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紅茶のおいしいダンジョン  作者: 高野十海
その1 開店編
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08 没落娘はパウダーバイヤー

 具の少ないスープとパン、それにちょっとした副菜がついただけの食事は、チュチュを満足させた。

 どれほど具だくさんのスープよりも、あっさりと味気ないスープを好むというのもおかしな話ではある。しかし、彼女にとっては必要な一杯だった。

 食堂を出たその表情は、晴れ晴れとしたものだった。


「それほどいい味だったか?」


 んー、と冷静に考えて、彼女は首を振った。


「味はコッツの作った方がよろしいですわ。けれど問題はそこではありませんもの」

「というと?」

「毎日食べ続ければ、どんなごちそうも色褪せましょう」


 グリムからすれば、数日前にパンとスープとサラダをぽろぽろ泣きながら食べたとは思えない人間のセリフだ。

 食べられるだけありがたいとは言え、どうしたって限界は存在する。


「贅沢なことを言う」

「あら、人間というのはわがままでしてよ」


 けろりというチュチュに、ケープが軽くはためいた。


「その人間を相手に商売をするのがどれほど難しいか、いま知ったよ」

「グリムにしては弱気ですのね」


 ケープを撫でながら彼女は、街を歩いてきょろきょろと辺りを見る。うっすらとした記憶の中を歩くものだ。


「キスキィ嬢は強いと言っているのさ」

「そうでなければ生きていけませんもの」


 貴族としてそう教育されたからか、あるいはそれを失ってそういう確信を得たからか。どちらにしろいまのチュチュは、ある種の図太さを獲得していた。


「貪欲だな、人間というやつは」

「だからダンジョンが成り立つのでしょう?」

「そうでもある」


 もし人間が賢ければ、ダンジョンなんていう危険地帯には寄り付かない。欲深い人間がいるから、グリムのような迷宮写本が世に蔓延るのだ。


「そろそろ小麦粉を買って帰らないと、遅くなりますわね」

「いい値段で売れたからな。キスキィ嬢が持てるだけの量を買うのは難しくない」


 財布代わりの革袋にはじゃらりと重みがある。


「一度に全部使わず、すこしずつでも貯めていければ余裕ができますわ」

「いずれはオーマに頼らず、金だけで運用できればそれが一番だ」


 チュチュにとっても、瞬時に効力を発揮するオーマは一種の切り札だ。なるべく頼らず、いざという時に溜めておきたいのがほんとうだろう。


「ええ。近い内にそうできればと思っています」

「オーマが尽きなければ、私はそれでいい」


 ぴたりと彼女が足を止めたのは、一件の店の前だ。周囲の店と比較して、なにが優れていたというわけではない。


「あれ、キスミーさん?」

「あなたは……ミルカさんだったかしら」


 ちょうど知っている顔が店から出てきたから、足を止めたのだった。彼女は先日見た行商の格好ではなく、一人前の商人の服を着て汚れよけを掛けている。


「そうです。ここ、お爺ちゃんの店なんですよ! キスミーさんはどうして街に?」

「小麦粉を買いに来ましたの。紅茶とくれば、お菓子は必要でしょう?」


 チュチュがそう言うと、ミルカはパチンと手を打った。


「お菓子も出すんですね。よかったらうちの店見ていきませんか。小麦粉置いてますよ!」


 碧い瞳がちらりと動いて店先を見る。しっかり掃除が行き届いてるから、嫌な風には見えない。

 どの店がいいかはともかく、ミルカが人を騙すような人間ではないとチュチュは感じていた。


「なら寄っていこうかしら……」

「どうぞどうぞ。……そのコート、素敵ですね」

「そうかしら。ありがとう存じますわ」


 ミルカは笑いながら、店内へアッシュピンクの髪をなびかせる彼女を招き入れた。

 店の中には、たくさんの品々が並べられてあった。遠くから持ってきたのだろうものもあったが、大麦小麦などの日々のものも取り揃えてある。


「いらっしゃい……あんたは」

「またお目にかかりましたわ。アザムさん」


 わずかに膝を曲げて挨拶をするチュチュに、アザムは太い眉毛を持ち上げた。


「名前を覚えていてくれたのか」

「当然ではありませんの」


 貴族の仕事は人の名前や嗜好を覚えることが重要だ。それはチュチュもしっかり躾けられている。

 記憶力に関して、彼女はある程度自信があった。


「そう言ってくれればうれしいものだな。なにが入用だ?」

「小麦を買いに来たんだって! あのお店でお菓子も出すって!」

「これ、ミルカ。客より先に喋るんじゃない」

「あっ、ごめんなさい」


