ゴシップ「学園の才媛に男の影がっ!?」
杏華先輩、と着替え途中で声がする。半ば予想していた相手なだけに、驚きはない。
ふぅ、吐息を吐いてロッカーを閉じると、背後から掛けられた声に振り向いた。
「なぁに、燐?」
「なぁに、じゃないですよー! どうしたんですか? いつもならあたしなんかじゃ、一本取るなんて夢物語なのに……」
夢物語は言い過ぎじゃないかな、と杏華は苦笑しながら、頭一つ分下にある迫りくる剣道部次期主将の肩を抱いた。
「……杏華先輩?」
「何でもないわよ。ただ、連戦で疲れていたのと、久しぶりだったから勘が鈍っていただけ。……それに、燐の腕も上がっていたしね」
「え、あ……ありがとうございます!」
杏華は小さく微笑んで、燐の頭を撫でた。
燐は感無量の表情で陶然と杏華に体を預けている。
「ですが――」
だが、このまますんなりといくほど燐と言う少女は杏華とは浅い付き合いではなかった。半ば一方的にではあるが、学生間を超越するほどの圧倒的――絶対的な尊敬の念を持つ燐は、杏華の中にある違和感を見出さないはずがなかった。
燐は杏華の天使の抱擁を泣く泣くの思いで抜け出し、真下から杏華を見上げた。
「――杏華先輩、何か考え事があったんじゃないですか?」
「えっ?」
思わぬ指摘に大きく目を開く杏華は、更衣室内に残る誰の目から見ても驚くべき姿だ。
熱心ながらもクールを保つ、竜胆杏華として学内に名前を知られる杏華が肩を震わせるほど驚く姿……と言うのを見たことがある学生――特に下級生――は少ない。
燐も、今までに見た経験は何度とないだろう。
そのうち一回は、燐が初めて杏華と一緒にご飯を食べる為に上級生のクラスに怯まず突貫してきた時のものだと言うのは、苦笑すべき話だろう。
燐は好奇心旺盛な子供のように、熱烈な視線で杏華を射竦めた。
「杏華先輩っ! 何か心配事があるのでしたら、力不足ですが是非ともあたしに相談くださいっ!」
「え、いや……えーと……」
狼狽する杏華に、燐はハッと我に返り、コホンと恥ずかしそうに咳払いを一つ。
杏華はどこの漫画の真似よ? と突っ込みたくなったが、勢いに呑まれていたからか突っ込めない。
「あぁ……杏華先輩があたしを頼って下さるなんて、なんて幸運! 先輩が思い悩むくらいだから、大きな事案なのでしょうけど、けれどあたしは負けませんっ! きっと杏華先輩の力になって見せます! そもそも悩みとはなんなのでしょう? 時期が時期ですから進学先とか? けど、杏華先輩は推薦で決まっているから……あぁ! なるほど、一般を使ってもっと良いところを狙うべきか――」
「はいストップ! 燐、ストップよ!」
えー、なんですかー? とでも言いそうなきょとんとした燐の表情に、溜息を洩らしそうになる。
「はぁ……燐。気持ちは嬉しいけれど、わたしの抱える問題は、わたしが自分で解決するべきものだから、気持ちだけで結構よ」
生憎と、年下の下級生に相談できるような軽い話題ではない。
少し前に経験した記憶は、悩みは、胸中に埋もれて消えて行ってほしい代物だ。
「むぅ……あれ? でも、今日部活に出てきたと言うことは、もう悩み事は解決した後ですか?」
「え、ええ……そう、ね」
正確には、悩み事――復讐の件――に一段落ついた事と、おなかの怪我が完治したことが理由なのだが。
さて、どこまで話すべきかと悩んでいると、再び燐が口を開く。
「あれ? ですが、それだと今日の考え事っていったいなんです?」
「あのねぇ……わたしは別に考え事なんか」
「うーむ……謎です。先輩に限って、男の人との話なんてない筈ですし」
ぶっ! と思わず乙女らしからぬ勢いで吹き出し、ごほっごほっ! と咳き込んだ。
普段のクールな竜胆杏華を知る者にとって、その反応はあまりにも致命的だった。
燐のみならず、周囲に未だ残っていた他の女子部員も、目を見開いてまじまじと杏華を見つめている。
「……え? 竜胆先輩、好きな人が、出来たん、ですか……?」
「っ! けほっけほっ! 何言ってるの! そんなはず――……ない、わよ?」
強く言いきれない。
それは、自分が今まで恋愛と言うものを体験したことが無かったからだ。
今抱えている、和樹への想いがどんな感情に属するのか分類しきれていないせいだ。
「ええっ! 本当に男の人関連なんですかっ!」
燐を筆頭に、様々な反応があちらこちらで起こる。
ただ驚愕するもの。わぁっ! と盛り上がるもの。どことなくどんよりとした空気を放つもの。室内だけで大掛かりなコンサートをしたような喧騒に包まれた。
「ちっ、違うのよ? 本当に! ただ、ちょっと……いえ、かなり、助けて貰っただけで。あと、今家に住み込んでるってだけで。恋愛とか、そういうのとはまた違う……と思うわ」
杏華は何とかなだめようと、必死で言い繕うが、焼け石に水である。むしろ、余計な情報を垂れ流してしまっているので、完全に墓穴を掘って、火に油を注いでいる。
しかも、当の本人の顔が我知らず赤くなっているのでなおさらである。
『竜胆杏華に想い人が出来た。そしてその相手は今、一緒に暮らしている(同棲してる)』
と言う噂は昼休みには全校生徒に知られる羽目となった。




