03 没落娘はモンスターサマナー
紅茶のおいしいダンジョンに紅茶がない。
なんという矛盾だろう。今しがた気づいたチュチュの白い顔に、ぶわっと汗が浮いた。
「オーマとやらで出せませんの?」
「出せるだろうが、客が来る度にいちいち作っていては消耗しすぎる」
そうなればダンジョンは運営できなくなる。増改築はおろか、維持するにもオーマが必要なのだから、消耗品すべてを出すのは現実的ではない。
彼女の願望には、どうしても人間の手が必要だった。
「それは……できませんわね」
「だろう。かといってキスキィ嬢は金を持っているか?」
フッと笑って、チュチュはあらぬ方を見た。
「持っていたら、洞窟などに来ず宿屋に泊まっていましたわ」
「それは重畳だが、八方塞がりというわけだな」
深入りせず、グリムはぱたぱたと表紙を動かした。
さらりと水のように流れる髪を触りながら、彼女はあれこれ考えていくが、実現可能なプランなのかどうかさえ不明だった。
「……なんとかなりませんの?」
「私にできるのはダンジョンのルール説明と、それを実行することだ」
突き放すように本は彼女の手を逃れた。それは冷たいというより、この程度の問題は自分で乗り越えてもらわなければ困る、とでも言いたげに。
そうされれば、意地を張らないわけにはいかないのがチュチュだ。
「打開策は、わたくしが思いつくしかないということですのね」
「キスキィ嬢。君のダンジョンで、君の願望だ」
「その責任ぐらいはとれ、と。よろしくってよ、グリム。あなたを開きます」
涙の筋を指で拭い去り、彼女は願望のためにその課題をやすやすと乗り越えることにした。
「存分に私を読むといい」
どこか声に喜びの色を混ぜながら、本はおとなしく捲られる。
端から端までというわけには行かないが、チュチュはダンジョンのルールを熟読しながら思考する。
「……モンスターの召喚。種類が書いてありますけれど、『木人族』というのはなんですの?」
「読んで字の如く、歩き回る木だな」
「それを紅茶の樹にできません?」
ダンジョンの増改築が可能なら、召喚されるモンスターもある程度は手を加えることができるだろう。そうチュチュは判断した。
実際、ページはぺらぺらと捲れてそれを肯定する。
「品種改良か。改築と同じようにモンスターを改良するのも可能だが、それで手に入るのは生の茶葉だぞ」
当然ながら、紅茶というのは加工品だ。茶葉が手に入っただけではどうにもならない。
彼女は普段から嗜んでいたとはいえ、淹れるのは母から倣ったが、それを作ることまでは習っていなかった。
「……茶葉を発酵させて紅茶にできるモンスターとかいませんの?」
「手先が器用なのなら思いつく。しかし知識はないだろう」
「試行錯誤して仕込むしかありませんのね……」
とろりとため息が出たところで、グリムが急にぱたりと閉じた。もぞもぞと動き回り、カウンターの裏へ隠れようとする。
チュチュは手を離して好きなようにさせてやり、長く横たわる板に肘を置く。
「どうしましたの?」
「気配がする。誰かがこのダンジョンを目指してやってきているようだ」
人がやってくるということは、壁に大きなガラス板が嵌っているこのダンジョンは、丸見えになる。グリムは一冊の本としてキッチンの隅に移動した。
「それは子供ではありませんの。洞窟だった時には、度胸試しのように町の子供たちがやってきていると聞きましたわ」
考えうる状況はそれぐらいのものだ。しかしグリムが警戒するからには、最大限の対応をもって当たる必要がある。
こくりと喉を鳴らして、チュチュは緊張していたことを知った。
「ならいいが……気配は二つだな。私が対応するわけにはいかないだろう。キスキィ嬢。君がうまいことやってくれると信じている」
「……よろしくってよ。わたくしのダンジョンですもの」
頷いて、彼女はキッチンの棚やらを確認し始めた。水瓶などあらゆるものが揃っている。
水も新鮮なものがたっぷりあった。透明なグラスに注いで、白い喉を潤した。
それを片付けてチュチュがダンジョン内をチェックしていると、二人組の気配は彼女にもわかった。
「見られているぞ」
「わかっていましてよ」
小声でグリムが囁くのに同じ音量で返しながら、彼女はガラス板の窓を見た。
ぽかんと口を開けて、少女と老爺が覗き込んでいる。
チュチュは両開きを開けて外へ出た。二人の顔は、ダンジョン内からそちらへ向く。
「どうかなさいました?」
「あ……えーと、ここ……洞窟、でしたよね?」
夕日の色をした髪の娘に、チュチュは小首を傾げた。
「そうだったかしら。わたくし、最近来たばかりでわかりませんの」
「あ、そうなんですか。あれぇ、おっかしいなぁ……」
娘は大首を傾げ、老爺はたっぷりとした口ひげの中で結ばれた唇を開いた。
「お主がこの建物を建てたわけではないのか?」
「わたくしが来た時には、すでに建っていましたのよ。とても素敵でしたから、使うことにしましたの」
老爺は鍛え抜かれた目で真贋を見抜こうとしたが、それは真実と捉えた。実際、彼女は嘘を言っていない。
地下から登ってきた時には建っていたし、素敵に造って使おうとしているのも事実だ。怪しんで入るが、嘘でもない。老爺はわずかに唸った。
「それで、お姉さんは……」
「ご紹介が遅れましたわね」
