02 没落娘はインテリアデザイナー
「……とは言うものの、どうすればいいんですの?」
「それについては私を見てくれればいい」
そういうとグリムは、テーブルに乗っかったままぺらぺら捲れた。開かれたページには、ダンジョンを運営するためのルールが書かれている。
いくらか癖のある字ではあったが、チュチュは問題なく読めた。
「ダンジョンは『オーマ』と呼ばれるもので動いている。これを使うことで、増改築やモンスターの召喚が可能……」
「その通り。だからダンジョンは、このオーマを増やすために奮闘しているわけだな」
テーブルに寝そべっているグリムは、器用に表紙を動かして喋った。
ぱたぱた動く本を押さえつけて、チュチュは続きを読んでいく。
「オーマを増やすためには、多くの生物をダンジョンに招き入れる必要がある……」
ルールには、ダンジョンに生物が留まることで、オーマが獲得できるとあった。生物をダンジョンに長居させるほど、多くのオーマを入手すると説明がある。
「そして生物を殺せば、もっと多くのオーマがもらえる仕組みになっている」
さらに、生命を奪うことで極めて効率的に入手できるともある。
それを実行しているのが多くのダンジョンマスターであり、欲望と野望のダンジョンだ。しかし彼女は首を振った。
「却下しますわ。わたくしのダンジョンで、そんなことは致しません」
強く否定を載せてチュチュは言い切った。一切介在の余地なく、たとえ砂糖菓子ほどに甘い囁きさえ断つものだ。
「君の願望を叶えるためだとしても?」
「わたくしの願望だから、させないのですわ」
彼女の中にあるのは、あたたかな幸せの記憶にほかならない。それを形にしようというのに他者を蹴落とすなら、願望はすぐさま瓦礫の塊となる。
あたたかい紅茶は、川底に沈んだ泥ほども価値を無くすだろう。
「ならばキスキィ嬢に従うしかありませんな」
くっくっく、と愉快そうにグリムは笑う。
やはりその声色は、チュチュの心にささくれを作る。人を嘲っているようにしか聞こえないというのは、彼女がひねくれているわけではないだろう。
「どうしても馬鹿にされている気がしますわね」
「そんなことはないとも。私はページの底からキスキィ嬢を尊敬している」
真実味の欠片もない人を食った言い方に、もはや慣れたと彼女は鼻で笑った。
短い付き合いではあっても、道化めいた言い回しはグリムの個性なのだと解らせられる。
「グリムって、嘘を吐くのが下手ですのね」
「真実を言っているつもりではあるのだが」
心外だ、という風に本はテーブルの上でぱたぱたとページを開いて抗議した。それを押さえつけて、チュチュは一つため息を吐く。
「あなた、一分の隙もないほど胡散臭くてよ」
「基本的には、キスキィ嬢の味方だと思うのだけれどね」
本を閉じた彼女は、そこに肘を乗っけて頬杖をついた。グリムは一暴れしてから脱出を諦めて、拗ねるように静かになる。
「いきなり騙してくれた上で、そう言いますの?」
「だから基本的には、だとも」
チュチュはグリムをまったく信用ならないという立場に置いた。もし彼が信用なるとしたら、悪魔とだって友情を結べるに違いない。
悪辣なパートナーに辟易しながら、彼女は肘を退けた。
「まあ、いいですわ。それより改築について教えてくださる?」
「それはこっちにも好都合だ。まずは私をご覧いただこう」
自由を取りもどしたグリムは宙に浮き、ぱらぱらとページを捲った。
肘置きにはされまいと、テーブルへ降りてくる気配がない。
仕方なくチュチュはそのまま本を読んだ。
「基本的には、選べばそれだけでよろしいのね」
本にはダンジョンをどう改築するかという選択肢が載っていた。いくつかあるが、好みでなければ自由回答として書き込む形式にもなっている。
基本的な内装はジメジメした鍾乳洞だとか、放置された墓場だとか、不快になりそうなものしかない。
また、ほとんどのインテリアは、侵入者を捕らえて亡き者とするためのものだ。
次元を歪めた永久迷路だとか、歩けば毒針が出てくる罠床だとか、その性格の悪さは枚挙に暇がない。
「では試してもらおう。どうする、地獄の底のような溶岩地帯にでもしてみせようか?」
