第19話:二人だけの儀式
そういえば、聞いたことがある。
大鬼族の「婚姻の儀礼」に関する話だ。
人間族は高位になればなるほど、自分で結婚の相手は決められない。必ず家格の釣り合う相手が選ばれるものだ。
しかし魔族は、勿論、家が結婚相手を決めるんだが、自由恋愛も珍しい話ではないのだとか。
中でも大鬼族の恋愛はこれまた過激で、まず「意中の相手の誘拐」から始まる。
力づくで屈服させて拉致、そして軟禁するわけだが、不思議なことにそこで手を出すことは無い。
そこからは誘拐したその相手にとにかく尽くし、誰にも手を出されないよう守り、そしてその誘拐した相手の親に結婚したい旨を申し込むのだ。
もしこの時点でその相手を傷物にしようものなら、その親や一族が誘拐犯を攻め滅ぼすことになる。
だが大量の財宝やら家畜を貢ぎ、何度も何度もお願いをして許されたのなら、ようやくそこで結婚となるのだとか。
ちなみに実力第一主義の大鬼族では、腕っぷしの強い女性が意中の男を攫って結婚までこぎつけるなんて例もあるらしい。凄いね。
「なぁ、雪蘭。なんか喋ってくれって」
もしかしてコイツは、俺を攫っているつもりなんだろうか。
ただまぁ、大鬼族のそんな婚姻の儀式も結局は「両親の承認」が不可欠。
納得させることが出来なければ、即戦争になる。
そして納得させるには互いの家格というか、婚姻を結んで得のある家柄か、というのがやっぱり重要だった。
俺は西公、そして雪蘭は魔王。立場は明らかに異なる。
今、こんなに近くにいるのに、その差はまるで月に手を伸ばすかのような話であった。
「……明浩、余は、どうすればいい」
「それは俺が何か言って、決まることなのですか?」
「余も、もう子供ではない。魔王として歩むべき正しい道はどういうものなのかも、分かっているつもりなんだ」
「はい」
「だが王とは斯様にも、苦しき存在なのだとは思わなかった。好いた相手と添い遂げる事も出来ず、その相手が別の女を妻とする。それをただ見ていることしかできないのか……っ」
もうとっくに、分かっていた。互いに向け合う感情が、どういうものであるのかなんて。
しかしそれを口に出してしまってはいけない。互いに抱えているものがあまりにも大きすぎた。
我儘を通すにも、少しばかり歳を取り過ぎていた。
今回の戦乱は、先代魔王が南公との政治的な繋がりを強めるべく、南公の血筋の者を正室に迎えたところから始まったと言っても良い。
多くの魔族が不満を抱いたのだ。なぜ鄂牙王朝の君主が「魔王」の名を冠するのか、それは「魔族の王」であるからに他ならない、と。
魔族にとって人間族はかつての侵略戦争で「屈服させた相手」であり、そんな人間族の血を「魔族の王」が受け入れるということに抵抗を感じる者も多い。
王とは、そういう存在だ。その身は神に等しく、人民の象徴であるべき孤高の存在。故に、不満が募りに募って、反乱が起きてしまった。
雪蘭もその道理を理解はしているのだろう。だが、理屈と感情は違うものである。
「そういう言葉にしにくいことを口に出来る裏表のない正直さは、貴方の美徳だ。臆病者の俺には真似が出来ないからこそ、その、とても、愛おしく思うよ」
「えっ……」
「どうしますか?このまま本当に俺を攫って、全てを捨てて、旅にも出ますか?」
顔だけ、振り返る。面をつけてはいるが、その瞳だけは真っすぐと俺の目を見つめていた。
深紅の色が潤んでいる。喜びと、期待と、迷いと、痛み。全てが入り混じっているように思った。
冗談めかした提案である。でもこれは俺の本心から口に出たものでもあった。
もういいじゃないか、全てを捨てても。物心がついたころから、俺の頭の片隅にはそんな思いが居座り続けている。
