第84話 「“飲み会という名の観測場”と、距離の再定義」
■居酒屋・乾杯直前の“温度差”
グラスが配られていく。
店員が慣れた手つきでテーブルを整え、
注文用タブレットが中央に置かれる。
だが… その一卓だけ、明らかに温度が違った。
先輩男子がぎこちなく笑う。
「と、とりあえず……何飲みます?」
「いや待って、ほんとに普通に聞いていいやつこれ?」
「逆にどう聞くんですかそれ」
「いやだって相手……」
小声が漏れる。
「芸能人だぞ……?」
ももは少しだけ首を傾げる。
「おすすめ、ありますか?」
その一言で、また空気がざわつく。
(え、普通に聞くんだ)
(なんか距離近く感じるな)
(テレビの中の人じゃない感じする)
先輩女子が慌ててフォローする。
「えっと、無難にカシスオレンジとか……?」
「女子大生っぽいやつ選んだな」
「いいでしょ別に!」
ももは頷く。
「じゃあ、それで」
「ほんとにそれでいいんですか?」
「はい、飲みやすそうなので」
「めっちゃ普通に選ぶじゃないですか……」
颯太に視線が向く。
「颯太くんは?」
「……水で」
「いや飲めよ」
「飲めへんねん」
「嘘だろお前」
「マジやって」
「いや今日くらい空気読めよ」
「体質やねん」
一瞬の間。
ももが、少しだけ笑う。
「ほんとに?」
「ほんとに」
「一滴も?」
「無理」
「乾杯の一口も?」
「それで倒れる可能性ある」
「そこまで?」
「そこまで」
先輩男子が吹き出す。
「ちょっと待って、なんでその感じで会話成立してんの?」
「距離感おかしくない?」
「初対面のテンションじゃないよなこれ」
「いやほんまそれ」
先輩女子も小声で言う。
「なんか……普通に話してるのが逆に怖いんだけど」
「わかる、違和感すごい」
颯太は軽く肩をすくめる。
「まぁ……そういうもんやろ」
「いや絶対違うやろ」
「“そういうもん”で済むやつじゃない」
「説明してくれ」
「無理や」
(説明できるかこんなん)
ももが小さく笑いながら口を開く。
「仲は、いい方だと思いますよ」
「“いい方”ってレベルじゃなくないですか?」
「距離近すぎません?」
「さっきから自然すぎるんですけど」
ももは少しだけ考える。
「……慣れ、ですかね」
「慣れでこうなるんですか!?」
「何に慣れたらそうなるんですか!?」
颯太がぼそっと言う。
「俺も分かってへん」
「お前も分かってないんかい!」
テーブルに軽く笑いが広がる。
さっきまでの張り詰めた空気が、少しだけ崩れる。
店員がタイミングよく声をかける。
「ご注文お決まりでしたら〜」
先輩男子が慌ててタブレットを触る。
「えっと、カシスオレンジ一つと……」
「あとビール二つ」
「ウーロンハイも」
「で、水一つ」
「いや水強すぎだろ」
「水勢力強いな」
颯太が小さく言う。
「安定やからな」
ももが少しだけ笑う。
「確かに、一番安心ですね」
「そっち側に寄るんですか?」
「いやなんか感覚おかしくなるわほんと」
ドリンクを待つ間、微妙な沈黙。
だがその沈黙も、完全な気まずさではない。
先輩男子がぽつりと言う。
「……なんかさ」
「はい?」
「普通に話してるけど、状況おかしいよな」
「めちゃくちゃおかしいです」
「でもなんか成立してるのが怖い」
ももは少しだけ目を細める。
「成立してるなら、いいんじゃないですか?」
「いや……まぁ……そうなんですけど」
先輩女子が苦笑する。
「なんかもう、順応するしかない気がしてきた」
「それが一番早いと思います」
颯太が頷く。
「正解やな」
「お前が言うな」
再び小さな笑い。
⸻
その一卓だけが持つ“違和感”は、
完全には消えないまま――
少しずつ、“場に馴染み始めていた”。
⸻
■“乾杯”という儀式
店員がドリンクを運んでくる。
カラン、と氷の音。
「お待たせしましたー」
「うわ、来た来た」
「タイミング神すぎる」
「なんか変に緊張してきたんだけど」
カシスオレンジ。
ウーロンハイ。
ビール。
そして水。
「水だけ浮いてない?」
「逆に安心感あるけどな」
「いやこの状況で水選ぶメンタル強いわ」
「選んでへん、選択肢ないねん」
「それはそれでおかしい」
グラスが揃う。
先輩女子が少し緊張しながら言う。
「じゃあ……乾杯、でいいですか?」
「いやむしろそれ以外ある?」
「ここで乾杯しない方が不自然でしょ」
「確かに」
「え、ちょっと待って俺仕切る感じでいいの?」
「いいよいいよ」
「むしろ助かる」
⸻
誰も否定しない。
だが… 一瞬だけ、全員の意識が“もも”に向く。
(どうするんだろ)
(この人がやる流れ?)
