転がり込んだチャンス
そんな予感と決意と共に次の日を迎え、そして昼休みになった。そう、昼休みまでなーんにもできなかった。
そもそもとして佐倉さんが一人でいるなんて状況が見つからなかった。常に誰かが傍にいる。
何人かで話しているところに割り込むのは相当に難しい、と俺は思っている。まぁとにかく昼休み、当然俺の横では佐倉さんを中心に何人かの女子たちがお弁当を片手に集まっていた。
そして都合の悪いことに昼休みの後は体育。昼食を食べ終わってすぐに着替えるために教室を出ることになっている。
誰かに強制されているわけでもないのに心臓は急き立てるようにトクトクとリズムを刻んだ。
そしてそのまま放課後。結局、チャンスなんて無かった。
今日も俺は何もできないまま帰るのかと。意味もなく足早に廊下を歩く。自分を磨く努力はできても、対外的に何もできない。後悔を抱えて何もできないまま終わるのか。
「あの……」
やはり今日も戦略的撤退……嫌だな。それじゃあ何も変わらない。でも……。
「……あの。……スゥ……桐藤将暉さん」
「ん?」
そんな俺を呼び止めてる? とにかく名前を呼んできた声に振り返る。振り返って思わずそのまま尻もちをつきそうになった。
「さ、さく、佐倉、さん」
「うん。落ち着いて。ごめん。驚かせて」
目が泳いでいるのがわかる。血の流れがどくどくと速い。
「えと……どうしたの?」
「落としたから、これ」
差し出される定期券を震える手でどうにか受け取る。
「ありがとう」
「うん。気をつけてね。それじゃ」
「あ、ま。待って」
咄嗟に呼び止めた。このチャンスを逃したくない。気持ちだけは前のめりだけど冷静な頭が責める。呼び止めてどうするのだと。
でも、このチャンスを逃したら、次があるのか? 次を作れるのか? 俺に。だったら。
「どうしたの?」
「えっと……あまり、話したことなかったからさ、その……」
「なるほど、じゅあ、このまま駅前まで一緒に行こうか」
「え?」
「駅前にキッチンカー来てるらしいんだよね。ピザの。行こ?」
「う、うん」
反射的に頷いた。トントン拍子に欲しかった状況が訪れて進んで行く。昇降口を出て校門を抜ける。ふと触れた前髪、やはり少し長いかもしれない。
出て来たピザはなるほど、キッチンカーの情報を追ってわざわざ食べに来たくなるものだった。サクサクとした生地と余計な具材は乗せずにピザとトマトをバランスよく味わえるマルゲリータは、ハーフサイズの半分を食べ終えた時点で満足感がある。
キッチンカーの横に設置されたテーブル、春の陽気にあてられて眠気すら覚えた。
……いや、待て待て。ピザは良いんだ。美味しいけど。でもここまで、駅前に来るまで何の会話も無い。一緒に下校している状況だけで満足で何というかなんで焦ってないんだ俺。何してんだ折角のチャンスを。
「うん、美味しいね。これ」
モグモグと最後の一口を飲み込んでいると、佐倉さんがパンと手を合わせる。
「ごちそうさま。おーきれいに食べるね、桐藤さん」
「……一口が大きいから零さないだけだと思う」
「そういうもの? それならわたしも負けてないかも」
「勝ち負けなんだ」
「返しがどこか後ろ向きだね、君」
「ごめん」
「そんな真に受けなくても良いんだよ。軽口みたいなもの」
佐倉さんはそう言って肩を竦めるけど……うん、これは俺の悪い癖だ。後ろ向きで、どこか擦れてる。自覚はある。
「なんにせよ気をつけるよ」
「そう。うん、良いと思うよ」
西の空が燃えるように赤く染まっていた。不意に立ち上がった佐倉さんが真っ直ぐに見下ろしてくる。その姿から目を逸らせない。
「桐藤さん」
西日で影になっているのに、その瞳がやけに眩しい。夕陽のせいなんかじゃない。俺の眼を捉えて離さないのはなんだろう。唇が動いたのがわかった。家路を急ぐ人たちで賑わう駅前、その喧騒がやけに遠く感じる。
「今年は勝つから」
耳に直接流し込まれたような、はっきりと聞こえた言葉に思わず首を捻る。
「……俺、佐倉さんと何か勝負、してたっけ?」
