第6話:始まりの合図
もう昼だ。不健康な起床時間である。
今後このようなことは起こさないために、もう酒は飲まない様にしよう。
湯に浸したタオルで体をこすりながら、俺は胸に固く誓う。
まさかウチに迎え入れた翌朝の寝起きにいきなり寝ゲロをかまされるとは思わなんだ。
しかし逆に考えれば、魔王が変に繊細な人じゃなくて良かったと喜ぶべきか。
「いてて」
まだ筋肉痛で上手く動けず、体を拭くことが難しい。
一応、昨日は湯に浸かったし、もう簡単に汚れを拭くだけでいいだろうか。
「兄様、失礼します。お拭きしましょうか?」
「……勝手に入るなと何度言えばわかる、英嫣」
音もなく浴室に入り、俺の背後に立つ一人の少女。名を「顧 英嫣」。
俺の母方の実家の"顧氏"出身の人物で、まぁ、遠縁ではあるが一応は身内ということになる。
身長も低いからか、見た目はまるで十代半ばの少女だが、年齢はあまり変わらない。2つ下で、魔王と同年か。
感情があるのかどうか分からないあの大きくて黒い瞳を見ていると、吸い込まれてしまいそうだなといつも思ってしまう。
「間者を統括する身として、最も兄様が無防備となるこの浴室を私が直々に警護するのは当然のこと」
「頼むからやめてくれ」
「兄様の裸をこの目で覗き見ることができなくなるのなら、この役職を務める意味がありません。どうぞ殺してください」
「怖いぃ……」
勝手に俺からタオルを奪い取り、手の届かない背を擦ってくれる英嫣。
小さい頃から共に育ち、妹の様に思ってきたのに、いつからこんな怖い子に育ってしまったんだろう。
「それで大王様と、寧殿は」
「別邸に移っていただき、そこで家人達がお世話いたしております。ちなみに全千派(反乱軍)の間者も多く林氏領に入っていますね」
「警戒を怠るなよ」
「既に十名ほど始末しました。引き続き最大限の警戒を行います」
手際が良すぎる。そして笑顔が怖すぎる。
どんなに怖くても、これだけ有能だと絶対に手放せないんだよな。たぶん本人もそれを分かってるところが更に怖い。
「ですがあの将軍(全千)が扱う間者は、なんというか、質が低いんですよね。恐らく嫌いなんでしょう、姑息な手が」
「遠回しに俺の性格が悪いって言ってる?」
「いえいえ、言ってませんよ。それじゃあ前を拭きますので失礼しますね」
「あ、駄目ですよー?」
流れるように前に回りこんだ英嫣の手からタオルを奪い取る。
いや、そんな「何で?」みたいな顔されても。あたりまえだろ、馬鹿じゃねーの?
「それで、他に報告は?今は少しでも多くの情報を頭に入れておきたい」
「軍の動きは、軍部の方から話が上がるでしょうからそこは省きます。ひとまず間者から上がる報告は、政治面について」
「先代の魔王と、此度の反乱軍大将の鄂牙全千は、実の兄弟ながら対立していた。今回の反乱はその延長と見て良いのか?」
「そうですね。ただ、きっかけは確かにそうでしたが、王都の惨状は全千将軍も意図していないものであったでしょう」
先代魔王は南方で大勢力を有する人間族の氏族、"南公"こと"趙氏"との協調を強く推し進める路線をとっていた。
趙氏はかつてこの天下を六百年に渡って統べていた王家であり、鄂牙王朝の拡大で南方に追いやられたものの依然として一大勢力を有している。
鄂牙雪蘭の母である太后様もこの趙氏出身。そして中央官僚もまた南方出身の人間族が多かった。
勿論、大鬼族を始めとする魔族はこれが面白くない。その不満は軍部を統べる鄂牙全千に集まっていたのだ。
「全千将軍が自ら殺めたのは王太后様、そして宰相閣下の二人です。更に情報によれば、将軍が出した指示は、この二人に加えて魔王(鄂牙雪蘭)様の身柄を抑えることのみで、武装蜂起の指示は出ていませんでした」
