紅天会
稲刈りも終わり、冬の到来を感じさせる冷ややかな風が、黄色い大地を駆け抜けた。
広大な国土を持つ、このインという国においては、その地勢は、所によって様々で、北部は冷涼とした荒野が果てしなく続いており、南部は気温が高い上に湿度が高く、鬱蒼とした雨林が広がっていた。西部は巨大な山脈が聳える高山地帯であり、トンキンがある東部は、西の山脈を源流とする大河の流域にそって肥沃な土壌が広がっているが、それでも流域を少し離れれば、乾いた大地が延々と広がっていた。
ロセイ率いる先発隊は、塩を販売するための事前調査のため、東部地方の中心地であるキョショウに向かっていた。同行するのは、牛使いのハンセイ、情報収集に長けたアンマ、そして、売り子役として任命されたショーフェンがいた。
サンガクの提案で売り子は公募することとなったのだが、真っ先に応募してきたのがショーフェンだった。他にも応募者はいたが、結局、ショーフェンが選ばれたのは、売り子としての経験というよりも、何よりも、生まれ持った天性の明るさと、誰からも好かれる人柄の良さにあった。ロセイは、トングやヤオの心情を想い、まだ若すぎると反対したが、ショーフェンが、年を開ければもう17歳になる、一緒に行くハンセイとはたった一つ違いなのに、年が若いからという理由でダメだというのは納得できないとロセイに詰め寄り、アンマが、売り子は若くて可愛い女が良い、だからショーフェンが適任だと言い出すと、サンガクまで、そのとおりだと同調する始末で、最終的には、トングとヤオが承諾しているのならということになったのだが、トングに話を聞きに行くと、トングからもなんとか連れて行って欲しい、娘はきっと役に立つからと懇願され、ロセイも断る理由がなくなってしまい、売り子として決定してしまったのだった。
「しかし、ショーフェン、まさかお前が応募するとは思わなかったが、考えてみればお前は適任だよ。なんたって、お前が野菜を売ると、いつも、あっという間に完売しちまうからな」
先頭を歩くアンマが後ろを振り返りながら、ショーフェンに話しかけた。
「私、自慢じゃないけど、お客さんが考えていることがだいたいわかるんだよ。だから、どんな言葉を掛けてあげればいいかって、ピンと頭に浮かんでくるの」
「そりゃ、すげえ。つまり、相手の考えが読めるってことか」
「そんな大層なものじゃないよ。商売するときだけよ。つまり、お客さんがお店に並ぶ時って、何か欲しいものあるからでしょう。だから、何に目を向けているかとか、表情とか見ると、この人、これが欲しいんだなとか、ちょっと高いなって思ってるとか、なんとなく分かっちゃうのよ」
「そうか、確かに俺も薬の卸商人たちと話すと、どんな薬草に関心がありそうか、だいたい分かるからな。似たようなもんかな」
「そうそう、でも、それはお客さんだけで、例えば、ロセイが考えていることはちっともわからない」
ショーフェンはそう言うと、後ろを歩いていた俺に話しかけてきた。
「ねえ、ロセイ、どうして、こんなに荷物が少ないの? いくら先発隊でももう少し持っていけばいいじゃない。試供品だって、たくさんあった方がいいでしょう」
確かにショーフェンの言うとおり、今回持っていく塩は、藁袋二つ分のみで、決して多くはなかった。
俺の隣を歩く、ハンセイが手綱を引く牛の背の両脇に、岩塩を詰めた藁袋が二つぶら下げてあったが、あと四袋加えても、牛にとってはどうということのない量であった。
俺は、ショーフェンに訳を説明しようとしたが、不意にハンセイが叫んだ。
「ロセイ! 北の方で砂塵が巻き起こっている、何者かがこちらに近づいている。もしかして、馬賊かもしれない!」
「やはりか、リシンの言ったとおりだな……みんな、一か所に固まれ。俺が話すから、みんなは大人しくしていればいい」ロセイはそういうと、砂塵の方に目をやった。
トンキンとキョショウの間で荷を運搬する際に、馬賊に襲われる可能性は想定していた。インは治安が悪く、また中央の統制も弱まっているため、至る所で馬賊が現れ、略奪が横行していた。果ては、北部では小さな街を襲撃し、もはや無政府状態だという話も伝わっており、もはや群盗の類というより、政府に対する反乱軍的な様相を呈していた。まして今年は、全国的な凶作であり、比較的治安が良かったこの東部でも馬賊が出没しはじめ、その情報はトンキンにも入っていた。
ロセイとリシンと馬賊に襲われる危険性を考えて、本格的な運搬を開始する際には、民兵を組織しなければならないと考えていた。そうしたことから、先発隊の荷は極力少なくして、金も持たせず、最悪の場合、奪われても構わないという腹積もりで、出発したのだった。
「とまれ! 貴様らには悪いが運んでいるものは我々がもらい受ける!」
馬賊の集団が俺たちを取り囲んだ。
全部で12人。全員が馬に乗り、腰には刀をぶらさげていた。
俺は、一歩前に出ると、リーダーと思しき男に向かって話しかけた。
「我々が運んでいるものは、ただの塩です。」
「塩だと」
「ご覧のとおり。藁袋二つ分の塩です」
俺はそういうと、藁袋から塩を出して、馬賊たちに見せた。
馬賊たちは、積み荷がただの塩だと聞くと、ひどくがっかりしたようであった。
「お前ら、たったこれっぽっちの塩を運んでなんとするのだ」
「キョショウで塩を売ろうと思っているのですが、試しにトンキンの塩の良さを分かってもらおうと思って、少しばかり持って来たのです」
