第15話:野趣に富んで旨い
玄牙岱、およびその配下である決死隊三百名のうち、二百十三名が戦死。
誰一人として敵に背を向けず、前のめりのまま、そして笑顔を浮かべて息絶えていたという。
普通、死ぬのは誰だって怖いはずだ。俺は、怖くて怖くて仕方がない。
それなのに、彼らは笑顔を浮かべて死んでいた。俺はこれが「戦争の残酷さ」なのだと思った。
「爺や……」
腹部を貫かれ、しかし笑みを浮かべたまま絶命した老将の遺骸が横になっている。
もう、日は沈みかけようとしていた。一度放棄した要塞に戻り、兵士達は忙しなく降伏した敵兵を収容しつつ、戦没者の回収を進める。
魔王は玄牙岱の泥と血に汚れた髭を撫で、震えた息を漏らしていた。
「明浩。爺やは、玄牙岱は、貧しき身分ながら軍功を重ね、泥臭く生き残ってきた将であった」
「存じております。北辺の"九原"の地に生まれ、幾十年と国境警備を務め、軍功を重ねてこられた御方であったと」
「父が王になると、ようやくその働きが認められて護衛軍の将となり、余の武術の指南役も務めてくれた。真っすぐな忠義者で、大鬼族の武者はかく有らねばならぬと、余の憧れだった」
涙は流さない。大鬼族にとって戦場で本懐を遂げて死ぬことは、何よりの誉れであるからだ。
そんな英雄の前で涙を流すことは、あまり良いことでは無いらしい。故に彼女はぐっとこらえ、無理に口角を上げる。
「申し訳御座いません。将軍が本調子でないのを知りながら、自分は将軍を激戦の地に投じてしまいました」
「ふっ、聞かなくても分かる。どうせ爺やが無理に戦場に出たいと駄々をこねたのであろう。気に止まずとも良い。おかげで威景を討ち取れた」
自軍の被害は一割であり、敵は大将の戦死、および兵の六割が死傷するという大損害の結果となっていた。
まだ詳しい戦況報告が届いていないから数字は大いに前後するだろうし、受けた損害も決して少なくはない。
しかし敵の損害と比べれば、圧勝と言っても良かった。白兵戦の時代に、これだけの数字が出るのは驚異的でもある。
ただこれは、あの最後の威景軍の猛攻でこちらの右翼軍が破られていれば、ひっくり返っていたであろう数字だ。
玄牙将軍による命を捨てた奮戦が、この勝利をもたらしてくれた。それは揺るぎない事実。
そしてそれは、俺の過失でもある。俺がもっと上手く差配できていれば、失わずに済んだ命であったのかもしれないからだ。
「ほらほら不謹慎だぞ。そう暗い顔をするな、明浩。どうせまた考えすぎてるんだろ」
「この顔は生まれつきです」
「明浩、宴だ!大鬼族は勝利を派手に祝うものだ。酒に酔い、祝いの歌で英雄を称え、見送る。そしてその宴の主役は、お前だ、明浩!」
「え、いや、まだ敵の残党の掃討や周辺の警戒、あとは捕虜の管理だったり傷病者への適切な対応、他にも兵士の一人一人に至るまで正確な賞罰の確認とか……」
「うるさい!後回しだ!!」
涙の滲む目を細くして、笑顔を浮かべる魔王にバシバシと背中を叩かれる。
力が強い。肺の中にあった空気が全部叩き出されるような、強烈な張り手だ。体育会系の厄介な先輩を思い出した。
事務方としてやらないといけないことっていうのは、戦後にも山積する。
死体の片づけをやってくれる人員と給料の確保と計算、捕虜の扱いの協議、戦いの結果で動く情勢の調査、そのことに関する対応。
中でも特に戦功に対する褒賞、軍規に違反した者への処罰。これは兵士一人一人に必ず与えなければならないものであり、少しの差異があってはならない。
ただそうは言っても、俺もやっぱり疲れた。どうしようもなく休みたい。
生きている以上、いつまでも緊張の糸を張り詰めていられるわけではない。生き残った喜びは、分かち合うべきなのかもしれない。
「早くに決着が付いたから、備蓄もまだ多いと梁牙彪から聞いたぞ」
「……分かりましたよ。完全に無警戒で、とはいきませんが、今日ばかりは宴を許しましょう」
現代日本に生きていた時はあまり実感することも無かったが、やはり「宴」や「宗教」は人々の生活と切っても切り離せないものなのだろう。
とくに人の生き死にを経験すると、それを強く痛感する。
自分が次の瞬間に死ぬかもしれないという環境は極度のストレスに晒されるし、誰かを殺めてしまった感触はトラウマとなって脳にこびりつく。
そのストレスや罪悪感から人々を救いあげるのが、宗教や忠義だ。