黒いゴシックドレスを指で摘んで、チュチュは見事に膝を曲げた。貴族として仕込まれた挨拶は、さすがに堂に入っている。
「わたくし、キスミーと申しますの」
すこしのぎこちなさもなく、優雅な挨拶に娘と老爺は息を呑まれた。彼女たちが纏う衣服は平民のものだ。こういった格式張った動作には慣れていない。
チュチュが名乗った偽名とも言えない偽名を見抜けなかったのはそのせいだろう。
「あ、あたしはミルカです! お爺ちゃんはアザム!」
「アザムと言う。この屋敷……屋敷というのか? これは住まうものか」
そう言われて首を振ると、表情は優雅さを保ちながら、頭のなかで必死に言葉を探していく。
「わたくし、紅茶を飲ませるお店を考えていましたの」
「紅茶を飲ませる?」
アザムの疑問はもっともだ。酒を飲ませる場所は平民でも気軽に行ける。
しかしお茶を買い求めるのはもともと上流階級で、わざわざ外で飲もうなどとは思わない。
「ええ。茶葉を買うのは高いでしょう?」
「そう……ですねぇ。とても平民じゃ手が出ないです」
二人は紅茶など飲んだこともないから、あいまいに苦笑するしかなかった。
「けれど、たまにはそんな贅沢が許される。そんな日があってもよろしいでしょう。茶葉は買えなくとも、おいしいお茶が飲めれば、いい日になるとは思いません?」
しかし、その言い分は飲み込める話だった。
もしお茶を飲んだなどという話があれば、仲間内ではしばらくの自慢になるだろう。
生活をすこし切り詰めてでも、話題に上ることの一つも持っていることは幸福に違いない。
「ふむ……それでここを使おうと」
「こんなところでお茶を飲めば、明日も生きようと思いましょう」
「それはそうかも知れぬ。酒を飲めないのなら、茶を飲むか」
意を得ると、アザムは深く頷いた。下戸ならば酒を飲んで気張らすこともできない。
そんな人のための場所があれば、楽しみも増えるだろう。
「それほど高く値を頂くつもりはございませんの。よろしかったら、お二方もいらっしゃって下さいな」
にこりと微笑むチュチュは、ミルカにとってくらりとくるものだった。
元より優れていた美貌は磨き抜かれ、ゴシックドレスと合わせて一国の女王にさえ見える。長いまつげはどこか憂いを帯びて、碧い瞳は染み渡るようだ。
老爺のアザムでさえ、こころを揺らすほどに見つめてしまう。
「は、はい。必ずとは言えないですけど……」
「機会があれば、来させてもらおう」
頷いて、少女と老爺はダンジョンを離れていった。その背中が見えなくなるまで、チュチュはずっとそれを見ていた。
ふぅ、とため息を吐きながらチュチュは部屋の中へ戻った。
「乗り切りましたわよ、グリム」
「うまいことやったな、キスキィ嬢。いや、キスミーか?」
「そうは呼ばないで下さいませ」
ぷくっと頬を膨らませて抗議する彼女に、本はくっくっくと笑ってページを開く。
「わかっているとも。それでは、茶の樹のトレントを喚んでしまうか?」
「そうしましょう。わたくし、癒やされたくてよ」
一人と一冊はマスタールームへもどり、モンスター召喚の準備を始めた。
グリムを開き、モンスター召喚の項目からトレントを選ぶと、チュチュは木の種類に茶樹を指定する。
「残っているオーマってどのぐらいですの?」
「蓄えは七割以上あるが、じりじり減っていくことを考えれば、あまり潤沢とは言えないな」
「そう。なら一体にしておきましょう。では喚びますわ」
召喚するトレントの数を増やそうとしたチュチュは、そのままにしておいた。空間に黒と金の光が満たされ、閃光のように炸裂すると、その中心点に気配を感じるようになる。
「ちゃのきー」
そこにいるのは、ちょこんとした背の低いトレントだった。葉っぱは柔らかそうで瑞々しく、茶葉として採るには最適だろう。
一番伸びている部分でも、チュチュのウェストのすこし上までだ。
「あら、モンスターという割に可愛らしいお姿ですのね」
「……通常、トレントは樫の木など硬くて十分に育ったものにするからな」
茶を摘むに最適な樹齢とそれに見合った生長状態なら、しかたがないだろう。しかしそれはグリムにも予想できなかった。
若木らしく柔軟性に富む茶のトレントは、とてとてと歩いてチュチュたちの側までやってきた。
「ちゃのー、ちゃのきー」
なにかを言わんとしているのは彼女にもわかるが、その言語は人間では理解できない。
もしモンスターの数を増やすのなら、その分だけ言語が増えるだろう。
いまからそれを考えて、チュチュはすこしばかりくらくらした。
「……なんて言っていまして?」
「よろしくお願いします、ご主人様、とさ」
「そう。よろしくお願いしますわ。あなたは……そう、紅茶の樹のトレントですから、ティレントと呼びましょう」
「ちゃのきー!」
しかしチュチュの言葉はトレントも理解しているようで、名前をもらった喜びで葉をゆさゆさ揺らした。
いまにも踊りかねないほどだが、どう見ても強そうではない。
「名前を気に入ったようだ。……しかし、これでは防衛には役に立たんな」
「いいんですのよ。紅茶の栽培用ですもの」
「ちゃのー?」
ティレントは無邪気に揺れると、きょろきょろと一人と一冊を見上げた。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――紅茶は自家栽培の本格派。