(任せていいのかこれ)
⸻
ももはそれを感じて、小さく笑う。
「……あ、やっぱりそうなりますよね」
「いや、なんか……自然と」
「お願いします、みたいな空気になってる」
「任せていいですか?」
⸻
「じゃあ――」
⸻
グラスを軽く持ち上げる。
その仕草だけで、場が整う。
⸻
「今日は、よろしくお願いします」
その一言。
完全に“場をまとめる側”の言葉。
「……いや、上手すぎない?」
「一瞬で空気整ったんだけど」
「これがプロか……」
「……乾杯」
「乾杯!」
「乾杯〜!」
「おつかれ!」
カチン、と音が鳴る。
⸻
その瞬間。
“非日常”が、少しだけ“日常に寄る”。
⸻
「……なんか普通に始まったな」
「さっきまでの緊張どこ行った?」
「いやまだちょっとあるけど」
ももが一口飲む。
「……美味しいですね」
「でしょ?」
「それ選んで正解ですよ」
「飲みやすいやつなんで」
颯太は水を飲む。
「安心やな」
「お前だけ世界線違うんよ」
「アルコールの概念ないやろそれ」
「ないな」
⸻
先輩男子がぽつり。
「……なんかさ」
「はい?」
「この状況、冷静に考えたらやばいよな」
「めちゃくちゃ分かります」
「でも成立してるのがさらにやばい」
ももが少しだけ笑う。
「成立してるなら、大丈夫ですよ」
「その理論強いな」
「説得力あるようでないようである」
⸻
先輩女子が言う。
「でもさっきよりは……普通っぽいかも」
「うん、確かに」
「乾杯したら一気にそれっぽくなった」
颯太がぼそっと言う。
「儀式やからな」
「儀式って言うな」
「でも間違ってない」
⸻
ももが小さく頷く。
「こういう“区切り”があると、入りやすいですね」
「え、今の深くない?」
「分析されてる感じするんだけど」
「普通の飲み会も、ちゃんと構造あるんですね」
「いや構造って言われたことないわ」
⸻
テーブルに笑いが広がる。
さっきまでの“異質さ”が、少しだけ“共有される違和感”に変わる。
グラスがもう一度、軽く触れる。
その音はもう、最初ほど特別ではなかった。
⸻
■乾杯後の崩れない違和感
一口、飲む。
ももはストローに口をつける。
「……」
小さく息をつく。
⸻
(普通に飲んでる)
(いやでも普通じゃない)
(なんだこの感覚)
⸻
先輩男子が耐えきれず口を開く。
「……あのさ」
「はい?」
「ほんとに一般の飲み会とか来るんですね」
⸻
ももは少しだけ考える。
視線を落として、言葉を選ぶ。
「来たことは……ほとんどないです」
⸻
「ほとんど、ってことは?」
「……ほぼ初めて、ですね」
「え、マジで?」
「初回がこれってヤバくない?」
「難易度設定おかしいだろ」
颯太が横で小さく笑う。
「確かに」
「お前が言うな」
ももがちらっと颯太を見る。
「颯太くんは、いつもこんな感じ?」
「いや、今日は完全にバグってる」
「ですよね」
⸻
二人で軽く笑う。
(やっぱ距離おかしい)
(このテンポ普通じゃない)
(なんなんこの自然さ)
先輩女子が前のめりになる。
「お仕事って、やっぱり忙しいですか?」
「スケジュールとかどうなってるんですか?」
「休みとかあるんですか?」
質問が重なる。
ももは一つずつ受け止めるように頷く。
「忙しい時期は、かなり忙しいです」
「撮影が続くと、数日単位で空かないこともあります」
「でも……」
少しだけ間を置く。
「こういう時間も、大事にしてます」
「こういう時間って?」
ももは、グラスを軽く回しながら言う。
「普通に人と話す時間、です」
⸻
一瞬、静かになる。
⸻
「……なんかいいな」
「普通って、そんな価値あるんだな」
「逆に俺らが贅沢なんかもな」
颯太はそれを聞きながら思う。
