第20話:朝歌の戦い
広大な平野部。東に進めば進むほど土地は低く、平坦なものになっていく。
故に天下を「武」でもって治めるには、この広大な平地を如何に駆け回り、敵を打ち倒していくか、それが全てであった。
埋めつくす兵士。旗。荒野はあちこちで燃えており、煙が曇り空に溶けてゆく。
その兵士の群れが横に長く陣を敷き、規則正しく綺麗に並んでおり、更にその幅も分厚い。
十万を優に越える軍隊とはかくも壮観なものかと、僅か数騎の供を連れた全千は口角を上げる。
対する自軍も敵と同じ長さで陣を敷いている。しかし敵と比べれば薄く貧相なものであった。
まるで紙と煉瓦だ。これが正面からぶつかればどうなるかなんて、子供ですら分かるほどの戦力差。
しかし全千の目には違った未来が見えていた。
戦は今日中に終わるだろう。僅かに小高い丘陵、馬上から戦場を見下ろす「不敗将軍」は黒の面を被る。
「亜父(全千が賀骨潜を呼ぶときの敬称)、どう見る」
「これだけの兵と装備をよく揃えたものです。いや、密かに蓄えていたのか。全く、烏文殿は油断ならない御方ですな」
老将は馬ではなく、兵士達が担ぐ御輿の上であぐらをかいていた。
白い髭を撫でながら、手に持った細い竹の棒で、眼前に広がる戦場をつついている。
「ですが指揮統制がまるでなく、誰もが勝ち馬に乗りたいだけに見えます。綺麗に整列してるものの、実際は小部隊の寄り合いであり、本隊を砕けば霧散するかと。ですが、不安要素もひとつ」
「東公の軍が見えんな」
「左様。東公の軍は小鬼族主体であり、兵としてはとかく弱兵。故に彼らは知恵と工夫を凝らして戦います」
「夜襲、伏兵、謀略、毒、散兵戦術。小細工を弄することに何の抵抗もない奴らだ」
小さく、そして弱い体。それでも乱世を潜り抜け、魔族の中でも秀でて繁栄を遂げてきた種族。
初代東公「羅谷 阿斑」も「偽装撤退からの伏兵による包囲」という戦術を好んでいたとされる。
しかし奇策というのは基本的に劣勢の側が用いるものであり、兵力優勢である烏文軍が小細工を弄する理由はない。
また地形で見ても伏兵を配するに向いた地は西方の山林地帯くらいで、今からそこまで戦場を移すとも思えない。
ここは決戦の地。ここは王都と鄴城の中間に位置する「朝歌」という名の平原である。
「もし儂が東公の立場であれば、別動隊を率いて我らの側背を突くでしょう。というか打てる奇策はそれくらいですな」
「ならば亜父、警戒はお前に任せる」
「御意。殿下は如何に動かれますか?」
「叔父上の首を獲ってくる」
小隊は旗を掲げ、丘を降りる。
その先頭を駆けるのは不敗将軍「鄂牙 全千」。
黒毛の巨馬に跨り、真っ黒な鎧と面を装備した武人。左右より兵士達が武器を手渡した。
両手にそれぞれ握るのは、己が体躯ほどに長い"戟"である。日は高く昇っていた。
砂煙が舞い、兵士達の騒めきが埋め尽くす戦場の中、見るからに目立つその男は堂々と敵に向かって進んでいく。
たった一騎。
両軍共に既にざわめきは無く、誰もが息を呑んで全千だけに視線を向けていた。
「──総攻撃だ」
静かに、右手の戟を天に掲げたその瞬間。
全千軍の中央より、黒づくめの重装歩兵部隊が突如として猛進を開始した。
その数は三千。全千直属の精鋭歩兵部隊「十死兵」。一人で敵兵を最低十人も屠ると恐れられた猛者揃いの部隊。
全千が執った戦術は理外の「直属部隊による正面突破」であった。
兵法の極意は「敵の意表を突く」ことに尽きる。そしてこれが全千の得意とする戦術であった。
明らかに烏文軍全体に動揺が走り、てんでバラバラの銅鑼や太鼓が鳴り響く。
自分達が攻める側である。そう思っていたところに、いきなりの一撃。
一切乱れることの隊列のまま全速力で駆け、矢も投石も弾きながら、腰を低く落として頭から盾に突っ込んだ。
二十万を号する敵軍に、僅か三千の歩兵が突っ込み、そしてその中央部を打ち砕く。
その突破口をただ一人、巨馬に跨る猛将が駆け抜けた。
両手に握る戟で敵を薙ぎ払い、遠くからでも見えるほどの血の嵐を巻き起こす。これが、天下最強と呼ばれる男の姿であった。
敵はその姿に恐れを成し、味方は狂喜する。こうして全軍が突撃を開始。
たったの一撃。
その一撃で勝負は決まったのだ。
「殿下、お見事でした」
日が落ちるまで全千は戦場を駆けまわり、数えきれない敵兵をまるで露払いの如く斬り伏せていた。
もう戦場に烏文軍の姿はなく、赤黒く染まった土と、数多の骸が横たわるばかり。
「すまない、亜父。烏文を取り逃した。もう少し踏ん張ると思ったが、あっけなく逃げ出しやがった」
「ご安心を」
賀骨潜が手を叩くと、獣人族の兵士が木箱を持って駆け寄ってくる。
