第20話「すれ違う日常と、守りたいものの重さ」
■事務所・個室
「……本気で言ってる?」
静かな部屋に、低い声が落ちる。
向かいに座るのは、岸田ほのか。
いつもより表情が硬い。
桃華は、ゆっくりと息を吸った。
「はい」
まっすぐ視線を返す。
「できました」
一拍。
「子供が」
空気が止まる。
時計の針の音だけが、やけに大きい。
「……やっぱりか」
ほのかは驚きより先に、納得したように目を細めた。
「最近の顔色とか、違和感あったしね」
「すみません」
反射で頭が下がる。
「謝らなくていい」
即答だった。
「それで?」
「どうするの?」
核心。
桃華は、迷わなかった。
「産みます」
短い沈黙。
ほのかの視線が、じっと桃華を見据える。
「……覚悟、あるんだね」
「はい」
「仕事の影響、分かってる?」
「はい」
人気。
スケジュール。
契約。
世間の反応。
全部が一瞬で頭に浮かぶ。
それでも。
「この子を優先したいです」
静かに、でもはっきり言った。
ほのかは小さく息を吐く。
「……分かった」
その瞬間、空気が少しだけ変わる。
「じゃあ、こっちも動く」
“マネージャーの顔”になる。
「まず、仕事は減らす」
「はい」
「ハードな撮影は全部ストップ」
「……ありがとうございます」
少しだけ肩の力が抜ける。
「ただし」
鋭い声。
「完全休業は無理」
現実。
「軽い仕事は調整して入れる」
「大丈夫です」
その条件でも十分だった。
「あと」
一拍置いて、ほのかは続ける。
「絶対にバレるな」
空気が張り詰める。
「はい」
「体型、表情、体調」
「全部徹底管理」
「……はい」
その声は、少しだけ震えていた。
⸻
■事務所・外
「……はぁ」
桃華はビルの外で息を吐く。
緊張が一気にほどける。
「終わった?」
後ろから声。
春日千香だった。
「話した」
「で?」
「仕事、減らしてくれるって」
千香は軽く目を丸くして、それから笑った。
「よかったじゃん」
「でも」
桃華は空を見上げる。
「これからが本番だよね」
千香の顔が少しだけ真面目になる。
「うん」
「ここから長いよ」
「……うん」
その一言で、現実に戻される。
⸻
■夜・通話
「話したよ」
桃華の声。
少し疲れている。
「岸田さんに」
颯太「そっか」
少しだけ安心した声。
「どうだった?」
「仕事は減らすって」
「よかった……」
本音の声だった。
「でも完全には休めない」
颯太「まぁ……そうなるよな」
現実を理解している声。
「無理すんなよ」
「うん」
少しの沈黙。
「なぁ」
颯太の声が少しだけ低くなる。
「怖くない?」
桃華は一瞬、言葉を探す。
「怖いよ」
素直だった。
「体も変わるし」
「仕事も変わるし」
「全部変わる」
一度息を吐く。
でも――
「でもさ」
少しだけ笑う。
「楽しみでもあるんだよね」
颯太「……」
息を飲む音が聞こえた気がした。
「楽しみ?」
「うん」
「変だよね」
自分でも少し笑う。
「でもさ」
「一人じゃ無理」
少し沈黙。
「だから」
「颯太くんがいるから」
颯太はすぐに言った。
「……任せろ」
短いのに、重い声だった。
⸻
■深夜・桃華の部屋
ベッドに横になる。
静かな天井。
そっと、お腹に手を当てる。
「……ここにいるんだよね」
返事はない。
でも、確かにそこにいる気がした。
「守るからね」
小さく、でも確かに言う。
“女優”
“妻”
“母”
どれもまだ不完全。
でも――
もう戻れない場所に立っている。
⸻
■同時刻・颯太
天井を見つめる。
「……父親か」
まだ現実感は薄い。
でも、逃げる気はなかった。
「やるしかないな」
小さく呟く。
怖さより先にあったのは、責任だった。
そして少しだけ――
未来への覚悟だった。
⸻
■夜
二人は離れている。
それでも同じものを抱えている。
不安。
覚悟。
そして、まだ形にならない“家族”。
静かに、確かに。
未来はもう、動き始めていた。
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