ひた走る
なんかあの粘着テープでコロコロする奴でお互い服に付いた毛を取る。知らない間に結構毛まみれになっているんだな。
「あ、背中の毛、取ってあげる。わたしのも取ってね」
「あ、はい。ありがとうございます」
なんて、変に敬語になってしまう「あははっ、お堅い」と言いながら数回コロコロして終わりだよとペシペシ背中を叩いてくる。何の躊躇いもなく触れてくる行為に思わず心臓が跳ねた。それから俺の番、背中を向けてくる佐倉さんの想像以上に華奢な肩、Tシャツ越しでもわかる細い腰に思わずドキドキしてしまう。コロコロ転がす。その感触に意識を集中すれば下着の感触までわかってしまいそうで、そんなことを考えてしまう自分を頭の中で蹴飛ばした。
店を出る。今日はなんだか過ごしやすい天気な気がする。これならいけるか? なんて思いながら猫カフェの感想を話しながら駅前まで戻ってくる。
「じゃ、じゃあ、どっかで昼飯買って、公園で少しゆっくり……」
「あ……あの!」
ついに決戦の地へ、と覚悟を決め始めていたところに割り込んできた声に思わず振り返る。
「あ、愛季?」
「はぁ、ちょ、ちょうどよかった。あ、あの! 雪夜ちゃんのお兄さん!」
丁度駅から出てきたのだろうか、愛季は詰め寄るように俺の眼の前に来ると。
「雪夜ちゃんから、何か聞いてますか?」
「何かって、何を?」
「あ、明後日までに、文化祭の出し物を用意しなきゃいけないって」
「文化祭……?」
「雪夜ちゃん、高等部の文化祭に中等部として出店することになったんだけど、その準備、全部押し付けられて、ゼロから準備しなきゃいけないんです!」
「な、なんでそんなことに?」
「その……嫌がらせ、みたいな……」
その瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。
佐倉さんも愛季も置いて、走り出す。雪夜は多分学校にいるはずだと、愛季に聞けば良いものをそう決めつけて走った。
ここから走れば十分程度だろうか、いや、全速力をずっと維持できるわけがない。百メートル十秒の陸上選手が千メートルを百秒で走れると言っているようなものだ。でも、それくらいの心持で急げ。なんて言っても時間が無い。明後日までと言ったか? ということは今日中に出し物を決めて必要なものをリストアップ、明日には買い出しと設営を同時進行でこなさなければいけない。雪夜が一人でどこまでやっているかはわからないが、保健所への届け出が必要になる食べ物関連はまず選択肢から除外。同様に恐らく向こうの実行委員に事前に申請が必要になるステージを利用した出し物も、もうプログラムが決まっているであろうことから除外。従ってできることは出店系に限られるが、そもそもスペースはあるのか? いや、中等部と高等部の交流ってことはある前提で動いて良いだろう。じゃあ何ができる、商品は今から用意できるのか? 出店以外の可能性を模索した方が良いのか? そもそもスタッフはどれくらい用意できる。雪夜一人、あるいは雪夜と愛季の二人と仮定した場合、受付と監視する人を配置するだけで済む展示系にした方が良いのか? いや、今からどうやって展示物を用意する。何を展示するか決めてそれを用意するとなるとやはり足りない。……何をするにしても少なすぎる残り時間という要素が邪魔をする。そもそもどういう場所にスペースが用意されているのかも確認していない状況で決めつけるのは早計か。展示系だと教室だとありがたいが、体育館の一角のようなオープンスペースだと話が変わってくるぞ。そもそも予算はどれくらいあるんだ。そもそも俺はどうして雪夜がこんな事態を抱えていることに気づかなかった。自分のことばかり。今日佐倉さんとデートする。そのことで頭がいっぱいで雪夜のことを見れていなかった。俺のミスだ。ダメだ、思考が堂々巡りし始めている。走りながら考えることの限界か。そうだ、まずは状況を確認することが先決。そこの角を曲がれば雪夜の学校だ。そこで話を。
「はぁ、はぁ……」
ダイエットの成果で体力は付いたつもりだが。ダメだ、息が切れる。せめて息を整えてから学校に入ろう。
「あのさ」
「はぁ、え?」
「桐藤くん、部外者で卒業生ですらない君が一人で入れるわけなくない? この子がいないと」
「はぁ、はぁ、お、お兄さん、足速いんですね。ついて行くのがやっとでした。でもでも、制服でもないのに、うちの中学入るのは、一人じゃ厳しいです」
「……それはそう」
一応、学生証は持っているが。学割使える時は使おうと思って。
「なので、はい、あたしが先頭で行きましょう」
「頼む」
「無理を言ってるのは先生方なんでしょ、多少の無理は通してもらおうね」
