第17話:覚悟
今、全千は本軍を北に向けている。
敵は鄴城を預かる鄂牙烏文であり、単純な兵力で言えば烏文軍の方が数倍もあった。
それは全千軍が虐殺によって人心を失い、東公が烏文軍を支持し、また鄂牙烏文が皇族の長老ということで求心力もあったためである。
普通に考えれば、全千軍が負けるだろう。俺はその後に雪蘭を推戴して烏文軍と協調し、王都復興に励めばいい。
北の獣人族大猪種「黒鉄氏」が圧力を強めている中、これ以上の内乱は誰も望んでいない。
威景と全千を討ち、雪蘭が玉座に戻り、鄂牙烏文が国政を総攬し、功績によって俺と東公の地位は向上するだろう。
そうすれば今回の混乱の火種にもなった、南公の政治的な増長も防ぐことが出来て、政治的な均衡を保つことも出来る。
すべてうまくいく。乱世は訪れない。
俺の望んだ平穏な日々になるはずだ、だから無理に西都を攻める必要も無い。
「西公、お呼びですか?」
「あ、あぁ、忙しいところすいません、寧殿」
軍功を挙げた将兵にどの爵位を送り、どの土地を分け与えるのか。戦没者に対する免税と食料給付の措置はどうするか。
また誰がどんな軍規を犯し、どのような罪を与えるべきか。その雑務で頭が沸騰しそうなところに、寧殿が一礼をして現れる。
男ばかりの官吏が山のような書簡と向き合うむさくるしい空間に、寧殿が一人入ってくるだけで何だか涼しさを感じた。
俺は上座の一人の席に彼女を手招きし、炭で汚れている手を濡れた布で拭く。
「えっと、その、大王様のご機嫌の方は」
「いつものように武芸の鍛錬に励んでおられますが、まぁ、すごくムシャクシャしていますね」
「うーん……」
「原因は言わずともお分かりですね」
先の「西都攻め」に関する意見の対立、そして、俺の婚姻の話。
どちらかと言えば俺が話しかけようにもあからさまに不機嫌を示すようになったのは、後者の話が表に出た後だった。
隴西の地の最大軍閥であり、林氏領の東部において、ウチに次ぐ実力者であるのが「ツェン家」。
大小様々な軍閥が入り乱れるこの西方の地。基本的にツェン家の立場は常に、与党である林氏に対して最大野党のような存在であった。
ただまぁ、明確に対立はしていないし穏便な協力関係ではあるんだけど、やはり潜在的な敵としてお互いに探り合っていたんだ。
そんなツェン家と林氏による、当主の婚姻。これは林氏にとって悲願と言っても良いだろう。
そう、情勢やら立場やらを考えるんだったら、そのはずなんだ。
「私としては、西公には西公の立場があることは分かっています。大王様にも大王様の立場がある。むしろ西公は正しく何も間違っていない、とは思います」
「そう、ですよね」
「しかしこの私の個人的な感情を言うとするのなら、見損ないましたね。これまでの献身は感謝してもし足りませんが、今後は公私の区別を侵さぬよう切にお願い申し上げます。大王様のためにも」
淡々と、そう言って寧殿は再び一礼をする。冷たい壁が出来てしまっていた。
皆は仕事に忙しいようで誰もこっちを見ていない。ただただ俺は一人取り残されているような気分になった。
◇
その夜のことであった。親父の手配で、屋敷に客人が招かれる。
これは公的な宴会ではなく、家と家が交流をする私的な集まりであった。
そしてその客人だが、名を「ツェン・パンバヴァ」という。
隴西最大軍閥のツェン家の当主であり、先の防衛戦における随一の功労者であった。
大柄で幅の広い肩、太く濃い眉。髭は短く揃えられ、昭和の名俳優のような渋さを感じさせる武人の風貌。
あの戦いでは防衛部隊の一団を担ってもらい、偽装撤退のきっかけを作り出し、敗走兵を散らすことなく先導した戦巧者。
ウチの親父とは真逆の外見だ。宴席が始まってまだ間もないにも関わらず、親父の鼻先は既に赤い。
「西公よ、この度は宴席にお招きいただき、感謝いたします」
「父の我儘に付き合わせてしまって申し訳ない。先の戦功を労う席でもありますので、存分におもてなし致します」
「あれは全て西公の策のおかげ。我らなど」
パンバヴァはそう言ってはにかみ、傍らに抱いた酒瓶へ柄杓を入れる。
俺は自分の盃を前に出し、その柄杓より酒を受けて飲み干した。今度は俺がそれをパンバヴァに返す。
「この席は公的なものではなく、私的なもの。故に一つパンバヴァ殿にお聞きしたい。何故、此度の戦で林氏に全面的な協力を?」
「評判とは違って、正直で純粋な御方だ。もっと腹の探り合いをするものだと身構えてきたのに。嬉しい誤算であった」
「あはは……」
どんな評判が立ってるんだろ。
聞いても良い答えが返ってくるとは思えない。
「まぁ一番は、軟弱な東の奴らにこの西の地を踏ませるのを腹立たしいと思ったから、でしょうな」
人口が少ないのに領土が広いこの林氏領。故にここに住む人々は自衛の為に自ら武器を取り、戦うことを厭わない。
故に政治的にあれこれと口を出してくる文化人気取りの東側の人々に強い敵対心を持つのも、この地に住む者の特徴だろう。
そういう意味ではこのパンバヴァは、模範的な林氏領生まれの人間だと言えるのかもしれない。
「そしてもうひとつは、西公、貴殿だ」
「俺、ですか?」
「私的な場である、というならば私も腹を割ろう。私はな、西公が大王様を救出したと聞いたとき、とある未来が見えた。その未来のため『林明浩』に恩を売るべきだ、と強く思ったのだ」
「その未来とは」
しかし、答えず。パンバヴァは爽やかにはにかみながら盃の酒を飲み干した。
にぎやかな宴会である。酒の肴にはアジの干物や、貝やナマコの羹などがずらりと並ぶ。海から遠く離れた土地で、海産物は高級品であった。
明らかに領民の顰蹙を買いそうだから俺はこうした贅沢が嫌いなんだけど、親父はこういう煌びやかな世界が大好きな人。
そして客人をもてなすとあらば変にケチるのもアレだから、今回ばかりは親父の好きなようにさせていた。
パンバヴァの服装も金色の輝く煌びやかな細工が施された衣服に、ジャラジャラとした装飾が目立つ。
派手好きな客人だし、なおさら俺が言うことなんてないんだよな。
「それで、お館様(林文)と話をしたが、本当に我が娘を娶ってくれるのですな?」
「いや、それは、あまりに急な話故に、ちょっと時間を」
「法に厳しく、戦機に果断な"闇軍師"ともあろう御方が、煮え切りませんなぁ。ちなみに我が妻は隴西の更に西の"金城"の地より迎えた獣人族角牛種の女であり、その家柄は新興ではあるが有力な氏族。そんな彼女との間の娘を娶っていただけるのならば、この天水より西はもはや盤石の地となりますぞ」
名は「ツェン・ルルン」というらしい。
父であるパンバヴァの顔立ちからして、娘の美貌の噂も嘘ではないんだろうと思う。
「腹が決まり次第、婚礼の儀に則り、隴西にまでルルンを迎えに来てくだされ。さすれば林氏とツェン家の友誼はかつてないほど強固になり、この西方の統治も盤石となるでしょう」
再び俺の盃に、白く濁った酒が注がれる。
零れんばかりに、並々に注がれた酒。腕の金細工をジャラジャラと揺らしながら、パンバヴァは白い歯を見せて笑っていた。
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