「そんなところへ紅茶を飲みにくる人が居まして?」
そこにチュチュ好みの選択はなかった。
人を罠に嵌めるのではなく、また来たいと思わせる素敵なインテリアはただの一つも。
「よほどの物好きならば……」
「ありえませんわ! まったくあなたという本は。わたくしのタンジョンは、不思議と足を運びたくなるような、心地いい場所にするんですの」
それを聞いて、グリムは衝撃を受けたように全ページを開いた。彼の中にはなかった発想だった。
「毎日行きたくなるダンジョンか……なるほど、キスキィ嬢も考えたものだ」
「そうでしょう。わたくし、住みたい家を考えたこともございましてよ」
夢描いた場所を実際に造れるとなって、チュチュはすこしばかりダンジョンマスターを楽しみ始めていた。
対してグリムは、生物が毎日くるのなら殺さずとも、先まで見据えて多量のオーマが得られると考えていた。
一人と一冊の目的は離れていたが、辿る道は似ている。ああでもないこうでもないといじくり回して、完成図が見え始めた。
「できましたわ。これでお願いできるかしら?」
「すこし特別項目が多いが造作もない。罠仕掛けを作らない分、消費オーマは抑えられるな」
「でしたらやってくださいませ」
「任せられた。しばし待たれよ」
宙に浮いたグリムから、また妖しげに金と黒の光が放たれた。白い部屋を通り抜けて広がると、がけ崩れにも似た轟音がそこら中から聞こえてくる。
思いがけない音に、チュチュは小さく机の下に丸まった。嵐が過ぎ去るまで、決してそこから出てこなかった。
「な、なんでしたの?」
「ダンジョンが再構築される音だ。すぐ慣れるとも」
「……あまり慣れたくありませんわね」
ぽつりと彼女はつぶやく。すこしして、ぱたりと本が閉じられた。
「キスキィ嬢。君のダンジョンができたようだ。さあ、見に行こうではないか」
「それはやぶさかではありません」
机の下から出てきて、チュチュは宙にいるグリムを捕まえた。いつの間にか、部屋にはドアができている。
チュチュはこの部屋に来てから、はじめて浮かれた気分になった。夢の第一歩がドアの向こうにある。
艶のある黒い革靴を高らかに響かせて、彼女は白い部屋を抜け出した。
「……あら、そういえば地下に設定しましたわね」
「万が一にも、私を壊されてはダンジョンが崩れてしまうからな」
そこにあるのは上へ続く通路と階段だった。
地上に彼女が夢見たダンジョンがあり、地下にスタッフルーム、さらにその下がこの白い部屋である。
「楽しみは待ち遠しいほうが喜びが増しますもの」
チュチュは顔を赤く染めて、軽やかに階段を昇っていく。スタッフルームを抜けて、今度こそ彼女は夢の一歩目を目にした。
「…………!」
言葉が出ないとはこのことだと、彼女はその瞬間に理解した。
空間は白を基調とした清潔なものだ。床は磨き抜かれて艶の出た深い色の木材が張られている。
大きく取られた窓には透明度の高いガラス板が嵌っていて、いくつもの壁のくぼみには、キャンドルと摘んだばかりの瑞々しい花が飾ってあった。
手前には四人掛けのテーブルが四卓があり、奥には横に長い一人席と、すっきり整理された立派なキッチンが設置されている。
埃一つない清潔な部屋は日光が行き届き、やわらかな花の香りに包まれている。
「なかなかセンスがあるじゃないか、キスキィ嬢は」
平常なら嫌味にも聞こえそうなグリムの言葉も、いまのチュチュには素直に受け入れられた。
「ええ。わたくしの思い描いていた場所ですわ」
そこはキスキィ邸と瓜二つというわけではない。彼女らしい願望に溢れる理想の空間だから、似通っている部分はあっても別物だ。
しかし、そこに流れる空気の源流は、やはり家族のあたたかい記憶から来ている。
ひさしぶりにその匂いを嗅いだような気がして、碧い瞳から大粒の涙が溢れた。
「泣いているところ悪いが、キスキィ嬢」
「……なんですの?」
「場所を作ったはいいが、君はどこから紅茶を仕入れるつもりだ?」
「……ふぇ?」
彼女の涙は引っ込んだ。
ここは紅茶のおいしいダンジョン――紅茶はまだない。




