06 没落娘はフードファイター
猪には額へ一つだけ傷があり、その他はきれいなものだった。
その分、くっきりとついた蹄の跡がトリギュラの強さを感じさせる。
「うさぎは外傷がないからそのままでもいいが、猪は解体してしまった方がいいな」
「……解体?」
身に纏うコートから聞こえてきた声に、チュチュは首を傾げた。
没落したとはいえ元は貴族の娘である。
紅茶の淹れ方や行儀作法は仕込まれているが、当然ながら無縁のものもあった。
「キスキィ嬢は肉をさばいたことは……ないだろうな」
「残念ながらその通りですわね」
嫌悪感を抱くかどうかは別として、技術として出来ない。
少なくとも彼女は、肉を切るのに食卓ナイフ以外を使ったことがなかった。
「すると刃物を使えるモンスターが必要か」
ちょっと考え込んで、チュチュは条件を整理していく。
「茶葉を作るにも手先が器用な人が要りますわね。どうせなら、料理人になれるモンスターを喚んでしまいましょう」
「将来的に見越せば菓子作りにも使えるか」
ふわりとケープをはためかせて、グリムもまたそれに見合うモンスターを考える。
「心当たりはありまして?」
問われて彼は、ぴったりと当てはまるモンスターを思いついた。
「ずばりスケルトンだな。彼らほど肉体を知るものはいないし、筋肉がないから手先がブレるということもない」
「骨なら匂いがするということはないでしょうけれど……」
ゾンビと違って、骨をしっかり清潔にしていれば衛生面では問題ないだろう。
ただし、剥き出しの骨に恐怖を覚えることもたしかだ。
チュチュは想像してから、肌寒さが一層増すのを感じた。
「それだけではない。熱や湿り気もないからな。食材を触っても劣化しづらい」
「ずいぶんと推しますわね」
却下されたゾンビの分を迷宮写本としては取り戻したいのか、その語りは情熱的だ。
次第に碧い瞳は、あたたかな熱を帯び始めていく。
「なにより極端に疲労が少ない。稼働時間が長く取れるのも理由だ」
「……よろしくってよ。グリムがそこまで熱心に言うのなら、喚びましょう」
やわらかく微笑んで、チュチュはその提案を受け入れた。
話を聞いていれば、悪くない話だったというのもある。
了承されたというのに、彼はいまいち納得いかない風にケープをぱたぱた動かす。
「駄々をこねる子を見る眼をしているが」
「そんなことありませんわよ」
「不当な扱いだ」
はためくケープをなだめるように、彼女はそっと撫でてやった。
「ちゃのー」
「ぷににー」
「もけー」
「お前たちまで私を慰めようとするのはやめろ」
近寄ってくるモンスターたちを、ばさばさとケープで追い返し、グリムはいっそひねくれた。
構いすぎたかとチュチュは反省して、それ以上をやめる。
「散歩はもうよろしいかしら?」
という声に三匹は頷いて、白い息を吐く彼女にダンジョンへ戻るよう勧めた。
「そうですわね。それでは戻りましょうか」
「いや。解体をするなら外でやっておきたい。まずはスケルトンを召喚しよう」
冷え過ぎたせいか、顔を赤くする彼女にケープがぱたりと動く。
芯まで冷えてきてあたたかな場所に戻りたいチュチュは、両手に息を吹き込みながら聞く。
「ダンジョンではできませんの?」
「多少は汚れるし、匂いが出るからな。なるべくなら外の方がいいだろう」
白い息を両手で擦りながら、彼女は頷いた。
せっかくのダンジョンを汚すことは、なるべくしたくないのに同意する。
「わかりました。グリムは本に戻って下さいな」
「寒いだろうが、我慢してもらおう」
コートが写本になると、チュチュはより肌寒さを感じてぶるぶる震えた。
それを見てモンスターたちが囲んで風よけになる。
「みんな、ありがとう」
「ちゃのきー」
「ぷにー」
「もけもー」
くすりと微笑んで、彼女はグリムを手にした。
ぺらりと捲れてスケルトンのページが開かれる。
「召喚はスケルトンで、特徴は刃物が使えることと器用なことでいいのね?」
「ああ。どうせならきれい好きともしておくといい」
「それは大事なことですわね。足しておきましょう」
条件が出揃い、スケルトンのページから召喚の光が弾けた。
特殊な光が町から見えなかったかと、チュチュはすこし心配になる。
しかしごく僅かなものだったから、きっと大丈夫だろうと思い直した。
「スケルトン、呼ばれてきました」
「あら、あなたは喋れますのね」
