこと」


桃華の胸が少し痛む。


看護師「パートナーの方は?」


桃華「います」


看護師「なら大丈夫です」


「こういう妊娠は“二人で乗り越えるもの”です」


桃華「……はい」


看護師「それと」


「次の健診では、もっと詳しく見ます」


「成長の差が出ていないか、とか」


「臍帯の状態とか」


桃華「そんな細かいことまで……」


看護師「大事なんです」


「三つ子は“全部同じように育つとは限らない”ので」


桃華「……はい」


看護師は少し笑う。


「でも安心してください」


「今のところはとても良い状態です」


桃華「……よかった」


看護師「うん」


少し間。


看護師「それとね」


桃華「はい?」


看護師「怖くていいです」


桃華「……え?」


看護師「でも止まらなくていいです」


桃華の目が揺れる。


看護師「怖いって思える人ほど、ちゃんと向き合えますから」


桃華「……そう、なんですか」


看護師「そうです」


静かに頷く。



■帰り際


看護師「じゃあ今日はこれで」


桃華「はい……ありがとうございました」


看護師「次はできれば一緒に来てくださいね」


桃華「……颯太くんと?」


看護師「そう。二人で聞くのが一番いいので」


桃華「分かりました」


看護師は立ち上がる。


「大丈夫ですよ」


「ちゃんと、やっていけます」


その言葉は優しくて、でも確信だった。



■待合室


桃華は一人、椅子に座る。


「……三人」


今度は、さっきより少しだけ現実に近い。


(怖い)


(でも)


スマホを見つめる。


(伝えなきゃ)


ゆっくりと指が動く。


「颯太くん……」


通話ボタンを押した。


■病院の外


風が少し冷たい。


桃華は建物の外に出ても、まだその場から動けなかった。


手の中のスマホが重い。


(言わなきゃ)


(でも、どう言えばいいの)


何度も呼吸を整える。


それでも、胸の奥の鼓動は速いまま。


「……颯太くん」


小さく呟く。


画面には通話ボタン。


数秒。


指が震える。


(ちゃんと伝える)


ゆっくり押す。


――プルルル……


呼び出し音。


一回。


二回。


その間が異様に長い。


三回目――


「もしもし?」


颯太の声。


その瞬間。


涙が勝手に溢れた。


「……颯太くん」


「どうだった?」


その一言で、桃華の喉が詰まる。


(言え)


(言わなきゃ)


