二人で――
自分で自分を馬鹿だと思う。
馬鹿でなければ阿呆だ。
底辺の中を歩き回っているくせに、底辺の底辺に落ちていくこともせず、自分の上で――底辺以上で――のんびりしている人間に怒りも向けられず、ただ落ちていく人たちを支え続けていきたい――引き揚げ続けていきたいと、夢見がちなことを思っているのだから。
「――かはっ」
指先ほどの弾丸が、鉄バットよりも大きな衝撃を生み出し、暗がりの森の中に弾き飛ばされるかと感じた。
「――っつぅ」
腕も腕で、赤く染まっている。どろりとした液体が手の甲を伝い、二の腕まで侵略していた。
……ぁー。また洗濯しなきゃなぁ。と、遠退きかけた意識が思考を放棄し、どうでも良い事が浮かび上がる。その思考は光のように現れては消えた。流れ星みたいだ。
だが、幸いなことに一瞬で、どうでも良い思考は流されて、暗がりが和樹を包む。現実に引き戻された視界が弾けた思考を繋ぎ合わせ、集め直して、元に戻そうと頑張っている。
「――――っ。――っ」
そこにまた一つ、小さな光が生まれる。今度の光は、思考が弾けた時の副産物ではなく、誰かの声らしきものによって生まれた光だ。それは弾けた思考を外から包み込んで、再び一つに集めようとしているようだった。
「――和樹さんっ!」
「……ぅ」
吐き気がした。それも、だいぶひどい奴。お腹の中でルーレットでも回しているんじゃないかと疑いたくなるような、安定しない胃に頭までもが痛くなる。
「っ。うぇ……」
唾もない何かを嚥下して、吐き気を飲み下し、少し呻いてようやく調子が少し戻った。所持金を調子と見立てて例えたのなら――財布の中身をぶちまけて、小銭を何枚か拾った程度のものだけど。
だが、それでも側に居た誰かにとってはよほど嬉しい事だったらしい。感極まったように、和樹の首に跳び付いた。
「っ! 良かった! 和樹さん……っ!」
「んぁ……? きょう……か?」
不思議そうにその頭を撫でつけると、そこでようやく事態を把握する。
山道から身を隠すように座ったままの自分と、寄り添うように抱き着く杏華。服は泥だらけで、和樹に至っては右手の甲が貫かれている。ご丁寧に、ナイフまでおまけつきだ。本来なら、それを杏華に突きつけて人質にするつもりだったのだろう。
「っ! やつらはっ?」
「しっ! 声を荒げないで、和樹さん!」
「ぁ。……あぁ」
和樹は無傷な左手でウエストポーチの中から包帯を取り出し、口にくわえて、右手のナイフを一思いに抜き取った。
「~~っ」
貫かれた時以上の痛みが喉をせりあがるが、零れる声は気休めの包帯が吸収してくれる。舌も無事にかまずに済んだ。
そのまま唾液に濡れた包帯を巻き終えると、括る時間も惜しく、握っただけで済ませた。
「っ。……で、状況はっ? あいつらはどうなった?」
まだ痛みは引き切らないが、本来ならばこんな余裕もなかっただろう。特に、本命を担った響の部下が無事ならば、絶体絶命だ。生半可な隠密ならば、和樹は戦闘中であろうと、いかに殺気を隠していようと察知できる自信があった。それが出来なかったのだ。
思えば、彼については初めから常に落ち着いた反応を見せ、磨き上げられた気配を持っていた――だが、和樹の焦燥は杞憂に終わった。
「わたしが蹴っておいたわ。今は気絶している」
「は? お前が……勝った、のか?」
信じられない、と驚愕する和樹に対して、杏華は目をぱちくりとさせ、和樹を見つめた。覚えていないの? と言う表情だ。
「和樹さんがナイフで貫かれたとき、わたしを襲った人の手首を掴んで、飛ばされる勢いのままに引っ張って捻じったの。それで倒れて身動きを封じられていたから、私が鳩尾を蹴り上げたの」
「…………」
信じられない、と言う表情で驚くも、そんなことの真偽などそれこそ大自然の肥やしにでもなれば良いと、すぐに思考を戻す。
「っ……じゃあ、後はあの男だな」
「それより……ねぇ。お腹、大丈夫? 銃で撃たれたんじゃないの?」
「……あぁ」
和樹は裾をまくりあげ、打たれた横腹を見せた。そこは鬱血して大きな痣となってはいたが、血は見えない。疑問に思う杏華に、和樹はコートを揺らして種を明かす。
「これ、一応防弾、防刃仕様なんだよ」
ついでに脇に抱えた刃渡り十センチの、割と頑丈なナイフをとっさに盾にして、威力を弱めたのだ。当たる確率は良くて七対三で、当たるとは思わなかったが。
杏華が感心したように、また愛おしそうに古ぼけたコートを撫でたが、すぐに視線を和樹に戻した。まるで夜空に皓々と輝く月のように、真っ直ぐで優しい面持ちをしている。
「で、和樹さん。わたし、どうしたらいい?」
「……じゃあ、逃げ――」
「――たくはないわ」
…………。しばし無言で見つめ合う。先ほどまでは気にならなかった風や、木の葉の掠れる音が、急に存在感を示してきた。
無言の応酬に、先に折れたのは和樹の方だった。はぁ、と溜息を吐き、頭を掻いた。
「……ったく。分かったよ」
強情だなぁ……と、いつかの自分を思い浮かべながら、また溜息を吐く。
「その代り、このコートは、お前が着ろ」
「えっ? でもこれ……」
「できねーなら、話はなしだ」
杏華は既に、狩野組攻略作戦前に与えられた防弾衣服を身にまとっている。その上、コートまで着ろと言うのだ。しかも、それをすれば和樹はほぼ無防備になってしまうのだ。
悩んだのは一瞬。決めたのは、和樹の目の真っ直ぐさを見てだった。
「……わかったわ」
よし、と頷くと、ナイフを三本取り外し、コートを杏華にかぶせた。先ほどまで和樹が来ていた温かなコートに包まれて、ひとしおの安心感が杏華を包む。その安心感の中、和樹の言葉が耳朶を討つ。
「それで、お前にやってもらいたいのは囮役だ。響は今、こっちを観察しながら山道を下っている。お前はこの山の中を、木の合間を縫うようにして走って貰いたい。注意すべきは――――――だ。……分かったか?」
様々な指示を、端的に受け取る。そのすべてを受け入れこくりと頷いた杏華の背を、和樹は優しく押し出して、笑いかける。
「……すまんな。本来なら無理やりにでも一人でやるべきなんだが、今の状態じゃ、少し難しい。……お前のこと、頼らせてもらうぜ」
「ええ!」
何かが和樹の体から、腕を伝って注がれたような気がしたが、それは気の所為なのだろう。
ただ、臆病風に吹かれない程度の勇気と安心感は、このコートと和樹の見せた信頼、そしてその手の感触によって与えられたのだろう。
「かぁー……やっぱ、良い女だなぁ。――――っ!」
声が届かないほど離れた、まるで本当にお月様を眺めるみたいに目を細めたくなるその後ろ姿に、和樹はそう嬉しそうにつぶやいた。
その最後に付け加えられた悪態は、誰にも――自分にすら――届かず影の奥へと消えていった。




