07 没落娘はアドバタイザー
「おいしいのですけれどね……」
もつ煮生活三日目のことである。
前日も朝から晩まで、チュチュはモツ鍋をたっぷりと口にしていた。
コリコリやぐんにょりした謎の歯ごたえの合間に、ティレントの採ってきた野草が爽やかな時間だ。
食事を終えて、彼女は食べられる幸せと同時に、昼食もまたもつ煮を食べることに若干の抵抗を感じていた。
「パン……いえ、小麦が必要ですわね」
紅茶とお菓子のために一切活用されたことがない食器を、コッツが片付けていく。
水で口を清めてから、彼女はテーブルで寝そべっていた迷宮写本を引き寄せる。
「小麦か。お菓子を作るには必要だな」
「ええ。甘味はハチミツや果実で補えますけれど、小麦だけはどうしても手に入れなければなりません」
クッキー、ビスケット、ケーキ、サンドウィッチ。
紅茶に合うものを考えれば考えるほど、小麦粉はかかせないとわかってくる。
「今度は畑でも作るか?」
「そこまでやっていると、ダンジョンを運営できなくなりますわ」
首を振ってチュチュは否定した。手間を考えればそこまでカバーできない。畑まで作ってしまえば、残るオーマが減る一方であるともわかっていた。
「だったら買うしかないな」
「どうしてもそこへもどってきてしまいますのね」
ふぅ、と彼女はため息を漏らす。人間であってもダンジョンマスターであっても、お金がなければ話が動かない。
結局のところそれがなければ、世界をどうにかするのは難しかった。
「金を稼ぐか、価値があるものを、どうにかして手に入れる必要がある」
同意して、チュチュはガラス板の外にあるものをちらりと見た。
「猪の皮は、代わりにはなりませんの?」
「一時的にはなるだろう。しかし在庫を持てるほど買おうと思えば……」
「バラつきがありすぎて収入源としては心許ないですわね」
一時的に資金を作るのにはいいだろうが、安定して供給できるかと考えれば難しい。トリギュラなら見つければ捕獲する。けれど時期が外れて猪が出なくなれば、それも無理だ。
「これ以上モンスターを増やすのも厳しいぞ。オーマはいまのところ増えていない」
「茶葉はティレントとコッツが研究中ですし、食材はコロンとトリギュラが採ってきてくれますけれど……」
枝肉は干して塩漬けや燻製にして保存食になっている。干せないものは食べてしまわなければしょうがないから、正肉は後回しだ。
トリギュラはいまのところ毎日、猪を取ってきている。もつ煮は増え続けて、チュチュだけでは食べるのが追いつかない状況になっていた。
「次の手をどう打つかだな。私としては、そろそろ宣伝をした方がいいと思う」
「人が来なければ、せっかくのダンジョンも意味がありませんものね」
茶葉は完成していないし、小麦粉の手配もまだ不透明だ。しかし、名前を売っておかなければいざダンジョンを開いた時に、人が来ないことも考えられる。
それを考えれば時期尚早であっても、町へ降りたいところだった。
「キスキィ嬢はやれるか?」
「……わたくしのダンジョンですもの。やってみせますわ」
「だったら私もコートになろう」
頷く彼女の肩にかかるようにして、グリムはケープ付きのコートに早変わりする。空は晴れているが、乾いた冬の風はまだ冷たい。
「よろしくってよ、グリム。ダンジョンは……」
「閉じないでもいいだろう。どうせ野生動物ならモンスターが追い払う」
「それでは連絡だけしていきましょう」
チュチュは立ち上がり、キッチンへ顔を出した。
「ちゃのきー」
「マスター。どうしました?」
キッチンでは、ティレントとコッツがいっしょに紅茶を試行錯誤していた。意外にも早くそれっぽいものはできたが、上質なものとは言えなかった。
いまはどうやれば上質に変わるかという研究中だ。
「すこし町へ降りてきますわ。ダンジョンを閉めると外のコロンとトリギュラが帰ってこられませんから、気をつけて下さいませ」
「ちゃのー」
ついていけないのがわかっているからか、ティレントはすこしだけ寂しそうに若枝を揺らした。その先についていた茶葉は、いまはコッツが使っている。
どういうわけか毎日再生するので、ダンジョンを開業しても茶葉が不足することがなさそうなのは、ティレントにとってもチュチュにとっても幸福だった。
「お一人で大丈夫ですか?」
「グリムがいますもの」
ふわりとケープが浮き上がる。それを見て、まったく変わらない眼窩でコッツは笑った。
「なら安心ですね。行ってらっしゃい、マスター」
「ちゃのきー!」
「ええ。行ってまいりますわ」