それを開くと、そこには一人の老人の首が入っていた。
「我が賀骨氏の別動隊を先回りさせ、首を獲りました。これで陛下の大勝利に御座います」
「……ハッ、流石は亜父よ!!」
「東公の軍は東方に身を潜めていたらしいのですが、こちらの決着があっという間についてしまったことで戦機を逸し、領地に引き返したとのこと。引き続き警戒を続けましょう」
敵軍の死傷者および捕虜は併せて自軍と同数の六万を超え、奪った装備や物資は運びきれない程であった。
朝歌の戦い。間違いなく歴史に刻まれることとなる大決戦は昼に始まり、日没頃には終わったとされる。
烏文軍は総大将を討たれ、統制を完全に失った。
それがここまで被害を拡大させた原因であろう。
こうして次なる天下の主と目された王族の長老が死に、「新たな魔王」を騙る男はその力を天下に見せつけた。
天下の構図は一瞬で覆された。
しかしこれだけの大勝利を掲げながら、人々はまだ全千を「新たな魔王」と認められないでいた。
それはなぜか。
「魔王"雪蘭"を擁する西公が、全千の嫡子である鄂牙威景を討ち取った」という話が、同時に天下を駆け巡ったためである。
そしてこの話が全千の耳に入るのはまだ少し先。
勢いそのままに、全千軍が鄴城攻めを激化させていた時であった。
◇
「大王、仕事の進捗は?」
「うぐぎぎぎ……」
数多の書類の山。雪蘭は目の下にくまを作り、机に突っ伏して、瞳を左右違いの方向へ揺らしていた。
彼女は曲がりなりにも魔王である。ならばそれだけやってもらわないといけない仕事もある。
というか今まで俺に放り投げ過ぎだったんだよなぁ。
「な、なぜ余が、こんなことを。余は、涼やかに草原をかけ、天高く弓矢を射る、そういう自由な魔王になるのだぁ…」
「いつの時代の誰の話をしてるんすか。ほら、感謝状を書く!特に目立った功労者への文面は、他の書状と同じじゃダメですからね!」
「いやだぁ、余を殺す気か明浩ぉっ」
「寧殿、サボらないように見張っててくださいね。貴方は大王に甘すぎる、王を堕落させないでいただきたい」
「え、あ、す、スイマセン」
先の戦いで活躍した者には褒美を与えなければならない。信賞必罰、軍事の基本だ。
しかし褒美と言えば土地であり、土地の差配はとにかく事務手続きが煩雑で、すぐに配ることは出来ない。
そこで、すぐに功労者に与えられる褒美として代表的なのが「爵位」だ。
戦功を挙げれば爵位が上がり、爵位が上がれば「罪を犯した際に罰が減じられる」という特権がある。
正確に言えば「爵位の上の人間が下の人間に何か危害を加えた場合、少しだけ処罰が免除される」みたいな感じ。
別に皆が皆それで「爵位上がったから犯罪やってやるぜ!」って考え出すわけでもないので、与える側としては手軽な褒賞なのだ。
だがしかし爵位のバラマキは社会秩序を壊し、アングラの力を強めかねない。当然それは望むところではない。
何かないものか。デメリットも特になく、手軽に誰もがありがたがってくれるようなものは無いか。
そこで俺が思いついたものが「魔王直筆の感謝状」だった。信長もよく書いてたアレね!
誰だって人に褒められたい。凄い人に褒められたい。
そんな中で時の魔王が直々に感謝の書状を送ってくれるとなれば、これは子々孫々へ続く家宝となる。
しかも雪蘭は悲劇の魔王。そのドラマ性も相まって、その効果は絶大であると俺は考えた。
しめしめ、これで俺の仕事はちょっと減る。と思ったけど正確な恩賞はまたあとでちゃんと出す必要があるのよな。
「それと、数日の間、自分は天水を離れます。留守は梁牙彪に預けていくので、何かあれば梁牙彪を頼っていただきたい」
「……分かった。すぐ戻れよ、明浩」
「御意。では行ってきます、大王様」
向かう先は隴西。ツェン家のもとへ。
婚姻の儀礼はとかく煩雑なのだが「混乱する情勢下」という理由ひとつで意外と簡略化できた。
どうせケチをつけてくる相手なんていない、と言うのも大きい。誰に配慮することもない。
そもそも「公」の爵位を持つ林氏と、名家でもない地方豪族の婚姻なんて、明らかに地盤固めの野心の表れである。
それを中央や諸侯が放置するはずもないし、婚姻なんて政治的な力を強めるための最たる手段。
しかし天下は、今それどころではない。パンバヴァがやたらとすぐに話をまとめようとしているのも、この機を逃さないためなのだろう。
「ツェン・ルルン殿、か。彼女には悪いことをするな」
政治と謀略に塗れた打算ありきの婚姻か。
こんなことが当たり前の世の中は、やっぱり間違ってると思うんだよな。なんて。
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