猫と戯れる
勝負の週末だ。土曜日だ。
俺は今日、告白する。
休日の駅前、待ち合わせの三十分前に着いてしまった。服装は雪夜に見てもらい問題無いとお墨付きをもらっている。なんなら着替える前に。
「将暉くん、寝癖。……こっち」
と、首根っこ掴まれてシャワーを浴びせられドライヤーまでしてもらった。
「着替えたらセットするから声かけて」
休日の朝から申し訳ない。何やら忙しそうだったのに。そう思いながらも、ちゃんとわかっている人にしてもらえる安心感に身を任せることにした。
「いってらっしゃい」
「……ありがとう。今日は、撮影か?」
「? なんで?」
「いや」
なんか、どこか焦ってる。そんな気がしたから。
どうにも雪夜の様子が変な気がして、けれど深く聞くのは躊躇われた。いや、それでも。
「雪夜」
「そろそろ出ないと、待ち合わせでしょ」
「あ、うん。いってくる」
「いってらっしゃい」
朝から鬱陶しいくらいの日差しが照り付けていた。日陰を選んで歩く。いつもの駅までの道のりがやけに遠く感じる。
今から、佐倉さんと一日を過ごす。その事実に未だ実感が湧かない。まだ、夢の中を歩いている気分だ。ふわふわと、踏みしめる地面の感触すらおぼつかない。身体が現実に追いつかない。トントン拍子の現状の背中を追いかけている。
駅について電車に乗り込む。スマホが震えた。
『今から家出るよ~電車が着くころには改札前にいるね』
律儀だ。というか、折角連絡先交換したのに、これが初めてのメッセージなのか。
電車はいつも通り、けれどどこかいつもよりも緩慢に走る。心臓の鼓動だけがいつも通りな気がして、けれど多分、いつもよりも早足だ。
去年の春。横顔に見惚れたんだ。この人と仲良くなれたら、そう思ったんだ。人柄どころか、話したことすら無い。初めて顔を見た時、そう思った。
たったそれだけの動機で、今日までただ自分を変えようという一心で、やりたくもない慣れないことを貫いて来れた。
電車を走り出た勢いをそのままにホームの階段を駆け上がり改札を飛び出るとすぐに。
「やっ、おはよ」
「お、おはよう」
呼吸が浅くなる。本当に待っていてくれた。ただそれだけで今日一日は満足と言っても良い。俺が受け止め切れる満足感の閾値は余裕で超えている。
「じゃあ、行こっか。猫ちゃんと戯れるから爪も切ったしメイクも控えめにしたんだ」
「俺も、うん。穴空いてもおしゃれと言い張れる奴にした」
「あはっ、ダメージなんとか的な?」
「そんな感じ」
……ヤバい、会話が、会話が上手くできない。も、もっと発展できる話題を、話題から話題への橋渡しを。なんて緊張や焦りは、不思議と起きなかった。
「こっち?」
「うん。地図ではそれで合ってる」
沈黙が、心地よかった。発言を焦るようなものでは無くて、ただ街を歩いているだけなのにどこか楽し気な佐倉さんに引っ張られるように、思わず笑みが零れてしまうような。足取りが軽くなってしまうような。
「おぉ」
何に感心したのだろうかと、辺りを見渡す。そんな時間すら心が弾む。
「見て、あの犬、大きい」
「あぁ……確かに。佐倉さんくらいなら運べそう」
「あはは、大げさ」
白い大きな犬。佐倉さんはまだしも小学校低学年の子どもくらいなら余裕で運べてしまいそうな大きさだった。
カップルだろうか、若い夫婦だろうか。飼い主の二人が仲良さげに歩いている。
……俺にも、あんな将来があり得るのだろうか。上手く想像できない未来に、少しだけ期待が膨らむ。そういう人生も諦めなくて良いのでは、と。
変な期待はしない。分相応に生きる。そう決めていた。決めていたのに。俺は今日この日に辿り着いてしまった。辿り着けてしまった。
瞬間、冷静になってしまう。本当に良いのか、と。
今日が上手くいった先、この幸せを取りこぼすことなく、守り続けられるのかと。
壊さないように、歩いて行けるのかと。
季節の変わり目に抱くような漠然とした不安。心に冷たい風が吹くような。焦燥感にも似た、何もできないまま時間だけはただただ進んで行くような。
「桐藤さ……さんは遠いか。折角一緒に出掛けてるのに。うん。あれ? 桐藤くん?」
「……ん?」
「ここじゃないの?」
「え。あ……ほんとだ、通り過ぎるところだった」
「あは、おっちょこちょい。猫に対抗して可愛さ勝負?」
「あー……勝てる気しないな」
「それはそう」
中に入ると、そこには。
