この世界の内情
インの東部一帯の中心都市であるキョショウは、人口10万人を超える巨大な都市である。さらに、南北を抜ける街道とも交差しており、いわゆる交通の要衝であった。
全国各地からこのキョショウに様々な物資が運び込まれ、取引され、そして、また全国に散らばっていくのであった。もちろん、首都カンタンにも多くの物資が輸送されており、まさに商いの都というに相応しい賑わいを見せていた。
ロセイたちは、キョショウに着くと、まずはアンマの知り合いの薬卸問屋を訪ね、しばらくの間そこに逗留させてもらうこととした。幸い、この店は全国を行脚する薬売りが出たり入ったりするので、寝泊まりする部屋だけはたくさんあるので、好きなだけ泊っていけとこちらが恐縮するような歓待ぶりであった。
ただ、これは薬問屋がアンマを大切にしていることも関係しているようで、事実、他の逗留者に対するよりも明らかに待遇が異なり、上等の部屋があてがわれ、食事も膳付きの豪華な食事が提供された。
「さあ、食事の準備もできたし、早速、飲もうぜ。まずは、なんとか無事にキョショウに到着、乾杯だ!」
荷をほどき、膳の前に座ると、アンマが待ちきれないとばかりに、杯を合わせてきた。
ショーフェンまで飲もうとするので、思わず止めようとすると、
「家では飲まないけど、市場ではたまに飲ませてもらっているから大丈夫だって。他の人より強いみたいよ」と、一気に杯を干してしまった。
「まったく、お前たちときたら、酒を飲みに来たんじゃないんだぞ」
「そんなこと言ったって、昨日、あんな怖い目にあったんだよ。もう、飲まなきゃやってられないよ!」
「確かに、昨日は恐ろしかった……」
ハンセイもそう言うと、酒を一気に飲み干した。
「なんだ、紅天会のカイサク相手に、よくあんなことが言えるなって、おりゃ、びくびくもんだったのに、やっぱり、お前たちも怖かったってわけか」
「そんなの決まっているじゃない。ここで死んじゃうかもって思っちゃったよ」
「そんなに怖かったのに、よく、あんなに堂々と言えたもんだ」
「あの時は夢中で……それに、もし私たちが黙ったままだったら、絶対ロセイ、斬られてたよ!」
「確かに、あのカイサク、凄い、怒ってたもんな」
「ロセイ、なんであんな怒らすようなこと言ったのよ、あやうく殺されるところだったんだよ!」
ショーフェンは酒を飲んで、ようやく旅の緊張から解きほぐれてきたのか、腹に溜まってたものを吐き出すように、俺に噛みついてきた。
「悪かった。確かに、今思うと、あまりに向こう見ずな言い方だった。俺がいた国では、いくら暴言を吐いても、いきなり殺されるなんてことはなかったから、つい、口が滑ってしまったが、今後は気を付けるよ。本当に、悪かった」
俺はそう言うと、みんなに頭を下げた。
「そんなに謝られちゃ、これ以上、文句が言えないじゃない」
ふくれっ面しながら、ショーフェンがまた杯を干した。
「ロセイよ、分かればいいが、あの紅天会ってのは、本当にやばい連中だから気をつけろよ。特にあのカイサクってのは、泣く子も黙る歳殺天のカイサクって、北にいる奴にとっちゃ、その名を聞いただけで震えあがる悪党だそうだからな」
「アンマ、俺はまだこの国のことをよく知らんから聞くが、一体、このインは今、どうなってるんだ。役人は働きもせず、太守はあんな始末、それで、その紅天会って連中が国中を荒らしまわっている。いったい、中央政府は何をしているんだ」
「さあ、そこが肝心なところよ。だが、誰が聞いてるかわかりゃしねえ。みんな、こっちへ寄れ」
アンマはそう言うと、頭を突き出し、ひそひそ声で話し始めた。
「まず、このインって国だが、最初の王が国を開いてから、もう100年になる。最初の王は、西の山岳地帯を支配していた豪族に過ぎなかったが、どんどん戦に勝って領土を広げ、初めてこの中華を統一して、インって国を作ったんだ。だが、いくら親が優秀だって、子どもまで優秀だなんて滅多にあるこっっちゃねえ。二代、三代と続くうちに、やりたい放題、好き放題、民なんぞしったこっちゃねえって、政治が乱れてきた。まあ、それでも側近たちが支えているうちは良かったんだが、それも段々と、程度が悪くなってきた。そんでもって、いよいよここからが本番だが、三代目の王が亡くなり、四代目の王が即位したが、こいつが今の王様で、キョウというが、実は生まれつきの痴愚ってやつでな、読み書きどころか、自分で用も足せねえまだ8歳のガキに過ぎねえ。なんで、そんな奴を王様にしたんだって顔をしているが、そこが政治の恐いところよ。今、朝廷を牛耳ってるのが、チョウワイって奴でな、実は、このチョウワイって奴は三代目の王の后、つまり、キョウの母親の兄貴ってわけだ。妹が先王の后になった頃から成り上がってきたんだが、先王も、后にはさっぱり頭があがらねえ情けねえやつなもんだから、ますます図に乗ってきたってわけだ。そんで、先王がおっ死ぬと、自分の妹の子どもを擁立して、権力を牛耳っちまったってことよ。そりゃ資質がどうとか言う声もあったが、なんと言っても、皇后の子であることは間違いがない。正嫡を立てるのが筋だと言われれば、誰も何も言えねえ。結局、そんな理由で、王様になっちまったんだが、当然、他にも優秀な子供はたくさんいる。有能な家臣や武将たちがそいつらを擁立して、乱を起こされでもしたら大変だ。それで、キョウが王になって一年目の日にな……」
