休日の賑わいの中で
雪夜が予約したという美容室は、閑静な住宅街の中にあった。個人経営の美容室のようだけど、落ち着いた雰囲気の内装、店員は店主である男性一人。先輩モデルさんに紹介してもらってそれからは雪夜も通っているとか。
四十代くらいだろうか、背の高い痩せ型の男性だ。無造作にも見えそうな髪型もこれでいてちゃんと計算されているのだろう、ぼさっとした感じはしない。
雪夜が見せているスマホ画面をのぞき込み、待合スペースの椅子に座る俺の方をチラチラ見ながら頷いている。そしてすぐに。「では、こちらへどうぞ」と大きな鏡の前の椅子に誘導される。ちゃんと髪を切るのなんていつ振りだろう。最近は自分で前髪とか襟足とか、長いと感じたら切り落として来た程度だから、こうしていざ、髪型を整えるとなって鏡を見ると、随分とぼさぼさだ、美容師さんの髪型と比べて、感じる印象の違いは大きい。雪夜が髪型を改善項目としてあげるのも理解できる。
「癖っ毛を活かす方向で整えていきますね」とのことで。早いのか遅いのかわからないけどシャンプーまでして三十分で終わった。いや、これは速いなかなり。
軽くなった頭、少し広くなった視界。会計を済ませて外に出てふと見上げた青空がやけに眩しい気がした。
「雪夜?」
「……別に」
見上げてくる視線は気のせいだったのか、でも、雪夜はどこか唇を尖らせて不機嫌そうに早足で歩き始める。慌ててついて行く。並んで歩けと言われてたし。
「手」
「ん? おう」
反射的に差し出した手はすぐさま取られる。グイっと華奢な身体からは想像できない力で引かれる。
「……迷子になられたら、困るから」
か細い声で、さながら俺に向けた説明じゃないような言葉は休日の喧騒の中に、崩れて溶けていく。海に零した水はすぐに混ざり合って探せないから、聞き返さなかった。雪夜が見たことない表情。知らない感情を覗かせていた。その中身を俺は聞けなかった。聞いたらいけない気がした。開けてはいけない箱を覗いてしまうと取り返しがつかない。昔話によくあることだから。
手を繋いだ状態に慣れた頃、ふと、時計を見て雪夜にそっと耳打ちする。
「服買う前にお昼食べない?」
「ひゃっ!」
「な、なんだよ」
「急に耳元で声かけないでよ」
「あ、おう。悪い。それより……」
「わかってる! 聞こえてた!……そうだね、先にご飯、食べちゃおうか」
連れてこられたショッピングセンター、視界の奥にある専門店街は休日の家族連れでごった返していた。どうせお昼時、どこも混んでいるだろうけど、だからこそ早めに並ぶのもまた一つの選択だろう。
ご飯食べて出てくる頃には、混雑も少しマシになっている。そんな淡い期待と共にファミレスの外の記名台に名前を書き外に設置されていたベンチに腰を掛ける。
「あっ……」
「ん?」
「ううん」
残念そうな声に顔を向けるけど、雪夜はさっきまで繋いでいた手を眺めながら首を横に振るだけだった。そういえば手汗かいていなかったよな、俺。
ベンチに座っていると、やけにこちらをチラチラ見る人がいることに気づく。そしてすぐに思い当たった。雪夜が見られているんだと。
「……あの雪夜さん」
「なに?」
「座る位置近くないっすか?」
「ナンパされたくないし」
「あ、はい」
有無を言わさぬ底冷えするような声に思わず首を縦に振った。
「……なんで一人で歩いてるだけで声かけてくるんだよっ。一人で出かけることの何がおかしいのさ別に男なんて探しに行ってないしナンパされに出かけてるとかそっちの思い込みでニヤニヤしながら見てんじゃねぇよ……」
ブツブツと止めどない恨み節、通りかかる人の視線が雪夜に一瞬引き寄せられる光景。中学一年生ながら、どこか大人びたような雰囲気を纏うようになった理由がなんとなくわかった気がした。意識していないと雪夜を同い年と間違いそうになる。
思っていたよりもすぐに店員さんに呼ばれた。案内された席に座る。
「……うーん」
メニューを開いてすぐ、雪夜は唸る。
「どうしたよ?」
「あまり来たことないから、どれ頼めば良いかわからない」
「意外だな。友達とかと来ないのか?」
「土日は撮影あるし、撮影無い日は勉強しなきゃだから。放課後もちょっと話したらすぐ帰るし。父さんも母さんも外食しない人だったから」
じゃあ、今日俺とこうしてここにいることがかなり珍しいことなのか?
なんだろうか、変な話だが沸々と胸の内に湧き上がるのは優越感、だろうか。雪夜の貴重な時間を自分のために使ってもらえている事実に妙な高揚感がある。
「なに?」
「いや」
失礼な話だ。そんなの。こんな感情。自分が嫌になる。俺も結局、雪夜の表面的な部分しか見てないのでは? ナンパ野郎と変わらないのでは?
「ねぇ、将暉くんは何頼むの?」
「え? えっと……これ」
「うん。じゃあそれにする」
咄嗟に指さしたのはドリアだった。このファミレスで有名なメニューを上げたら真っ先に上がる物だと思う。安いし美味しい。
「ドリンクバーは?」
「いらない」
注文を済ませ、料理を待つ。会話はない。気まずい。スマホを弄るわけでもなく雪夜はじーっとこちらを見つめてくる。視線で穴が空きそうだ。
「な、なんだよ?」
「なんで痩せようと思ったの? 好きになった子に振り向いてもらうため?」
「そうだけど、どうしたのさ急に」
「ううん。気になっただけ。やっぱりそうなんだ」
「まぁ」
「いつから?」
「去年の春だな。入学してすぐ。でも、そうだな……なかなか効果が出なくてさ。ずっと動けずにいた。でも、今年はもう、違うから」
体格が変わるだけで、ビビりながらでも動こうと思えるとは。やり遂げたという事実が自信に繋がっているのかもしれない。
でもだからこそ、自分の本質的に変わらないところが目に付くのだが。けれどそれも、もしかしたら変えられるかもしれないという予感がある。
「ここ半年くらいで一気に効果が出て驚いたよ」
初めて変わりたいと思った。変えたいと思った。
別に良いと思っていた。諦めていた。
でも……変わらなきゃいけないと思った。趣味以外で初めて貯金を切り崩した日だった。
「多分、雪夜が用意してくれた食事のおかげ、だよな」
「……将暉くんの料理、美味しいけど雪夜までダメになりそうだから」
「俺の料理が人をダメにすると?」
「うん」
「そっか……」
でも、確かに。雪夜が俺の食事を改善してから色々変わった気がする。みるみる体形が変化して、その成果のおかげで俺は本格的に動こうと思えた。足を止めていた言い訳が消えた。雪夜のおかげでどこか諦めていた俺が本気になれた。そんな気がする。
「あ、えと、美味しくなかったわけじゃなくて、その、たまに……えと、月一くらいでは、食べたい、かも。たまの贅沢ってやつ」
「じゃあ、夏休み入る日とか何か作るよ」
「……メニューは事前に教えてね?」
「了解」
困ったような笑顔を浮かべる雪夜の前に「お待たせしました」という言葉と共にドリアが届いた。
「食べようか」
「うん」




