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過去の罪――ならばこれは、罰なのか?

 和樹と杏華が二人並んで竜胆家に続く山道に入り込んですぐに、和樹は杏華の腕を取って、道の外れへと連れ込んだ。木々が空気が黒く色づけいているように、もともと少ない光が更に失われる。

 文明の利器の入り込んでいない自然と言うのは、文明の利器に頼りきりの人間にとっては真っ暗と言うべき淡い星明りしかない。その星明りも最近は分厚い幕に覆われて更に届きにくくなっているが、それは蛇足以外の何物でもない。もっと自然を頼って生きよう。


「ひゃわっ! えっ?」


 真剣な顔で木に押し付けられた杏華を見つめる和樹。その表情に遊びはない。暗くて殆ど輪郭しかわからないが、それでも雰囲気だけでその真剣さは伝わってくる。

 杏華はドキドキを通り越して、バクバクと身を食べるように動き回る心臓に心が呑まれつつ、強引な和樹の腕から抗うことはしない。

 紅潮した頬で全てを受け入れようとさえしている杏華の正面で、和樹は頬を強張って杏華の背中の木――さらにその奥を睨んでいた。

「……?」

 流石に異変に気付いたらしい。杏華が不思議そうに和樹のことを見上げ、不安から和樹の胸板に手を添える。和樹はそんな杏華を少しだけ抱き留めると、すぐに力を緩めた。安心させようとしたんだろう。


 力を緩めて少しだけ距離を空ける。互いの熱は感じないが、息遣いは聞こえてきそうな、そんな距離だ。

 その距離を維持しつつ、和樹はコートの袖からナイフを取り出して、そっと構えて呼びかけた。

「そこに居るのは分かってる。出て来いよ!」

 びくっと杏華の肩が揺れる。先ほどまで、命がいくつも失われた場所に居た影響か。また、さっきと同じような命の駆け引き――と言うよりも、奪い合いと言った方が正しい――が起こることは、正直避けたい。しかし、和樹の直感はその希望が叶わないであろうことを確信していた。

 なおも無音で変化のない風景に向かって、和樹は確信している相手の名前を響かせる。


「……なぁ、響?」


 一か所、不自然に動いた微かな音の発生源辺りに向かって持っていたナイフを投げつける。

 ナイフは発生源を素通りして、山道――明かりがある方――に近い木の一本にと刺さって、運動エネルギーを失った。

「っ」

 和樹の言葉に杏華の肩が怯えたように震えた。仕方がないか。恐らく、杏華が原因なのだ。


 杏華が何も悪くないとしても、それは多分、杏華の罪なのだから。


 和樹の言葉に驚き、そして飛んできたナイフに急き立てられるように、一つの筋肉質な男の影が姿を現した。

「ぎひ……よう。久しぶりだな。上玉の嬢ちゃんに、謎の助っ人野郎。――いや。竜胆杏華に、岡崎組の次期組長糞野郎、と呼ぶべきかぁ?」

「次期……組、長?」

 裏業界ではまことしやかに囁かれている噂を持ち出されて、和樹の眉が顰められる。


「そりゃ、お前らが勝手に言ってることだ。親父はそんなつもりねえよ」

「ぎひひっ……ケンソンすんなよ」


 謙遜ではなく、本当にそうなのだが。むしろ、和樹がまっとうな道に進むように常々言ってくるのだが。

 心底うんざりしたまま響の様子を眺めると、やはり予想の通りに鈍色の物体をこちらに付きつけていた。

「……杏華。すぐに戻ってくるから、木の陰に隠れてろ」

「分かったわ」

 一抹の不安は夜風にすぐに攫われる。そもそも、不安など抱いたところでどうしようもないし、それに和樹ならば大丈夫と言う確信もある。根拠など、何の役にも立たない確信かも知れないが。

 小さく微笑みかけると、すぐにその影は消えた。熱もなくなったが、残った温もりだけで十分安心できる。

「ぎひひっ!」

「死ね」

 暴力的な発砲音と、残酷な宣告が重なっては、互いを呑み込み合って消えた。放られたナイフは響の腕を掠めて、放たれた弾丸は和樹の居た場所を通過した。


 無傷と切傷。彼我の抱えた傷の差は、有と無。しかし、響の嗤いは崩れない。


「ぎひひっ。痛くねえ痛くねえ」

「やせ我慢を……っ」

 和樹は構わず二本目を放るが、避けることだけに集中した響には当たらない。長期戦になることを嫌った和樹は嘲るように言う。

「……はっ。こんな町中で銃を撃ってちゃ、警察が来るのも時間の問題だぞ」

「ぎひひっ! それで脅しているつもりかよぉ? それよりも……近くにいる人間が見に来なきゃあ良いけどなぁ?」


「……っ」

 響が一般人のことを気にも留めていないのは、杏華を襲ったことからも明白だ。何とでもなる、と暴力的に考えているのだろう。和樹は演技ではなく本心から、侮蔑するように叫び声を上げる。

「もう狩野組は潰れたぞっ! お前の暴走をフォローしてくれる組織はもうないっ!」

「組織ならあるぜぇ! てめえの首を持って行きゃ、大抵のとこは歓迎してくれんだろ」

 ――なにせ、名前を売れるのだから。


 和樹は広がりすぎた自分の悪名に舌打ちしたい気分だった。いっそのこと、幽霊にでもなって、祟りでも起こしてやりたい気分だ。

「ちっ」

 一気に決着を着けるために、和樹は更に取り出したナイフを投げつつ、間合いを詰める。


 山道だろうと全くバランスを崩さずに、盛り上がった木の根や晒された岩肌を踏み台に走る。むしろ山の特性を生かしたかのような速さだ。

 ぎひひと、下卑て嗤う響の顔を睨む。その視線は、何故か和樹ではなく、和樹が最初に出てきた木の陰に向いているようで――

「っ。まさかっ!」

 悪寒が背筋を走り抜けるのと、足の向きが強引に切り替わったのは同時だった。

 時を同じくして、杏華が身を隠す木陰の近くで大きな揺れが生じた。和樹が気付いたことに、気付いたのだ。隠密で近付いていた影は、身を隠すことを止めた獣のように大きく跳ね、杏華に迫る。


「杏華ぁっ!」


「えっ?」

 腕の先で、影が重なった。それと同時に、暴虐を振るう小さな玉を打ち出す音が、山に響き渡る。

 真っ直ぐいかなければ間違いなく間に合わない和樹は、自分に銃口が向けられているのを肌で感じていても、自分の進路が完全に読まれていることに絶望を感じても、それでも真っ直ぐに走るしかなかった。

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