一番の俺の本音のような、それは希死念慮に少し近いもの。それが不意に口から出てしまった。
「いいな。それは、余の幼い頃よりの夢だった」
視線を外し、雪蘭は再び顔を前に向ける。
記憶を掘り出して懐かしむ、優しい声をしていた。
「王宮には母上が趙氏領(南公の領地)より持参した、この天下の各地の名所を描いた絵が飾られていてな。王宮しか世界を知らなかった余は、いつかこの全ての地を親しき者達と巡り、美酒と美食を楽しみたいと恋焦がれてきた」
気づけば馬の足の速さも、ちょっとした小走り程度に落ち着いていた。
外周を少しだけ回り、主要道に戻る。誰も居ない。広く大きな一本道だ。
「明浩、お前とそれを巡ることができるなら、きっと、楽しいだろうな」
「どこまでもお供いたします」
「……だが、もはやそれは叶わないだろう。余のために死んでいった者達があまりにも多すぎる。血が、流れ過ぎた」
怒りに満ちた覚悟の言葉。いや、覚悟というより、無視することが出来ない定められた呪いの宿命。
残酷な希望を見せてしまったな。彼女がこう答えることなんて分かり切っていたのに。
でも少しだけ、残念だな、とも思った。
「まぁそうですよね。俺も西公の責務を放棄して、またあのテキトー親父に仕事を任せるなんて、考えただけで頭が痛くなる」
「フフッ、お互いままならない人生だな」
「本当に」
そのままならない日々の中で、少しだけでもいいからこうして笑い合える時間があったら、それで十分だ。
なんてカッコつけたことを思いながら、俺も息を整えて、覚悟を決める。
俺は西公であり、魔王"雪蘭"の腹心たる「闇軍師」である。
彼女が魔王としての道を進むのなら、俺もそんな世間の評判を飲み込もう。
男とは自分を認められたい生き物であり、その為になら死ぬことが出来る生き物だ、なんて話をどこかで聞いたことがある。
俺はこの魔王に「余が魚なら、お前は水なのだ」と評されたその瞬間に、胸が震えたんだ。
その言葉に報いるためなら戦地へこの身を投じても惜しくないと、思ってしまっていた。
「雪蘭、君はどんな魔王になりたい?」
「へ?」
「それを叶えるのが臣たる俺の役目だ。聞かせてくれ」
しばしの沈黙。きっと次の言葉で自らの運命が決まる。
俺も、そしてきっと雪蘭も、何となくそれを予感している気がした。
「余は、全千を許さない。親しき者の命を数多奪い去ったこの戦乱を憎む。故に魔族も人間も関係ない、皆が同じ食卓を囲めるような優しき治世を敷く、そんな王になりたい」
「こりゃ、随分と難しい注文だ」
「お前が聞かせてくれと言ったからっ!」
「ハハッ、大丈夫。叶えてみせますよ、この林明浩にお任せください」
それじゃあまずは、西都の奪還。ここから手を打つ必要がある。
勿論、十分な兵数や物資を集め、領内を安定させて、と考えなければならないことは極めて多い。
「大王様、お忘れなく。この明浩の真心は、常に貴方と共にあります」
全ては魔王"雪蘭"という大義の下に、俺はまたひとつ人の道を踏み外すことになるだろう。
それでもいい。そうでもしないと全千には勝てない、この戦乱を鎮めることは出来ない。
「じゃあ明浩、お前も覚えておけ。余は諦めないぞ。いつか誰にも文句を言わせること無く、お前を余の側においてやる」
「いや、それは」
「文句あるか!?」
「……いえ、全く。楽しみにお待ちしております」
そうだ、雪蘭とはこういう王だった。
そんな彼女に、俺は心を奪われてしまっていたのだ。
そして、いつの間にか明るく賑やかな俺の屋敷が見えてきた。
二人で馬を降り、雪蘭はその面を外し、涙で濡れた顔を俺の胸に押し当てる。
相変わらず角が鎖骨に当たって痛かった。
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