「塩などキョショウに行けば、いくらでも売ってる。わざわざ、人手をかけてキョショウまで運んで商売になるというのか」
「私は、この塩の売買をトンキンの大きな産業にしたいと思っています。ですので、今、トンキンの町全体で、この塩事業に取り組んでおります」
「ほお、そんなことを考える人間がいるのか。だが、よく太守が許したな」
「太守とは、冬至の日までに成功の目途がたったら、この事業を認めてくださると、約束をいただいております」
「失敗したらどうなる」
「……私の首をはねて、今年の税は7割にすると……」
低い声で答えると、馬上の男が笑い出した。
「馬鹿か、貴様! くだらん、くだらなすぎる! 貴様は、あの太守を信じているのか、あいつが本当に約束を守るとでも本当に思っているのか。トンキンの太守のブジンと言えば、もともとは金貸しで、あこぎな商売でのし上がり、今度は、その金を賄賂に使って、太守にまで成り上がり、至る所で、民から搾り取ってきた正真正銘の糞野郎だぞ。そんな奴を相手に真面目に商売して約束を守ってもらおうなんて、甘っちょろすぎて、涙が出るわ。どうせやるなら、俺たち紅天会のように、奴らに戦いを挑んで、こっちが王となればいい。強く優れたものが王になる。これがこの世の道理というものだ。俺たちはその目的のために今、国中で仲間を増やして、政府と戦っている。まあ、いいわ。お前たちは勝手にするがいい。今日のところは、とんだ笑い話を聞かせてもらったということで見逃してやる。どうせ、貴様はあと2か月のほどの命だ。さっさとトンキンへ帰って、冬至の日に備えて首でも洗っとくんだな」
「紅天会と言えば……北の街を占領したっていう、あの……」
後ろの方でアンマが、震える声で呟いた
「ふん、そうだ、その紅天会だ。そして、俺の名はカイサク。紅天会の首領、天公将軍からこの東部一帯を任された、紅天会の歳殺天、カイサクとは俺のことだ」
「お待ちを、あなたがカイサクですか、お名前は聞き及んでおります。ですが、一つだけ言わせてください。」
「おい、やめろよ……」
アンマが後ろから低い声で俺の袖を引っ張ったが、俺は言葉を続けた。
「強く優れたものが王になる、それが世の道理……確かにそのとおりでしょう。ですが、仮に戦に勝ってあなたがたが王になったとしても、民の暮らしをよくすることはできますまい」
「なんだと……」
カイサクの目がぎょろりと光った。
「なぜなら、あなたたち馬賊も、民から略奪しているではありませんか、太守と貴方がた、私から言えば、どちらも民衆にとって迷惑な存在に過ぎません」
「ほお、俺様に向かって、よくもそんな口がきけたものだな……」
「これは長い歴史が教えてることです。紅天会の首領がどのような考えをもって動いているのか知りませんが、民を犠牲にして成り立つ国は一つとしてありません」
「貴様! 俺のことならともかく、天公将軍を愚弄するか! 許せん、斬り捨ててくれる!」
カイサクはそう言うと、馬を飛び降り、刀を振り上げて俺の前に迫った。その刀が今にも振り下ろされん、その時だった。
「お待ちを!」
その声と共に、ショーフェンが俺の前に走ってきた。
「お待ちを、この人の無礼な言葉は謝ります。ですが、この人を殺さないでください。この人は、トンキンの人々の希望を背負っているんです。この人が死んだら、トンキンの住民は悲嘆にくれ、この冬を乗り越えることもできなくなるでしょう」
ショーフェンは、自分の背丈の倍はありそうなカイサク相手に、たじろぎもせず言い放った。すると、ショーフェンの言葉を聞いたハンサイも俺の前に走ってきた。
「ショーフェンの言うとおりです。太守がどんな人間であるかは私たちトンキンの民も良く知っております。ですから、太守が約束を違えるようなことは絶対にさせないようにするつもりです。トンキンの民は、自分たちの街は自分たちで守ると誓いました。どうか、そのトンキンの民を信じてください。トンキンの民が信じたこのロセイという人を信じてください」
旅に出てからほとんどしゃべらなかった、口下手なハンサイが堂々と喋っていた。
刀を振り上げたカイサクは、そのまま動かなったが、その目はギラギラと光っていた。
「……ロセイとか言ったか。貴様、何のために、これをやる。自分の命を賭してまで、なんのためにこれをやろうとしている」
「世界を変えたい。ただそれだけです」
「……世界を変えるだと」
「この世に生まれた人間が、学び、働き、憩い、家族を持ち、そして、自分のやりたいことができる。一生を終える時に、この世に生まれて良かったと心の底から言える、そんな世界を作りたいと思っているだけです」
カイサクは、そのまましばらく刀を振り上げたまま、じっと俺を睨んでいたが、ほおと息を吐くとようやく刀を下した。
「ロセイ、命拾いしたな。このものたちに免じて、今日のところは許してやる。それに、お前のやることに興味が湧いてきた。貴様がいう世界がどんなものかもな。だが、一つだけ言っておいてやる。
『価値あるものを生み出そうとするときには血でもって贖わなければならない。新しい価値を示す文字は、血でもって書かれなければならない。なぜなら、我々は想像を絶する苦しみを経て獲得したものでなければ、その価値の尊さを真に認識できないからだ』
これは我らが首領、天公将軍が常々仰っている言葉だ。貴様が世界を変えるために修羅の道を歩けるか、それをとくと見てやろう」
それだけ言うと、カイサクと馬賊の一団は、元来た道を走り去っていった。
俺たちは、その後姿をしばらくの間、ずっと眺めていた。




