第18話「告白と決断、そして二人の未来」
■静かな部屋
机の上。
小さな検査キットを、桜井桃華はただ見つめていた。
「……」
呼吸が浅い。
視線を逸らしたいのに、逸らせない。
(ちゃんと、見ないと)
ゆっくり息を吸う。
そして――結果に目を落とす。
「……陽性」
小さく、震える声だった。
⸻
■沈黙
「……」
動けない。
理解はできるのに、体が追いつかない。
(ほんとに?)
(いや、でも)
(でもこれは)
頭の中だけがうるさい。
「……はぁ」
その場に座り込む。
スマホを握る手が冷たい。
⸻
■通話前
画面には「颯太」。
「……」
押すまでに、数秒じゃ足りなかった。
(言う)
(言わなきゃ)
(でも、なんて)
息を吸って――押す。
⸻
■通話
数コール。
「もしもし?」
いつもの声。
それだけで、涙が出そうになる。
桃華「……颯太くん」
颯太「どうした?」
桃華「結果、出た」
颯太「……うん」
一拍。
桃華「陽性だった」
⸻
■沈黙
「……」
空気が止まる。
でも逃げの沈黙じゃない。
受け止めるための時間。
颯太「……そっか」
少しだけ掠れた声。
桃華「……うん」
颯太「……そっか」
もう一度、小さく。
颯太「今、どこ?」
桃華「部屋」
颯太「一人?」
桃華「うん」
颯太「動ける?」
桃華「……うん」
颯太「今から行く」
桃華「え?」
颯太「待ってろ」
桃華「でも」
颯太「でもじゃない」
少しだけ強い声。
颯太「一人で抱えんなって言ったやろ」
桃華「……」
⸻
■少しの間
桃華「……来てくれるの?」
颯太「当たり前やろ」
桃華「でも、仕事とか」
颯太「今それどうでもいい」
桃華「……重いよ」
颯太「重いのはこっちもや」
桃華「……」
颯太「一人で決めるな」
桃華「もう、決まってるよ」
颯太「違う」
桃華「え?」
颯太「決まったんじゃなくて、“始まった”だけや」
桃華「……」
その言葉で、胸が詰まる。
⸻
■颯太の声
颯太「なあ桃華」
桃華「うん」
颯太「怖い?」
桃華「……怖い」
即答だった。
颯太「うん、それでええ」
桃華「え?」
颯太「怖いままでええ」
桃華「そんなの、いいの?」
颯太「いい」
颯太「怖いのに一人で抱えるのが一番あかん」
桃華「……」
颯太「今どんな気持ち?」
桃華「……分かんない」
桃華「嬉しいとかじゃなくて」
桃華「現実って感じがしない」
颯太「俺も同じや」
桃華「え?」
颯太「まだ全然実感ない」
颯太「でも」
少し間。
颯太「でもな、さっき“産んでほしい”って言ったのは本気や」
桃華「……うん」
颯太「今も変わってない」
桃華「そんな簡単に決めていいの?」
颯太「簡単ちゃう」
颯太「めちゃくちゃ怖い」
桃華「……」
颯太「でも、逃げる方がもっと怖い」
⸻
■桃華
桃華「私さ」
颯太「うん」
桃華「正直、まだよく分かんない」
桃華「でもね」
颯太「うん」
桃華「一人だったら、多分無理だった」
颯太「……うん」
桃華「今も、怖い」
桃華「でも」
桃華「“一人じゃない”って思えたら、ちょっとだけ……息できる」
颯太「それでええ」
桃華「え?」
颯太「今はそれでええ」
颯太「ちゃんと立ち上がるのはこれからや」
桃華「……うん」
⸻
■間
桃華「ねえ」
颯太「ん?」
桃華「今、来てる途中?」
颯太「もう出る」
桃華「早い」
颯太「遅いくらい」
桃華「……そっか」
少しだけ笑う。
桃華「ねえ颯太くん」
颯太「うん」
桃華「もしさ」
颯太「うん」
桃華「ほんとに私たち、親になるんだよね」
颯太「……なるな」
桃華「怖いね」
颯太「怖いな」
桃華「でも」
桃華「なんかさ」
桃華「一人で抱える怖さとは違う気がする」
颯太「うん、それや」
桃華「それ?」
颯太「一緒に怖いってやつ」
桃華「……変な言い方」
颯太「でも一番マシやろ」
桃華「……うん」
⸻
■少しの沈黙
颯太「なあ桃華」
桃華「うん」
颯太「ちゃんとそこにおる?」
桃華「いるよ」
颯太「泣いてる?」
桃華「ちょっとだけ」
颯太「止めんな」
桃華「え?」
颯太「泣くの止めるな」
桃華「……なんで?」
颯太「今はそういう時間やろ」
桃華「……うん」
⸻
■颯太
颯太「すぐ行くから」
桃華「うん」
颯太「一人で考えすぎんなよ」
桃華「うん」
颯太「俺も考える」
桃華「一緒に?」
颯太「せや」
桃華「……うん」
桃華「待ってる」
⸻
■通話終了
静寂。
でも、さっきまでとは違う静けさ。
桃華はスマホを胸に置く。
「……一緒か」
小さく呟く。
怖さは消えていない。
でも――
一人じゃない怖さに、少しだけ形が変わっていた。
⸻
■同時刻・颯太
部屋の扉の前。
靴を履く手が止まる。
「……ほんまに始まったな」
小さく息を吐く。
でも、足は止まらない。
「待ってろ、桃華」
そう呟いて、ドアを開けた。
⸻
■夜
二人の距離は、確かに動き出していた。
怖さごと抱えたまま、それでも“会いに行く”という方向へ。
それが、最初の一歩だった。
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