こんな不条理な命のやり取り、何か「理由」をつけなければ押し潰されてしまう。そんな地獄の中で、それでもみんな生きていかなければならないんだ。
戦勝の報告を聞いたのか、後方より輜重隊が続々と到着し、そこには酒もたんまりと載せてあった。
こういう気の利かせ方をするのは恐らく親父だな。そういえば俺が留守の間に、天水に入ってもらって後方の取り仕切りをお願いしていたんだった。
「おっ、この羊も良いのですか?」
輜重隊の中には羊も数十頭連れられていた。寧殿はそれを見て、頭の上の狼耳をピンと伸ばす。
獣人族は感情が耳や尻尾にハッキリと出るから分かりやすいよね。
「宴ですからね。寧殿は羊肉がお好きで?」
「いや、まぁ、肉は基本的に何でも好きです。それに獣人族は厳しい北の地の生まれの者が多く、羊の野戦食は故郷の味として伝えられていますので」
「北の地の、それは興味がありますね」
「明浩、こう見えて寧は料理も得意なんだ!料理を任せてみても良いと思うぞ」
「よろしいですか?」
「是非っ!」
宴となると急にみんなの手際が良くなるし、活気が出てくる。つい数刻前まで戦争をやっていたとは思えないな。
ひとまず捕虜は同じ種族で偏らないように細かいグループに分けつつ、天水へとバラバラに送る。その差配だけを急務として、他は後回しにしよう。
田忠殿の取り仕切る国境警備軍が一帯の残党の掃討やら調査を担ってくれているしね。
ある程度の事務作業を終えて外に出ると、既に月と星空が光る夜空になっていた。
そしてあちこちで大きなキャンプファイヤーが組まれていて、既に酒を飲んでいる兵士達が思い思いの歌を歌っている。
これは大鬼族の間でよく見られる、送別の儀式であった。戦闘民族である彼らにとって「死はすぐ側にあるもの」であり、言わばこれは"子守歌"のようなもの。
またその葬儀の方法も、基本的に人間族は土葬で、魔族は火葬という違いがある。
死後の世界や蘇りを信じる人間族と、聖なる炎で魂を昇華するという考えの魔族。
そんな種族も風習も異なる者達が火を囲み、酒を飲み、死者を弔う。今だけは皆、兄弟だと思えた。
「あ、西公!もうそろそろ出来ますよ、見て行かれますか!」
笑顔で手を振る寧殿。すごく微笑ましい光景のはずなのに、うん、怖すぎるな。
その振られている手には包丁が握られていて、手も服も血に染まっている。スプラッター映画じゃん。
側で調理作業をしている集団も皆、血に汚れているし。
「あ、あの、これは」
「ご存じありませんか?血鍋ですよ、獣人族の大狼種にとって故郷の味と言えば"羊の血鍋"です!」
ドロドロとした赤黒い液が煮えたぎる巨大な鉄鍋に、羊の内臓が一口サイズに切り分けられてゴロゴロと入っている。
鉄臭いの血の臭いの中に、嗅ぐだけで目の覚めるような強烈な香辛料を感じた。思わず汗が鼻の頭に滲み、思い出したように体が空腹感を訴えてきやがる。
血を不浄なものとしてあまり食する文化を有してこなかった現代日本の記憶がある俺にとって、あまりにもショッキングな料理だ。
しかし、どうしようもなく腹は空く。赤色って言うのは本能的に食欲を刺激するって言うのは本当だったんだな。
「肉の方は」
「頭を落として血を抜き、皮を剝ぎ、丸焼きにしています。塩や花椒を外にも内にもたっぷり擦りこんで、腹に色んな食材を詰めて閉じ、直火でゆっくりと焼くんです」
「それはまた旨そうだ。獣人族の料理は野趣に富み、本能に訴えかける旨さだと評判ですが、まさかその本場を味わうことが出来ようとは。楽しみです」
「血鍋の方はもう出来上がってますので、どうぞ。ひとくち」
褒められて嬉しいのか尻尾も耳も忙しなく揺れている。そして、器に注がれた赤の鍋。
抵抗感はあるが、興味と空腹が勝った。まずは一口、煮えた血を啜る。
鉄分を感じる強烈な血の味。そしてそれを暴力的に塗り潰そうとする塩分と肉の旨味。
鼻から抜ける獣臭さにも、生姜、葱、にんにく、八角、といった香辛料がドカドカと上に乗っかってきて、これまた癖になる。
そして痺れるような辛さが最後に広がり、汗も噴き出してくるようだ。
続けざまに箸が進み、どこの部位かは分からないサイコロ状の臓物に歯を立て、バツンと噛み千切る。
新鮮だからだろうか、とにかく歯ごたえが良い。しかもこれは恐らく肝だろう。
処理仕立ての新鮮なレバーは嫌な雑味が一切ない。こんなに美味いのかと、気づけば俺は目をひん剥いていた。