佐倉さんもどこか、ピリピリした空気を出している。
「すぅ……はぁ」
落ち着け。なんでこうなったのかとか、先生方は何としても出店したいのかとか、頭の中でグルグルする。
頭を物理的に水にでも突っ込みたい。感情を排して理性的にならなきゃ、そのために頭を冷やしたい。
「はぁ……ん?」
ガコンという音に振り返る。校門の迎えの道路に設置された自販機から、佐倉さんが飲み物を取り出していた。
「はい、お水」
「え、あ、ありがとう」
佐倉さんから差し出されたお水を。
「え。えぇっ!」
俺はそのまま頭からかぶった。とても気持ち良い。脳もパソコンのように熱を取る必要がある物だと実感する。
「よし。えっと、いくらだった?」
「んー、良いよ。小銭使いたかったし」
……なんか最近、女の子に奢られる機会多いな。
「あ」
雪夜から買ってもらった服、水で濡らしてしまった。
「はぁ……」
でもまぁ、少しは頭が冷えた。熱くなってる時間は無い。
「じゃあ、愛季、頼む」
「はーい」
『雨音、頼んだぞ』なんて調子の良いことを言って、担任は逃げるように教室を出て行った。貸し出された生徒会室、いつも使ってる教室より狭いはずなのに、やけに広く感じた。
本来の担当の人たちは、そんなに雪夜が憎かったのだろうか。よくわからない。こんな回りくどく、内申にも響くようなやり方で雪夜に全てを押し付けて。どれだけ根深い恨みを雪夜に抱いているのか。何も進んでない現状を目の前に思わず悩んでしまう。
「はぁ」
……将暉くんならどうするのだろう。
適当にできることをやって難を逃れるのだろうか。それとも……。
「ここから大成功して、悔しがらせる」
そんなこと、できるのだろうか。でも、雪夜の中の将暉くんは、きっと挑む。勝ちに行く。勝ちに行くと思えるということは、どこかに勝てる道筋が残っている。十戦やって一回通せるかどうかのか細い道でも最初の一回で引きに行く。
視線を机の上に戻す。そこには、提出だけして一切進めなかった企画書が乗っている。今や何の価値も無い紙切れ。そういえば、内容すら確認してない。
「えっと……昇降口前の外のスペースで、串焼き屋さん」
近くのスーパーで仕入れ交渉することになっていたけど、電話すらしてないだろう。
テントは今からでも間に合う。コンロはどうするつもりだろう。ガスとかどうすれば良いのかわからない。
「……いやいやいや。無理でしょ」
串焼き屋さんで通すなんてやっぱり無理だ。
「……いや、いけるな」
「え?」
上から降ってきた声に顔を上げた。いつのまに誰か、後ろに立っていたの?
「諦めるには早いな、雪夜。人手さえどうにかなれば、いける」
「……将暉くん?」
ここにはいるはずの無い人。とうとう追い詰められて幻覚でも見てるの?
雨でも降ったのだろうか、朝、折角セットしてあげた髪が濡れてペタッと潰れてるし、買ってあげた服も肩のあたりがぐっしょり濡れていた。
でも、そんなことよりも、目が違う。目が、死んでない。
将暉くんの目が燃えるように輝いて見えた。カッコいいと思った、憧れた、将暉くんの目だ。
「でも、すぐに動かないとな。商品まで企画書で提出済みなら、あとは用意さえできれば出店はできる。見せてくれ」
雪夜の手から企画書が持ち上げられる。
「……実現するつもりが無いからか、無茶苦茶書いてるな。よくこれで通ったな。必要な設備はどこまで用意されてるんだ?」
「……将暉くん」
「ガスを借りられないなら、いっそ炭起こしても良いかもしれないな」
「ねぇ将暉くん」
「材料は今からでも連絡してみて、足りない分はそうだな……どれくらい用意するか、ガスは無理でも冷蔵庫……いや、冷凍庫でも良いな。使えるかどうか確認しなければな」
「将暉くんってば!」
立ち上がり睨みつける。なんで、なんでここにいるの?
「デートはどうしたの! 告白は! したの!」
「告白は、してない。今はそれよりも、雪夜のことだろ。文化祭の準備押し付けられたって。だから今からでも……」
「頼んでない! なんで……一年、頑張ったんでしょ? 今日のために。なんでチャンスを放り投げてここにいるんだよ……ふざけないでよ……雪夜のためにそんなことしないでよ。そんなことされたら……諦められなくなるじゃん」
「……なにを?」
「将暉くんのこと! 諦めさせてよ……助けないでよ……ほっといてよ!」
「そんなこと……」
できるわけ無いんでしょ。将暉くん、優しいから。
雪夜に優しい顔、見せないでよ。
「見捨ててよ……雪夜のことなんか、忘れてよ! 全部、一人で、一人で何とかするから、さ……一人、で。え?」
「ゆ、雪夜ちゃん?」
「……あ」