そこまで言うと、アンマはさらに声を落とした。
「親王たちや家臣、地方の太守たち招いて大宴会を開いたんだとよ。行きたくない奴もたくさんいたろうが、まさか、王の即位一周年の式典に顔を出さないわけにはいかない。いかなきゃ、あらぬ疑いを受ける。そんなわけで、案内状がいったものたちは、しぶしぶ参加することになった。それで、ひととおり儀式が終わり、酒宴が始まると、ようやく不安も和らいだのか、客たちも酒を飲みながら、歓談し始めた。まあ、その場の一番高い席には、キョウがいるし、その隣には母親もいるので、まさかこんなところで物騒なことはあるまいとたかをくくっていたんだろうな。そうして、そのうち演舞が始まった。最初は女官どもが艶っぽい踊りを踊って盛り上げると、次に顔に化粧をした道化たちが出てきた。その道化たちがおかしな仕草で剣舞を始めたものだから、客たちも腹を抱えて笑いころげてしまった。その時だ。銅鑼が一つ鳴ったと思ったら、そこから殺戮が始まった。実は道化たちは、チョウワイの手下どもだった。客は、もはや油断しきって、酔っぱらったものたちだらけだ。結局、なす術なく、全員殺されちまったらしい。しかもな、なんでも、その地獄絵図みてえな様を、キョウは高い席からキャッキャと手を叩いて、見ていたらしい……まあ、ほんとかどうか知らねえが、その日を境に、有力者たちがごっそりいなくなったのは事実だ。俺はこの話を都の商人から聞いたが、まあ、本当のことだろうさ」
あまりに恐ろしい話に、ショーフェンもハンサイも震えていた。俺とても、こんな話を聞かされては、言葉の一つも出てこず、手に持ったままの杯を一気に喉に流し込んだ。アンマも自分で話していながら、喉がひりついたのか、酒をごくりと流し込み、再び、話し始めた。
「まあ、これで、チョウワイに歯向かおうなんて思う奴は誰もいなくなった。なんたって、チョーワイの後ろにはキョウがいる、チョウワイに歯向かうってことは、王に歯向かうってことだ。だから、みんなチョウワイに媚びへつらい、賄賂が横行し、誰もまともに政務をみようなんて思うものはいなくなったのさ。それが去年の4月のことだ。ブジンの野郎も、おそらくチョウワイに賄賂を渡して、トンキンの太守にしてもらったんだろうぜ」
「なるほどな、だから、役人たちもやる気がないのか。まあ、上がそんな様じゃ、真面目にやるのも馬鹿くさくなるだろうしな。だが、アンマよ。中央の事情はよく分かったがが、今国中を荒らしまわってる紅天会とは何者だ」
「こっちの方は今一つわからねえが、大殺戮があったちょうどその頃から、北の方で名前が知れだした馬賊の集団で、ジャンジエという男が首領らしいが、こいつ、何でも不思議な術を使うとかで、戦えば常に勝つとかで、どんどん人が増えていき、今じゃ、天公将軍と呼ばれて、全国に部下を送り込んでいるらしい。昨日会った、カイサクというのも、ジェンジエの配下で、戦になれば誰よりも殺す男として知られ、今じゃ歳殺天などと呼ばれている恐ろしい男だ」
「歳殺天のカイサクか……」
俺は、昨日会った男を思い浮かべた。
殺伐とした男で、異名の如く、殺すことなどなんとも思わぬ男であったが、あいつが言った言葉が妙に気になった。
『価値あるものを生み出そうとするときには血でもって贖わなければならない。新しい価値を示す文字は、血でもって書かれなければならない。なぜなら、我々は想像を絶する苦しみを経て獲得したものでなければ、その価値の尊さを真に認識できないからだ』
ジェンジエと名乗る紅天会の首領、天公将軍が常々語る言葉だと言っていた。
恐ろしい言葉だが、何か惹かれるものもあった。
かつての世界で、確かに自分も似たような思いを感じていたことがあった気がする。
だが、その想いを頭から振り払った。
今は、この世界のことをもっと知らねばならない。
自分が思っていた以上に、この世界は、混乱の世であるらしい。
だが、それこそ、まさに自分が望んだ世界であるのかもしれない。
群雄が割拠し、覇を争う乱世で、自分の才覚のみを頼りに、名を刻みたいと思っていた。
何かの力によって、俺はこの世界に蘇った。
それがどういう理由なのかは分からない。
だが、そんなことは生きることに理由を探すのと同じことだろう。
どんな世界であれ、自分が生きているならば、その世界で、思う存分、力を奮うまで。
俺は、この世界に来て、初めて、心が奮い立つのを感じた。