でも、うまく息ができない。


「……あのね」


声が震える。


颯太「うん」


優しい声。


それが逆に、崩れそうになる。


桃華「……一人じゃなかった」


颯太「え?」


「……一人じゃ、なかったの」


もう一度。


言い直すように。


でもその時点で、もう涙が止まらない。


颯太「どういう……」


桃華は息を吸う。


でも吸った空気がそのまま震える。


「三人、いた」


――沈黙。


音が消える。


風の音すら遠い。


颯太「……え?」


小さく、聞き返す声。


桃華「三つ子」


言った瞬間。


自分の中でも現実が“確定”してしまう。


颯太「……」


数秒の無音。


そして――


颯太「……は?」


今度は完全に言葉を失った声。


桃華「男の子一人、女の子二人」


そこまで言った瞬間。


もう涙が止まらない。


ぽた、ぽた、と落ちる。


颯太「……ちょ、待て」


颯太「え?三人?」


颯太「マジで?」


桃華「……うん」


小さく頷く。


颯太「いやいやいや……」


颯太の声が完全に崩れ始める。


颯太「え、嘘だろ?」


颯太「え、三つ子って普通にあるの?」


桃華「私も知らない……」


声が泣き混じりになる。


颯太「ちょっと待って」


颯太「え、今どこ?」


桃華「病院の外……」


颯太「一人?」


桃華「うん……」


その瞬間。


颯太の声が少し変わる。


颯太「……泣いてる?」


桃華「……泣いてる」


正直に言うしかなかった。


颯太「そりゃ泣くわ……」


颯太「いや俺も今頭追いついてないけど」


少し笑い混じりの、でも完全に動揺した声。


颯太「三人って……え?」


颯太「三人ってことは……」


颯太「え、ちょっと待って」


颯太「一気に三人親になるってこと?」


桃華「……そう、なる」


颯太「情報量多すぎだろそれ」


思わず本音が漏れる。


でもその声の奥には――


混乱と一緒に、確かな動揺と、少しの現実感。


颯太「……やば」


小さく呟く。


颯太「え、でもさ」


颯太「今、無事なんだよな?」


桃華「うん……順調って」


颯太「そっか……」


少しだけ間。


颯太の声が落ち着く。


颯太「……生きてるんだよな、三人とも」


桃華「うん」


颯太「そっか……」


その一言で、少し空気が変わる。


驚きの奥に“実感”が入り始める。


颯太「……すげぇな」


ぽつりと。


颯太「いやマジで」


颯太「想像してなかったわそれ」


桃華「私も……」


桃華の声はまだ震えている。


颯太「どうしようって感じだな」


桃華「うん……」


颯太「でもさ」


少しだけ笑う声。


颯太「逆にさ」


颯太「一気に来てくれた方が覚悟決まる気もする」


桃華「……そう、かな」


颯太「うん」


颯太「1人ずつとかだったら逆に怖いわ」


颯太「“あと2人来るのか……”ってなるし」


その言い方に、桃華が少しだけ笑う。


「……確かに」


颯太「だろ?」


少しだけ空気が軽くなる。


でも――


すぐに沈黙。


颯太「……でもさ」


桃華「うん?」


颯太「やばくね?」


桃華「やばい」


即答だった。


颯太「だよな」


颯太「普通に考えてやばいよな」


桃華「うん……」


颯太「え、どうするのこれから」


その言葉に、桃華は一瞬黙る。


(どうする)


(本当に)


でも――


さっき医師と看護師に言われた言葉が蘇る。


“止まらなくていい”


“ちゃんと進める”


桃華「……育てるしかないって」


颯太「だよな」


即答。


迷いがない。


颯太「そこはもうシンプルだわ」


颯太「三人だろうが一人だろうが」


颯太「やることは変わんない」


桃華の涙がまた溢れる。


(この人は)


(本当に)


颯太「……でもさ」


少し声が柔らかくなる。


颯太「怖くね?」


桃華「怖い」


颯太「だよな」


颯太「俺も怖い」


正直だった。


でも――


颯太「でもさ」


颯太「ちょっとワクワクもしてる」


桃華「え?」


颯太「いやさ」


颯太「三人ってさ」


颯太「普通じゃ絶対ないじゃん」


桃華「……うん」


颯太「それがさ」


颯太「俺らの子って考えるとさ」


颯太「なんか……すげぇこと起きてるなって」


その言葉に、胸が熱くなる。


桃華「……うん」


颯太「しかも」


少し笑う。


颯太「男の子一人と女の子二人とか」


颯太「バランスよすぎだろ」


桃華「ほんとだね……」


少しだけ笑いが混ざる。


涙の中の笑い。


颯太「じゃあさ」


颯太「もう決まりだな」


桃華「何が?」


颯太「家族」


桃華「……」


颯太「五人家族」


颯太「確定な」


その言葉で、また涙が溢れる。


でも今度はさっきより少しだけ違う。


怖さだけじゃない。


温かいものが混じっている。


桃華「……うん」


颯太「よし」


颯太「じゃあ俺も覚悟決めるわ」


桃華「もう決めてるでしょ」


少し笑う。


颯太「バレた?」


桃華「うん」


颯太「じゃあ一緒だな」


少し間。


颯太「……帰ったらちゃんと話そう」


桃華「うん」


颯太「全部」


桃華「全部」


同時に答える。



■沈黙


電話はまだ切られない。


でも、もう言葉はいらなかった。


ただ、同じ空の下で息をしていることだけが確かだった。



颯太「……桃華」


桃華「うん」


颯太「一人で泣くなよ」


桃華「泣いてる」


颯太「知ってる」


少し笑う。


颯太「でもさ」


颯太「ちゃんと隣にいるから」


その一言で。


胸が壊れるくらい熱くなる。


桃華「……うん」


小さく、何度も頷く。



■終わりかけの通話


颯太「じゃあさ」


颯太「今日帰ったら」


颯太「三人の名前、考えるか」


桃華「早くない?」


颯太「早くないだろ」


颯太「むしろ遅い」


少し笑う。


桃華も笑ってしまう。


桃華「……分かった」


颯太「よし」


颯太「じゃあな」


颯太「無理すんなよ」


桃華「うん」



■通話終了


プツッ。


音が消える。


静寂。


でも、もうさっきの静けさとは違う。



桃華はスマホを胸に当てる。


涙はまだ止まらない。


でも――


(ひとりじゃない)


それだけは、はっきりしていた。



■空の下


同じ空の下で。


颯太はスマホを見つめたまま、息を吐く。


「三つ子かよ……」


「マジで人生変わったな」


少し笑う。


でもその目は、もう逃げていない。



二人はまだ“親”ではない。


でももう――


確実に、“親になる途中”に立っていた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

もしこの物語に少しでも「面白い!」と感じていただけたなら——


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その一つひとつが、次の章を書き進める力になります。

読者の皆さまの応援が、物語の未来を動かします。


「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ、見逃さないようブックマークを!

皆さまの応援がある限り、次の物語はまだまだ紡がれていきます。

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