第14話:天水の戦い3 ──今こそ報仇の時
水を飲み、一息をつく。やっぱりどうにも現代日本に生きていた感覚が抜けない頭だと、戦場を目の当たりにするのはキツい。
それでも目を背けてはならない。その瞬間に、命を落とすのがこの世界であった。
次々と伝令兵が駆け込んでくる。どの部隊の誰が死んだ、どこが崩壊した、そういった類の報告ばかり。
やはり兵の練度が違い過ぎるのだ。それに最も厄介なのは、やはり大鬼族の体力だろう。
基本、死に物狂いの人間が戦場で全力を出し続けることの出来る時間は、もって十五分程度だ。
しかし大鬼族は重装備で身を固めつつ、その倍は優に活動することが出来た。これこそが大鬼族の最大の長所である。
純然たる戦闘民族。入念な野戦築城を備えていても、その勢いを押し留めるのは至難の業であった。
「英嫣」
「はい」
「左翼のツェン家に伝令を。ただ、予定通りに、と」
「承知しました。兄様、どうぞお気を付けて」
三日は持ちこたえられると思っていたが、甘かったか。まさか最初から全力を投じてくるとは思わなかった。
いや違う。俺が全力を出させてしまったんだ。最初の段階で、人質には意味がないと強い意志を見せてしまったが故に。
だが、それでいい。勢いを強く押し出してしまったならば、その流れを引き戻すことは出来ない。
幕舎を出る。もうすぐそこまで敵が迫ってきており、梁牙彪は罵声を飛ばしながら兵を指揮している。
「伝令!!」
そこに早馬が駆け込んで来た。
梁牙彪はその伝令兵と俺の姿を同時に認識し、こちらへ駆けよってくる。
「敵の大虎種の部隊に側面を突かれ、左陣営が壊走!ご指示を!!」
「陣を捨て、態勢を立て直す。梁牙彪、緑林騎(明浩直属の精鋭騎馬部隊)を集めてくれ。全軍の退却を援護するぞ」
「承知した!」
左翼の主力の一角を担っていた人間族の軍閥"ツェン家"が逃げ出したことに端を発し、全軍は雪崩を打ったように崩壊していく。
そのような状態で"秩序良く撤退"、というのは極めて困難だった。見捨てないといけない命などもやはりある。
しかし、出来る限りのことをしなければ敵の蹂躙を許すだけ。それを防ぐためにも、最も規律の高い精鋭が援護をしなければならない。
「"林"の牙旗を掲げろ!緑林騎、役目を果たせ!!」
陣を捨て、背後に駆ける。この丘陵を越えた先には開けた平地があり、さらにその先には山脈が聳えている。
さぁ、威景、どう出る。俺はここに居るぞ。
丘陵を抜け、立ち止まり、青ざめた顔で逃げる味方達とすれ違いながら木々を見つめる。
追手は来るのかどうか。来なければ、こっちはまた体制を立て直すぞ。
「伝令!敵、追撃戦に移行!突出するのは獣人族部隊!!」
「行くぞ!」
剣を抜き、駆ける。千の軽騎兵は十の部隊に散開し、味方の兵とすれ違いながら来た道を返す。
丘陵を抜けてきた大虎種の部隊が見えた。そこを目掛けて複数の方向から矢を放ち、すぐに散開する。
不意を突き、混乱の隙が見えた。
すかさず大鉈を振るう梁牙彪を先頭とする一団がその横っ腹を貫き、またすぐさま離脱。
すると次々と威景軍が丘陵を抜け、怒涛の追撃戦に移っていくのが見える。
やはり獣人族の追撃は激しい。大虎種だけではなく、大猫種、巨鼠種、角鹿種なども見える。
そこに続くのが濁流の如き大鬼族の歩兵や、巨馬に跨る重装騎兵。
思わず喉の奥が締まり、冷や汗が噴き出る。これが今際の際ってやつか。
しかし逡巡する時間さえない。再び俺は剣を掲げる。
「各隊散開後、判断はそれぞれに委ねる!引き際を見誤るな!生きて帰るぞ!!」
騎射によって一撃を加え、敵が足を止めた隙に退く。この一撃離脱の退却こそ、軽装騎兵の本分である。
機動力で比肩する獣人族と騎兵の違いは、獣人族は獣化している間は矢を放てないことにあった。接近を許せば、当然ひとたまりもないんだけど。
あと勿論、気を付けないといけないのは獣人族だけではない。
逃げる味方に巻き込まれないように、敵の突出を許さないように。
逃げるのが少し遅れれば自分の命を失い、少し早ければ味方の命を失う。その狭間を今、俺達は駆けている。
「もう少し…っ」
"林"の旗を掲げ、俺は梁牙彪と共に散開する緑林騎の先頭を走る。
付かず離れず、追いつけそうで追いつけない俺達の逃走に、敵は上手いこと躍起になってくれていた。