きょとんと傾げられる首、吊り上がって行く唇。でも、目が笑っていない。
何もわからないけど失言したのだけはわかった。
「やらかしたかもしれない」
家に帰って真っ直ぐに向かったのは雪夜の部屋。部屋の中央に敷かれたピンクの絨毯の上で胡坐をかいて開口一番、そう告げた。
「何を? ん? あぁほんとだ。ありがと」
課題を解く手を止めない雪夜の計算ミスしている部分を指さしながら話を続ける。
「今日、佐倉さんと一緒に帰ったんだ」
「なるほど、失言をしたと」
「話が早いな」
「そりゃ、今の段階で将暉くんがやらかすことなんてそれくらいでしょ。怒らせたの?」
「いや、なんか……」
思い返してみる。ピザ屋で俺は電車で佐倉さんは徒歩だったから別れた。「また週明けに」と佐倉さんは言っていた。その後ろ姿はどこか落ち込んでいるような、肩をがくんと落としていたような。
「なんか、ショックを受けていた、気がする」
「ふぅん」
「角AとEの間に補助線引いてみ」
「ん……なるほど。はぁ、将暉くん、本当に頭は良いよね」
「そりゃどうも」
「まぁとにかく、明日は出かけるよ。準備はしてあるから、十時に出発ね」
「準備?」
「やらかしたと言っても『かもしれない』、なんでしょ。決定的じゃなさそうだし、その後の対応間違えなければ何とかなる範囲でしょ。逆にその後の対応でミスったら詰みだけどさ」
シャーペンを置いてやれやれと首を振り。
「仮に致命的にやらかしてたとしてもまぁ、さっさと当たって砕けてしまった方が良いでしょ」
「まぁ、それはそうかもしれないが」
「なんで諦める前提なの? これから砕けないための準備をするのに。明日の将暉くんの発言は『はい』か『YES』以外許さないから」
「おう……」
「んー?」
「はい」
なんで俺、中一の女の子に詰められているんだ。
……雪夜がここまで言ってくれているのに、俺が後ろ向きなのは良くないな。気をつけよう。
「明日九時半には家出るからね」
「マジ……? 土曜だぞ」
「ゆっくりな方だよ、まったく……宿題教えてよ。日曜は撮影だから、今夜中には終わらせないといけなくなったんだから」
「はいはい」
「んん?」
「はい」
手伝うと言っても中学一年の内容、一年経っているとはいえ受験で散々やったことだ、と舐めていたがちょっと考えなければいけない問題もあった、が何とかなった。
「なるほど、よく思いつくね」
「思ったより時間かかってしまった」
「そんなかかってないでしょ、五分も経ってない……夕飯、作ってくる」
「え? あーいや、良いよ。やることまだあるだろ」
「明日で終わるくらいの量だよ。明日も手伝ってくれる?」
「それは良いけど。世話になるわけだし」
「なら問題ないね。じゃあ夕飯作るから。気晴らしだよ。……それに将暉くんが作る料理食べてたら間違いなくカロリー管理狂う」
「ん?」
「なんでもないよ」
そのまま腕まくりして雪夜は部屋を出ていく。その背中を見送りながら、出ていく直前、振り返って見せた屈託の無い笑顔を思い返す。
「ずっと忙しかったんだな」
手伝えて良かった、のかもしれない。ずっと張りつめたような顔をさせてしまっていた。
机の上に放り出されていた雪夜の授業ノートを手に取る。表紙に数学と自分の名前がしっかりと書かれている。開いて見ればさながらパソコンで打ち込んで印刷したような、きっちりと揃えられた文字列が目に入る。
そして表紙裏。
「ん?」
そこには恐らく筆ペンで書かれた『絶対合格』という熱い決意の感じられる文字。その下に
はこれまた筆ペンで書かれた今俺が通っている高校の名前が書かれていた。
俺の通っている高校は確かに偏差値は高い。この辺りでは一番だ。けれどまぁ、一年生の内から目指すのならもっと上の方が良いのではと思うけど。
「まぁ、頑張れ」
雪夜が用意した夕飯は健康的で美味しかった。トマトをベースにした鶏むね肉と玉ねぎとブロッコリー、ほうれん草が主な具材のカレーだったけどイメージしていたより美味しかった。




