杏華の友達とのひととき
昼休み、物見客の賑わう教室で杏華は肩身を狭くしながら悄然と弁当をつついていた。
向かいには眼鏡美人の友人の透子が座っているが、分厚いメガネのレンズの奥の瞳は今にも笑い出しそうなほど輝いている。
「いっやぁー。きょーかのこんな照れた顔が見られるなんて、感無量だわね!」
「うぅー……なんでわたしがこんな目にぃ!」
わいわいがやがや。
教室の廊下側の窓を下りと見立てると、まるで動物園のパンダ状態だ。
自分が恋をすると言うことがそんなに珍しいのだろうか?
――自問して、珍しいのだろうなぁ、と納得する。
「って! ちがうちがう! そもそも恋なんてしていないわよっ!」
「そう思ってるのはきょーかだけよぉ?」
それほど杏華の今の反応は、情報の根拠としては揺るぎがないものだ。
向かいに座る中学時代からの対等な友人は、にやりにやりと意地の悪い笑みを浮かべている。
「わたしだけって……とーこはどうなのよ?」
「だぁかぁら、否定しているのはきょーかだけなのよ」
「うぅ……うらぎりものぉー」
つまりは透子も噂を事実と決めているらしい。
燐の妄念的な信仰の含まれる関係とは違って、透子とは全くの対等な関係だ。
その透子が言うからには、完全な客観的視点――それも、杏華をよく知るもの――から見ると、今の杏華は恋する乙女に映るらしい。
「はぁー……まさか、きょーかに想い人が出来るとはねえ。学校一の美男子にも、秀才君にも、更には恋する剣道少年にも靡かなかった、あのきょーかがねえ」
しみじみと呟く透子に、思わず尋ねてしまう。
「……わたしって、そんなに恋しなさそうに見えてたの?」
つついていた弁当のオムライスから注意を逸らして、透子は目をぱちくりとさせ、持っていたスプーンをくるんと回して深く頷いた。
「そりゃもう! きょーかを落とすには剣道で勝つしかない、少なくとも頑張るしかないっていう条件フラグの存在は確定視されていたけど、きょーかってば強いし、落とせる男まず居ないだろうって話だったのよ?」
ずいぶんと曖昧な確定視だ。そんな理解不能なジンクスがあったとは。
フラグと言う良く分からない言葉を無視して、掘り返した思い出の中にある幾つもの試合の真相に辿り着き、思わず額を抑えてしまう。
「……だからたまに、他校の男子からも挑戦があったの?」
――実際は練習の邪魔になるからと、休日に道場の方で試合をしたのだが、十数回あったそれら個人的な交流試合にも杏華はすべて勝っていた。
「そそ」
事も無げに頷く透子に、杏華は思わず頭を抱えたくなった。
一体自分はなんだと思われているのか。
「一体わたしはどう思われているの?」
というか、声に出た。仕方あるまい。
透子はふっと笑い、創作物を彷彿とさせる渋い悪役のような声で台詞を紡ぐ。
「『アイアンウォール、鉄壁の名は伊達じゃない』って言われてたわね」
「…………」
こともなくそう言われて、思わず笑い出しそうになる。
人間、呆れによる苦笑いも、度を過ぎれば純粋な笑いになるのではないだろうか。
「あはは……」
我知らず、乾いた笑い声が漏れる杏華に、流石にやりすぎたかと透子は肩を竦める。
杏華は仕草に付随して「しょうがないわよ、諦めなさい」――と聞こえた気がした。
「ところで、実際はどうなの?」
「へっ? ……えぇと、なんというか、恋愛なんて体験したことないし、あいつが好きかどうかなんてわたしにはわかりようがないと言うか……」
「ははぁ……」
透子は納得顔で、ふんわりと微笑むとぽつりと呟いた。
「違うと思っている人、居ないのかもね」
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げる杏華は、一泊遅れて透子の言葉の意味を理解して――
「~~っ!」
――茹でられたエビのように、かぁっと顔を赤くした。
本当に、きょーこのこんな顔を正面から見られるなんて、役得だわねぇ――と思いながら、未だ見ぬ杏華の想い人は、もしかすると将来もっと、杏華のいろんな面を見るのだろうなぁ――と考え、楽しくなった。
――願わくば、彼女の相手が良き相手でありますように。
赤くなる杏華に気付かれないように、母性の笑みを浮かべてそんなことを思うのだった。