「あくまで上層のみで事態の収束を図ろうとしたのか。だが、王都では民衆まで含めて魔族による人間族の虐殺が起こり、宮殿は焼失したと」
「はい。軍が暴走したのです。将軍の意図を越え、気に入らない人間族は殺しても良いと、解釈したのかと。そして現在に至るまで将軍はそれを咎めていません」
「その結果が今か」
魔族は、人間族の土地を奪い、更には従属させる形で支配するようになった。
しかし高度な組織力や政治力を有する人間族は、国政において欠かすことが出来ず、鄂牙王朝の実権を掌握。
怨恨は互いに募っており、全千の起こした政変をきっかけとしてその怨恨が爆発した。
王都の惨状はその象徴である。この怨嗟の濁流はもしかすると天下全土に広がる恐れすらあった。
「兄様、これより天下はどうなるのでしょうか。この地も、王都と同じようになるのでしょうか」
湯を体にかけて流し、英嫣より手渡された乾いたタオルを頭にかぶる。
寝汗を流してスッキリしたおかげで、少しずつ頭の整理もついてきたような気がした。
「俺は覚悟を持って魔王を迎えた。滅びゆく平穏を守るための覚悟だ。ゆっくりと湯に浸かれるような日々をこれからも送っていくために、ここで乱世を食い止める」
「でしたら私も全身全霊を賭けて職務に励みます。兄様の安心した入浴を守るために」
言葉に含みがあるような気もするんだけど、気のせいか。
仕事頑張るって意味だよね?それ以上でも以下でもないよね?期待してる!
そういえば、頭も体もスッキリしたことでふとひとつの疑問が浮かぶ。
朝のこと、魔王のことだ。
「あのさ、そういや大王様が俺の居室に入り込もうとしたのを、何で止めなかったんだ?お前らなら普通に阻止できたんじゃないの?」
「え、良かれと思って」
「何をどうすれば良かれと思うのん?」
「兄様は"西公"たる林氏の現状が分かってますか?領地を削られどんどん西の砂漠に追いやられる、辺境の没落領主。ただただ官位が高いだけのお飾り貴族」
「言い過ぎじゃない?」
「そんな兄様が魔王様とお近づきになるのは、お家にとっても良いことでしょう。それに兄様には才能があります」
「才能?」
「異種族にも興奮できるでしょ?それは得難い才能です。血縁を増やしていくのもまた政治に必要な事なのですから。私は愛人で我慢します」
何を我慢するつもりなんだろう。怖い。
とにかく逃げなきゃ。いつまでここに居るつもりだコイツ。
◇
間もなくして反乱軍首魁である"鄂牙全千"は、王朝の腐敗を招いた佞臣を斬ったと派手に主張。
そしてその功によって群臣らに請われ、自ら「魔王」の座に就くことを天下へ宣言したのであった。
先代魔王の「鄂牙岳」が崩御し、その後継である「鄂牙雪蘭」は生死不明の状況。
先代の実弟であり、王朝筆頭の軍功を有する全千が魔王に即位するのは、自然な流れと言っても良い。
そう、そのはずだった。
しかし運命は一人の男によって覆される。
「大王様、ご命令を」
狭く老朽化した役所である。
居並ぶ人の数も少なく、なんともみすぼらしい一団だ。
その役所にて、深緑色の戦袍を羽織る魔王"雪蘭"は、即席の玉座に腰を下ろす。
そして彼女の前に膝をついているのは、不健康そうな悪人面をした若き一人の男だった。
「うん、余は"天水"に居る。賊である全千の即位は到底許されることじゃ無い。天下にそう布告せよ」
「御意」
「もう引き返せないぞ。余と共に生きてくれるのだな、明浩」
「勿論です、大王様。この"林明浩"にお任せを」
田舎の没落領主が、全てを失った魔王を擁し、天下に名乗りを上げる。
全てはここから始まったのであった。
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