 慌てて両手で口を覆うミルカに、チュチュはくすりと微笑む。


「いいんですのよ。手間が省けましたわ。ありがとう、ミルカさん」

「そんな。えへへ」


 ごほん、と咳払いをしたアザムは、ずいと身を乗り出した。


「すまないな、キスミーさん。小麦だけでいいのか?」

「ええ。ほんとうはお砂糖もあったほうがよろしいんでしょうけれど、それだとお客様にはお出しできなくなってしまうでしょう?」


 香辛料や砂糖といったものがまったく手に入らないわけではない。一部では使っているところもあるだろう。

 しかし、おいそれと使うには入手性や価格にネックがあった。


「たしかに、俺たちの口には入れられなくなるな」

「なるべく求めやすいものと考えますと、甘味はハチミツか果物の方がよろしいと思いまして」


 平民を客に取ろうというチュチュの商売からすれば、その説明はアザムにもうなずけた。

 安いかどうかはともかく、高くない値段でお茶を飲んでもらうということをやるなら、お菓子を目の前でぶら下げて食べさせないという選択はない。


「それじゃあ小麦だけでいいんだな?」

「ええ。まだ試作品の段階ですから、まずは土台を練り上げる時期ですもの」


 チュチュの中におおまかなレシピがあっても、実際作ってみなければ、紅茶に合うかどうかはわからない。

 ましてやその紅茶でさえ、試作の途中なのだから。


「わかった。どのぐらいだ?」

「そうですわね……二袋いただけるかしら」

「二袋ね。馬車かなにかに詰むか」


 アザムが目でミルカを見るが、チュチュの背後で彼女は首を振った。

 馬車で乗りつけたわけではないと無言の会話だ。


「いえ、手で持っていきますわ」

「えっ、キスミーさんが!?」

「ええ。おかしいでしょう」


 そう言われておかしい、とはミルカも素直に言えない。どこからどうみても、小麦がたっぷり入った袋を二つも担いで歩くには、細すぎる体だ。

 ましてや外見だけならば立派なお嬢様が、従者も使わずで持って帰るとなればおかしいと思うほうが当然だろう。


「言われれば商人だから出すが……持てるのか?」


 一抱えほどもある小麦の袋を、チュチュは両手で持ってみせた。実際にはコートになったグリムが補佐しているのだが。

 彼女にかかる負荷は、猪の皮より若干重たいぐらいだった。これなら二つを担いでいくにも問題ないと頷く。


「ええ。どうにかなるみたいですわ」

「ふわぁ……キスミーさんってば力持ち」


 これにはアザムも目を剥いた。どうやったってその細い腕でやるには似合わないことだ。


「そういえば、お代はおいくらかしら」

「ああ。小麦が二つだから……」


 アザムが出した金額は、チュチュの財布をそれほど凹ませないものだった。


「あら。ずいぶんお安いのではなくて?」

「そうでもない。利益はある」

「……そう。お優しいのね」


 ミルカが失敗した分のサービスなのか、それともまた別の理由か。どちらにしろアザムの好意を受け取って、チュチュは言われた分の代金を支払った。


「近々、試作品ができる予定ですの。お口にあうかわかりませんけれど、その時は試食会にご招待してよろしいかしら?」

「えっ、いいんですか!?」

「ええ。その代わり、おいしくなくても許してくださいね?」


 ぺろり、と舌を出していたずらめいて言うチュチュに、ミルカは顔を真っ赤にした。


「嬉しいが、呼んでもらっていいのかい」

「ええ。わたくしがおいしいと思っても、みなさんがそう思うかどうかはわからないじゃありませんか。是非、どなたかに味を見て欲しいと思っていましたの」


 アザムは頷いた。建前かはともかく、それなら道具を一通り試してから売るようなものだと理解できる。


「そういうことだったら、遠慮なく」

「ご都合がありましたら、そちらを優先して下さいませ」

「おじいちゃん! 他の用事断っても行こうね!」


 腕を掴んで真剣な眼差しを注ぐミルカの頭をぺちんとはたいて、アザムは苦笑した。


「ばか。……こいつが楽しみにしてるんで、よろしく頼む」

「ええ。それではごきげんよう」


 くすりと彼女は微笑んで、小麦袋二つを担いで店を出た。


「……おもいぞ、キスキィ嬢」


 不満げにケープがはためき、声を上げる。

 結んだ紐が食い込んでいるのか、その声もどこか苦しげだ。


「我慢なさって、グリム。殿方のいいところの見せ所ですわ」

「私が見せてなんの意味がある」

「わたくしが喜びますわ」

「……ならば仕方がない」


 一人と一冊は肩にかかる重みに汗を垂らしながら、ダンジョンまで歩いて帰った。

 ここは紅茶のおいしいダンジョン――試食会までもうすこし。

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