ここが、決戦の地。
敗走する林軍の逃げ込むこの山林は、平野部を囲うように、上空から見れば鶴翼の形になっていた。
つまりここまで深追いしてくれれば、その包囲の只中に敵は突入するということになる。
頃合いだ。振り返る。
巨馬に跨り先頭を駆ける巨躯の武人「鄂牙威景」と目が合ったような気がした。
鏑矢を番え、空に放つ。
ピーッと甲高い音が雲を貫くと、こちらを取り囲むかのように陣太鼓の音が激しく響き渡る。
刹那、辺りが暗くなった。
それは日光さえ遮るような「矢の雨」であり、俺達の頭上を飛び越え、敵の追撃部隊の後方に降り注ぐ。
「──明浩!!」
遠く、少し懐かしい声だった。不思議と安心する声だった。
夢中で駆ける。何も考えられず、もはやその声しか聞こえない。
声のする方へ。それだけを頼りに朦朧とする意識のまま走ったその先に、彼女はいた。
「よくやった、よくやった!よくやった!!」
「……大王、様」
「相当な重圧であっただろう。よく耐えた、次は余の番だ。旗を掲げよ!もう配慮すべき味方も居ない、ありったけを撃ち込んでやれ!!」
いつの間にか俺は山林の陣に入っていて、そして魔王の腕の中に倒れこんでいた。
そうか、生きて戻れたのか、俺は。
だがまだだ。まだ意識を手放すわけにはいかない。ここが死地だ、敵も死に物狂いになる。
これが、俺が今回立てていた策であった。
偽装撤退からの伏兵による包囲。恐らく、考え得る限り"最強"の戦術。
しかしこれを行うには、敵に悟られてはならず、敵に驕りが無ければならず、自軍の規律と統率が執れている必要がある。
また敵に背を晒すのだ。当然、ハイリスク。犠牲も覚悟の上で、これしかないと思い至った。
「くっ、大王様、御無礼を。梁牙彪、緑林騎の損失は」
「二十三騎、帰らなかった」
「……わかった。緑林騎は最後尾に下がり、脱走兵が居れば背後から殺せ。これより先は一歩も退いてはならないと全軍に示せ」
一度逃げた軍隊を再び戦場に向かわせるにはこれしかない。この作戦を知っていたのはごく一部で、味方でさえ伏兵の出現に驚いている状態。
こうした味方の敗走の流れを食い止める。「もうこれより先に逃げ道は無い」と思わせるには背後から剣を突き付けるより他はない。
そんな、味方にも隠し通さなければならないほどの策。それは一部の部隊を隠密で行動させ、この地に陣を張らせることから始まった。
味方にも、敵の間者にも悟らせないような、そういった部隊による行動。それが出来るのは「既に死んだと思われていた者達による部隊」のみ。
「玄牙岱将軍、見事な伏兵です」
「幾日も山野に潜伏し、草の根を噛んだ甲斐があったというものじゃ」
そう、この部隊の主力は林氏領に敗走してきた護衛軍の将兵達であった。
その中でも軍事行動に耐えられそうな者達を敢えて「死者」として城外に運び出し、埋葬するふりをした。
この「死者」として数えられた数百の兵士達を、まだ戦場復帰なんて出来るような体じゃないはずの玄牙岱が統率した。
少しずつ兵を増やし、この地に備えを施していき、とにかく戦いが訪れるその日まで潜伏してもらっていたのだ。
屈辱と怨恨に染まっていた彼らだからこそ、折れることなく耐え続けられた我慢の秘策。
今、この瞬間のために。玄牙岱の顔は、恐ろしく感じるほど輝いていた。
「将軍の部隊は予備として待機。それと大王様はとにかく寧殿と共に劣勢な部隊を駆け、兵を鼓舞していただきたい」
「寧、行くぞ!」
「え、いやっ、まだ各部隊の戦況報告は来てませんので、落ち着いてください大王様!」
「梁牙彪は、俺の補佐を。ここからが正念場だ」
「おう!」
戦いは苛烈さを増した。威景も覚悟を決めたのだろう。ここが決戦の地であると。
こちらは半包囲の形勢で三方向よりありったけの矢を撃ち込み、無慈悲かつ無差別にその戦力を削り取っていく。
それに対して敵軍は遮二無二こちらへ突っ込んできた。陣形も糞も無い総攻撃であり、死地に活路を見出さんとする突撃である。
包囲されないように左右中央全てに張り付き、ひたすらに押し込む。こちらも地の利を生かし、槍を突き立て、押し返すよりほかはない。
普通、軍の三割が損耗すると「戦闘が不可能」な状態になるとされている。