(ちゃんと分けてるな)
(“仕事”と“今”を)
隣の同期が小声で聞く。
「なあ、颯太」
「ん?」
「ほんまにただの知り合い?」
颯太は一瞬だけ黙る。
「……まぁ、近い方やな」
「近いって何やねん」
「言葉のままや」
「余計わからんわ」
別の同期も乗っかる。
「てかさ、距離感バグってない?」
「敬語とタメ口混ざってるし」
「名前呼びやし」
颯太は軽く肩をすくめる。
「その辺は……流れや」
「流れでそうはならんやろ」
ももがその会話を横で聞いて、少しだけ笑う。
「確かに、変かもしれませんね」
「いや、変っていうか……」
先輩男子が言葉に詰まる。
「異常?」
「言い方」
ももがくすっと笑う。
「慣れてるだけ、かもしれません」
「何にですか?」
⸻
「……距離に」
⸻
また一瞬、空気が止まる。
⸻
(今の深いな)
(なんか意味ありそう)
⸻
ももはすぐに話題を戻す。
「皆さんは、よく飲みに行くんですか?」
⸻
先輩女子が答える。
「週1とかですかね」
「テスト前は減りますけど」
⸻
「じゃあ今日は特別な日ですね」
「いや、こっちからしたら特別すぎます」
⸻
颯太が口を挟む。
「歴史に残るレベルやろ」
「間違いない」
⸻
笑いが起きる。
⸻
■ももの観察(内側)
ももは静かに周囲を見る。
会話の流れ。
視線の揺れ。
緊張の残り具合。
(まだ完全には溶けてない)
(でも、拒絶はされてない)
グラスを持ちながら、小さく呟く。
「難しいですね」
颯太だけが反応する。
「何が?」
⸻
「普通」
⸻
颯太は少し笑う。
「最初から無理やろ」
「ですよね」
二人で小さく笑う。
⸻
■空気の“適応”
時間が進む。
料理が運ばれる。
「これ頼んだやつ来ましたー」
「お、うまそう」
「取り分けますね」
会話が増え… 笑い声が自然になる。
先輩男子が箸を持ちながら言う。
「いやでもさ、最初マジでビビったわ」
「そりゃそうですよね」
「でも今は……普通に話せてる気がする」
⸻
ももは少しだけ目を細める。
「それなら、よかったです」
⸻
■颯太の違和感
(順応してる)
(この短時間で)
“異物”だったはずの存在が、
“特別な人がいる飲み会”に変わっている。
(これがこの人のやり方か)
⸻
■小さな揺れ
その時。
別テーブルから小さな声。
「やっぱ本人じゃない?」
「さっきの対応、完全にプロだったよな」
完全には消えない外の視線。
ももは気づいている。でも、動かない。
代わりに、グラスを軽く揺らし… 氷が静かに音を立てる。
「ねえ、颯太くん」
「ん?」
⸻
「これ、思ってたより楽しいかも」
⸻
颯太は少しだけ笑う。
「そらよかったな」
⸻
「うん」
少しだけ柔らかい笑顔。
それは… “斉藤もも”でも、“桜井桃華”でもない。
今この場にいる、“彼女”そのもの。
⸻
■締め
居酒屋の喧騒は続く。
笑い声。
グラスの音。
料理の匂い。
⸻
その中に混ざる、ひとつの異質。
だが… それはもう浮いてはいない。
“場の一部として成立している違和感”
それが今、この飲み会の“完成形”だった。
⸻
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
もしこの物語に少しでも「面白い!」と感じていただけたなら——
ブックマーク & 評価★5 をぜひお願いします!
その一つひとつが、次の章を書き進める力になります。
読者の皆さまの応援が、物語の未来を動かします。
「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ、見逃さないようブックマークを!
皆さまの応援がある限り、次の物語はまだまだ紡がれていきます。