「……すご」
佐倉さんが漏らした声に思わずうなずいた。
キャットタワーというものがある。猫の遊具のようなものだ。今、目の前の窓越しに広がる光景、店内そのものがキャットタワーと言っても良いだろう。壁に猫が走れるだけの道が作られている。キャットウォークというらしい。そこに登るためのキャットステップもある。猫達が颯爽と駆けていく。
その道の途中に作られた猫ベッドに収まり丸まる猫の上で容赦なくくつろぐ猫もいて、思い思いのびのびとくつろいでいた。
「……これを眺めてるだけで一日過ごせそうだ」
「そうだね」
スリッパに履き替え脱走防止の扉を開け店に入って来た俺たちを、猫達は視線だけ向けて出迎えた。その顔はまるでこのカフェの主は自分だと言わんばかりの貫禄だ。
「わっ」
「お、っと」
いつの間に忍び寄っていた毛並みが明らかにフワフワしてそうな白猫とクールな雰囲気の黒猫が足元にまとわりついてくる。足の匂いを嗅ぎ、自分の匂いを擦りつけるように身体をぶつけてくる。
思わず口元が緩む。
しゃがみこんだ佐倉さんに白猫の方がお腹を見せてゴロンと転がり、佐倉さんは遠慮なくお腹を柔らかい手つきで撫でる。その手つきに猫はのびーっと伸びることで応える。
俺も撫でようと黒猫の目の前にしゃがむがプイっと興味を失った様子で足音も無く離れていく。……席、取っとくか。
二人掛けのテーブルを選び椅子に座ると、ぴょんと三毛猫が机に飛び乗って顔を近づけてくる。口元の匂いを嗅いでくる。それに気を取られていると太ももの辺りに温かな重み。
「……えぇ?」
す、すごい。猫が俺の膝の上で我が物顔でくつろぎ始めた。
テーブルにいた猫は匂いの確認に満足したようで、テーブルに手を置くと今度はその手に顔を擦りつけてくる。
「遊んで欲しいんじゃない?」
白猫を抱っこした佐倉さんが向かいに座る。
「あ、動けなさそ、持ってくるね」
そう言って佐倉さんはどこからか猫じゃらしを借りてくる。佐倉さんの手にある猫じゃらしに猫たちは顔を上げて目を見開いて反応していた。
「注文もしておいたよ、コーヒーで良いよね?」
「あ。うん。ありがと」
「いえいえ、お猫様に膝を貸すのも立派な下僕の役目だよ」
冗談めかした口調だが、その目はマジだった。
「かわ……あうっ」
佐倉さんの肩にぴょんと飛び乗ったのは明らかに子猫だった。
「か、肩まで乗るんだね。ね、猫じゃらしが振れない」
なんて困る暇もなく、肩乗り猫は佐倉さんの手にある猫じゃらしに飛びついて行った。
「あはは」
猫じゃらしの動きに合わせて代わる代わる猫たちが飛びついてくる。元気にジャンプしクルクルとバターになる勢いで回り、逃げる猫じゃらしを姿勢低く追いかけてくる。一度捕えればば絶対に離さんと牙で爪で捕まえてくる。
「あっ」
猫パンチの一撃で佐倉さんの手から弾き飛ばされた猫じゃらしを自分の物だと咥えて持っていく猫もいた。
「ふふっ、あはは。待てー」
なんて佐倉さんはそのまま猫とのびのび遊べるプレイスペースに行く。懐かれるタイプのようだ。膝の上でくつろぎ眺めるだけの猫や何故か手をお腹の下に敷いてそのまま香箱座りに移行する猫もいる。
しばらくして、遊び疲れたのか猫じゃらしへの反応が悪くなったころ。
「いやぁ、元気だねぇ」
なんてすっかり冷めたコーヒーに口を付け、佐倉さんはふぅ~っと満足げに息を吐く。
「桐藤くんもすっかり懐かれているみたいで」
「あぁ、まぁ」
かくいう俺も、膝の上や足元を占領されている。当然の権利のように、さながら以前から俺の膝の上は猫の領土だったかの如くくつろいでいる。
「あっ、美味しい……猫楽しみながらこれ飲めるのか……良いお店知っちゃったな。ありがと」
「あ、うん。それなら良かった」
ネットで評判の良い店を厳選しただけとは言いづらいな。行ってきた人のレポも確認して外れないようにと調べただけだから、自分の手柄という顔ができなかった。
「あっ」
「あら」
テーブルの上に座る猫の上、手が重なる。不意に触れ合って見つめ合う俺たちを、猫はきょとんとした顔で見上げた。『撫でて良いよ』と促しているのか『何してるんだこの二人は』と呆れているのか。
ニコッと佐倉さんは自分の手に重なる俺の手をそっと猫のお腹に押し付けた。
「モフモフだね」
「うん、モフモフだ」
俺たちの手を大きな欠伸をして受け入れる猫は『やれやれ』とでも言いたげだった。