「はい。僕は先輩方と違って人型ですから」
呼ばれてきたスケルトンは、チュチュよりもわずかに大きいぐらいの背丈だ。
少年のような声をしていて、骨もそれほど太くない。
なめらかな骨は陶磁器めいた艶があり、丹念に磨かれていることがわかる。
「それなら名前はございまして?」
「僕たちは呼ばれた時につけられるものですから、今はないんです」
かたかた骨を鳴らしながら首を振る彼から、チュチュは嫌悪感をほとんど感じなかった。その構造からして、やはり人骨とはやや異なっているのもあるのだろう。
あくまでも似たものであって、骨のまま成長するスケルトンは別種と捉えられる。
「わたくしがつけてもよろしのかしら?」
「そうしてくれたら嬉しいです」
四匹目ともなれば、彼女も名前をつけることに慣れてきた。
人語を話すあたりが先の三匹と違うところだが、グリム以外とも話せることは、チュチュにとってもいいことだろう。
「料理人もしてもらう予定ですから、コッツとしましょう」
「いい名前ですね。マスター」
恭しく言うスケルトン――コッツからは、本のような胡散臭さや腹に秘めたものがない。彼女は素直にその言葉を受け止められた。
「よろしくてよ。コッツ、さっそくで悪いのですけれど、この猪を捌けるかしら?」
「ナイフはありますか?」
こくりと頷いてコッツは猪を見る。
彼の眼球のない眼は、なにをどう捌けばいいのか克明に透かし見ていた。
「ナイフはあったかしら?」
「それぐらいならオーマもほとんどいらない。出しておこう」
グリムから、飾りっ気のない実用本位のナイフが現れた。
刃は鋭く輝いている。チュチュが恐る恐る手にとってコッツへ渡した。
「ありがとうございます。時間がかかりますから、中で温まっていて下さい」
「よろしいんですの?」
「マスターを凍えさせるわけにはいきませんから」
「お気遣いありがとう。それでは頼みました」
チュチュたちが離れたところで、スケルトンはナイフを軽く肋骨に仕舞い、猪を担ぎ上げた。
「――あはっ」
巨体をさばくことを想像して、無邪気にコッツは笑った。
解体はここではなく、近くの小川でやらなければ処理が面倒になる。
艶やかな白い体が、カツンカツンと音を立てて離れていった。
ダンジョンに入る直前、その声を聞いてチュチュの背筋は震えた。
「……笑いましたわ、グリム」
「笑ったな。基本的には礼儀正しくていい奴じゃないか」
「基本的には、というところが恐ろしいですわね」
何かの拍子でということがあるかもしれない、と考えてしまうのは、彼女が人間である証拠だった。
「君を慕っているんだ。信じてやれよ」
「信じてはいますとも」
「なら問題ないではないか」
「たしかに、そうですわね」
頷いて、チュチュはもうスケルトンのコッツを恐れないことにした。
ただちょっと特殊な癖があるだけだ、と。
コッツが一体の猪を完全に捌くのに、空が暗くなるまでの時間は必要なかった。
「マスター、終わりましたよ」
全身からぽたぽた水を垂らして、コッツはダンジョンのガラス越しに声を掛ける。
白い骨に赤い跡は見られない。つやつやと綺麗なものだ。
「よくやってくれました。猪は外かしら?」
「はい。毛皮は干しますしね」
よくやってくれたとねぎらって、チュチュは自分からダンジョンのドアを開けた。
冷たい風で全身を乾かして、コッツは足を踏み入れる。
「それではコッツも中に入って温まるといいわ。冷たかったでしょう」
「ありがとうございます。けれど、スケルトンは温度の変化は感じないですよ」
にこにこ笑う雰囲気を出すが、されこうべに変化がないから表情はわかりづらい。
チュチュとかんたんに意思疎通が出来るせいか、ティレントたちはコッツを羨ましそうに見ていた。
「キスキィ嬢。猪が新鮮な内に、料理してもらったらどうだ」
「そうしましょう。コッツ、お願いできるかしら?」
「任せて下さい。枝肉は寝かせたほうがおいしいですから、今日は新鮮な内に食べたいものになりますが、いいですか?」
こつん、と胸骨を叩いて笑った雰囲気を出すと、コッツは外をちらりと見た。
「ええ。よろしくってよ」
チュチュの夕飯が、大量のもつ煮込みになったことは言うまでもない。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――一晩じっくり、もつ煮込みもございます。