「美味い、本当に美味い。大王様が寧殿に無二の信頼を寄せる理由が、よく分かった気がします」
「え、えへへ。そうでしょう!いやぁ、西公は良い人ですねぇ!!」
料理を褒められると嬉しいというのは、誰であろうと同じなんだろうな。
隠しきれない笑みのまま胸を張る寧殿を見て、なんとなくそう思った。
さぁ、宴だ。
鍋と肉と酒と歌だ。
戦で亡くなった友を称え、これは暫しの別れに過ぎないと歌い、酒を煽る。
西の出身の者達は宴となると身分など関係なく、無礼講で酒を酌み交わして語り合う気風がある。
そうやってこの厳しく広大な土地を、助け合いながら生きていくのだ。
「明浩!」
「大王様、酒はほどほどにとあれほど……」
羊の足の肉を右手に、酒が並々と注がれた杯を左手に、もうすっかり出来上がってる魔王が俺の隣にドカリと腰を下ろす。
俺は皆が盛り上がっているのを少し離れた場所で、肉を齧り、酒を啜りながら見ていた。宴会に馴染めなかった前世を何となく思い出すんだよね、こういう場って。
だが、どうやら彼女はそんな俺を放っておいてくれないらしい。ちょっとだけ、それはそれで嬉しい、なんて思ってしまった。
「お前の指揮で勝利を得たのだ。そんな主役がこんな隅っこに、堂々と武勇伝でも語ればいいものを」
「似合わないんですよ、そういうのは。大王様や寧殿、梁牙彪が前に立った方が皆も喜びます。俺が目立つと少しピリッとするんですよ」
「何も怖くないのになぁ、こんなに格好いいのに」
「え、カッコ、はぁ?」
分かりやすく狼狽える俺を見て、魔王は下品に口を開けゲラゲラと笑う。厄介な酔っぱらいだよ、ほんとに。
すると肉を持った方の腕を俺の肩に回し、彼女はグイと顔を近づけてくる。酒臭い。まず第一の感想がそれだった。
「なぁ、余はこの戦い、役に立てたか?」
「……勿論です。最後の衝突で、敵を突き崩したのは大王様なんですから。それに大王様にばかり間者の目も向いていたので、我らは伏兵を配しやすかったという面もあります」
「そうか。爺やも喜んでくれるだろうか。心配を掛けさせずに、済んでいるだろうか」
「はい、それはもう」
ならば良かった。そう言って魔王は大ジョッキみたいな杯を傾け、一気に中身を腹に流し込んでいく。
まるでCMのような喉越しが、俺の頬の隣から大音量で聞こえてきて少しびっくりした。
「ブゥハアァァァ~」
「それ、女性が出して良い音なんすか?」
「おい明浩、それでまさか忘れているわけではあるまいな!」
「え?」
「さっきから余を大王様大王様と。皆、宴会に盛り上がって誰もこっちを見ていないのに、よそよそしいだろ!」
「……あ」
そう言えばなんか変な約束をしていたな。
二人の時は「大王様」ではなく「雪蘭」と呼ぶように、と。
あくまで君臣の間柄。臣下が君主に馴れ馴れしくしていいわけがない。権威が揺らぐからだ。
しかしどうやらこの人にはそんなことなどどうでもいいらしい。彼女らしいと言えば彼女らしいのだが。
いや、だからといってなぁ、王都の奪還を果たしたならこの人は天下の主になり、俺は西公としてこの辺境を治める立場に戻るわけで。
君主とは、神に等しく人ならざる者。孤高であらねばならず、親兄弟であろうと一線を引かなければならない。それが、王だ。
いずれその立場が俺達を分かつのだから、人が神に近づこうなどと考えてはならない。はずなんだけど。
「約束は果たさなければならない。田忠の信を得るための演技をする前に、お前は余にそう説いていなかったか?確か、信なれば則ち欺かず、とか」
「よく覚えておいでで」
「明浩の言葉だからな、当然だ」
「……雪蘭」
「うん。ついでに今日の働きを褒めてくれ」
この野郎、調子に乗りやがって。
「実に見事な戦働きでした。王が前線に立つことで、どれほどの兵が意気を震わせたか。かく言う俺もその一人です。流石は魔王"雪蘭"。よく頑張りました」
「うん、うん!」
雪蘭は俺の肩を更に強く抱き、そのまま飛びつくように全体重を乗せやがった。
横になっている丸太に座っていた俺達は、そのまま後ろに倒れ、零れた酒を被る。
目の前には、雪蘭の顔。閉じた瞳、まつげが長い。
そのまま顔が重なり、口を塞がれ、歯と歯がぶつかる。血と、肉と、塩と、酒の味。
宴はまだ続いている。
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