二匹に見送られて、チュチュはダンジョンを出た。外にある猪の皮をくるりと巻いて束ねる。
「コロンとトリギュラの姿は見えないな」
「すこし遠くへ行っているのかもしれませんわね。帰ってきたら、ふたりが伝えてくれますわ」
束ねた猪の皮を、彼女は紐で縛って背負った。三枚もあれば、チュチュが背負うのに厳しいぐらいの量は問題なく買えるだろう。
「ふむ。干し肉もいくらか売りさばくか?」
「太もも一本ぐらいなら持てるかしら……」
仕分けた一本の枝肉は、多少縮んでいるが彼女の細腕には重かった。ましてや皮を背負っている。持っただけで、脚はぷるぷる震えて止まらない。
「……無理だな。肉は置いていこう」
「残念ですわ」
枝肉をもどして、チュチュは町を見下ろした。朝食を食べたばかりだから、順調に進めば昼前にはたどり着けるだろう。
目的地を定めて、彼女は道を下っていく。
「なんだか、もう随分と町の人を見ていない気がしますわ」
「キスキィ嬢がダンジョンマスターになってから、七日も経っていないのにな」
「それだけ慣れてしまったということかしら」
ざくざくと霜柱を踏みしめながらチュチュは進む。ある程度ヒールのある靴も履きなれたもので、まったく苦にしていない。
「それは重畳」
「いやな本」
「褒めているのさ」
「知っています」
「いいダンジョンマスターだ」
「それは重畳」
笑いあって、一人と一枚のコートは昼前に町へたどり着いた。
慣れ親しんでいたはずの町の匂いは、いまのチュチュには懐かしさより、どこか違和感のようなものを思い起こさせる。
それがなんなのかわからないまま、彼女は皮を買い取ってくれる店を探した。
折しも冬の時期だ。皮の需要がないということはないだろう。
チュチュは目についた店へ持ち込みをかけた。そこは店が掃き清められていて、しっかりしていそうだというのが決め手になった。
店内も綺麗で、にこにことした顔の、人の良さそうな男が主人を務めている。
彼女は厳しい顔つきの男でなくて、内心、ほっと息を吐いた。
「いらっしゃいませ」
「よろしいかしら。皮を買い取ってほしいんですの」
「はい。猪ですか?」
「ええ。状態はよろしいと思っています」
「広げてみても?」
こくりと頷くと、チュチュは背負った皮を渡した。
「……大きいし傷もない。下処理もしっかりしてある。上等品ですね」
「信頼できる人がやってくれましたの」
感心したように店主は皮を丁寧に丸め直した。
「それは大切にしたほうがよろしいですね。ここまでやれるのはなかなかいない」
「ええ。いい仲間をもちました」
彼女はわずかに背の高い店主を見上げた。
人の良さそうな店主はわずかに目を細める。
「これだけのものです。売ってくれるというなら、買い取らせてもらいたい」
「お願いしますわ」
「値を聞いてから判断しないので?」
「あなたがつけたものでよろしくってよ」
実際のところ、皮の値段などチュチュにはわからない。加工されて革になったものなら、彼女も知っている。だがその前段階のことは、彼女の手の届かない世界にあった。
神秘的な碧い瞳に見つめられて、店主はわずかにたじろいだ。
「……わかりました」
そう言われて、彼は出せる上限まで値を提示した。それを見てチュチュはにこりと微笑んで、二つ返事で了承する。
「いい取引ができましたわ」
「ええ。また同じような皮があれば、よろしくおねがいします」
「よろしくってよ。……ああ、そういえば近々、わたくしも紅茶を飲ませるお店を開く予定ですの。その時には、招待状を送らせていただきますわ」
「それは……よろこんで」
微笑んで、彼女は代金を受け取って店を出た。
「……ふう。アザムの言うことは聞いておくもんだな」
以前、チュチュが出会った老爺と少女の二人組は、その日の夜、酒場で彼女のことを自慢げに話していた。商人仲間の彼は、それを話半分に聞いていた。
それを覚えていたから、彼は戸惑いながらも対応することができた。
見たこともない夜星のような衣装を着た美姫とは、目にすればそれが真実だと分かる。
「お得意様になってもらえば、宣伝になるな」
あれだけの人が客になっているというのは決して悪くない話だ。彼は、チュチュといい商売関係を築くことに決めた。
「いい値段で買ってもらえましたわね」
「ああ。あの店は信用できそうだぞ」
そんなことはいざしらず、一人と一枚は軽くなった体で食堂へ飛び込んだ。
その昼チュチュは、ひさしぶりにもつ煮以外のものを食べた。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――宣伝は基本。