十人でなんとか回していた職場で、三人も休んでしまうと仕事が回らなくなるのと同じだ。
指揮官はそうなる前に手を打たなければならないのだが、今の威景軍はそれを考慮せずに突っ込んできていた。
いや、もはや威景ですら歯止めが効かない状態なのだろう。
迫りくる敵の表情は、攻勢を仕掛けている側なのに悲壮が極まったかのような、まるで侵略を受けている側のような色をしていた。
勝てば官軍、負ければ賊軍。そして敗者がどのような目に遭うのかは、彼らが最もよく知っている。
だからこそ退けないのだ。その狂気が既に瓦解しかかっている威景軍を強力に支え、足を前に進ませてた。
「──右翼方面に敵戦力が集中し、戦線が大いに後退しております!」
どれだけこちらが踏み止まっても敵の圧力は衰える気配がない。既に魔王も本陣を離れ、各部隊の鼓舞に回っている。
おかげでこちらの左翼は大いに敵を押し込んでいた。しかし報告の通り、右翼が瓦解しかかっている。
こっちの左翼が敵を突き崩すのが先か、それとも右翼が崩れるのが先か。
あの絶望的な戦況でここまで押し込んでくる相手だ。まさかこの局面で戦況を覆されることがあるのか。
「西公!!」
声を挙げたのは玄牙岱である。彼が何を言いたいのかは分かり切っている。
そして俺は、俺がこの状況で何を言わないといけないのかも、嫌になるほどに自覚している。
迷っている暇は無い。
「……玄牙将軍、貴殿が待ち望んでいた死地だ!右翼の劣勢を覆していただきたい!!」
「ありがたや!!」
敵も後方に控えさせていた戦力をこちらの右翼に回す様子が見て取れた。ならばこちらも予備戦力を全て玄牙岱に預け、対応に向かわせる。
そして魔王の下に伝令を走らせ、彼女を左翼の鼓舞に集中させた。
もう全てを出し切った。
あとは喉が張り裂けるまで前進を命じ続けるだけである。
◇
戦線は大いに押し込まれ、瓦解していない方が驚きの戦場となっていた。
この右翼方面はいくらか斜面がなだらかであり攻めやすくなっている。そこに威景軍は戦力を集中させ、包囲を突き崩そうとしていた。
戦線が保たれているのは緑林騎の統制のおかげだと、玄牙岱は見ていた。
軍規を律すれば統制は強固になる。軍事の基本だが、その基本の積み重ねがこの粘り強さを生んでいるのだ。
「者ども、よう聞けい!!」
馬上で槍を振り上げ、唾を飛ばし、目を怒らせる玄牙岱は麾下に叫ぶ。
「今こそ報仇の時!父母の、妻子の、兄弟の、戦友の無念を今こそ晴らさん!我らはこれより死地に入る、鬼と成れえ!!」
狂気には、それを上回る狂気をぶつける。
玄牙岱の声で兵士達の意識は吹き飛び、殺意を剥き出しにした一つの塊となった。
同時に、敵も一団の増援が駆けてきていた。
先頭を駆けるあれは、鄂牙威景である。
玄牙岱はその威景の首に矛先を向け、馬腹を蹴る。
退くことを知らない二つの塊が衝突し、弾け飛んだ。
「小童ァ!出会えい!!」
「死にぞこないの老いぼれがぁあああ!!」
降り下ろされた威景の槍の柄に、玄牙岱も同じく槍をぶっつける。
叩き落されたのは玄牙岱の方であり、すかさず剣を抜いた。
体躯も膂力も何もかも、老いた武人と類稀な武才の血を引く猛将とではやはり埋めがたい差がある。
──グシャッ
「はぁ、はぁ、これでお前も、雪蘭も、明浩も終わりだ」
威景の棍棒のように太い槍の穂先は、既に玄牙岱の腹を貫いていた。
しかし、抜けない。重い。まるで大樹に槍先が食い込んでいるかのようである。
玄牙岱は狂気的な笑みを浮かべ、威景の腕を握り、馬の背を股で締め上げた。
この痩せた老いぼれの、どこにこんな力が。威景は痛みに眉を顰める。
「こんの野郎……っ!」
「全千の首じゃあないが、息子達に、良い土産が出来たわい」
すかさず玄牙岱の部下の兵士達が威景の体に飛び掛かり、周囲の敵兵から槍を突き立てられようとも気にせず、事切れるその瞬間まで威景の体に短刀を突き入れる。
そして混戦の中、一つの首が高くに掲げられる。それは、鄂牙威景の首であった。
勝鬨が上がる。
ここに"天水の戦い"は決した。
結果は下馬評を大いに覆し、西公軍の圧勝に終わった。
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