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トンキンの人々

 トンキンでは、収穫の時期を迎えていた。

 至る所で、家族総出で、忙しそうに稲刈り作業に立ち働いていた。ただ、黄金色の稲穂があると思えば、茶色や白色に染まった稲穂もあり、ショーフェンが言っていたとおり、今年の作柄は決して良いとは思えなかった。よく見れば、農業作業にあたる人々の顔にも喜びの色はなく、皆、不安が入り混じった顔で黙々と作業を行っていた。

 俺とトングは、街の集会所に向かって歩いていた。

 太守との交渉結果を伝えるとともに、街の人たちの協力を求めるためだった。

「トング、この前、ショーフェンがダイデイという神が怒っているから、作物が育たたないんだと言っていたが、それは本当か」

 俺は稲刈りの様子を眺めながら、トングに尋ねた。

「ああ、そのとおりだ。ダイデイは、豊穣をもたらす大地の神だが、恐ろしい神でもある。私たちは、昔から、その年に取れた一番上等なものをダイデイに供えて、翌年の豊作を祈る。だが、昨年は、豊作であったにも関わらず、太守が出し惜しんだために、ダイデイが怒ってな。それで、こんなことになってしまったんだ」

「結局、あの太守のせいか。そのくせ、足りないからもっと寄こせとはな。本当にがめつい野郎だ……だが、そのダイデイという神は、いったい、どんな姿をしているんだ」

「ダイデイの姿を見たものはいない。儀式が始まると、大地が揺れ、空が暗くなり、地下から恐ろしい声で話しかけてくる」

「姿を見てはいないんだな。それじゃ、本当に存在するのか分からないじゃないか」

 俺は、別な世界にいるとはいえ、まだ神がこの世にいるという事実を疑っていた。

「ロセイよ、ダイデイは存在する。ダイデイは太古から、この世界を支配している。いわば、この世界の創造主と言ってもいい。大地と海を創造し、火と風を生み出した。そして、動物たち、植物たちを創り、最後に人間を創ったのだ。ダイデイは人間の運命をも支配し、必要とあらば、人間を滅ぼすこともできる」

 トングは厳かに言った。俺は、トングの真剣な面持ちをみて、それ以上、問うのをやめた。本当に存在するなら、きっと会えるだろうし、もし、そんな存在がいるのだとしたら、自分がこの世界に生き返った理由も知っているに違いない。そして、俺の本当の名前も。



「みんな、事情は今、話した通りだ。太守は、このロセイに、塩の専売事業を認めた。結果さえだせば、今年の上納も収穫の5割でいいといった。お願いだ、なんとか、このロセイに協力してやってくれないか!」

 トングは、集会所に集まってもらった街の顔役たちに訴えるように言った。

 だが、顔役たちの反応は鈍かった。

「トング、お前はいいやつだから、お前の言葉を信じたいところだが……」

 そういうと、クマのような図体のでかい大男は俺に疑いぶかそうな眼を向けて言った。

「だが、俺たちは、このロセイという奴のことを知らん。こいつが行き倒れて、お前の家で世話になっているということは知っているが、どこから来たのか、何をしてきたのか何も知らん、そんな男を簡単に信用しろと言っても、土台無理な話だ。まして、もしこいつが失敗したら、上納は7割にされちまうという。そんなことになったら、ここにいるものは全員、飢え死にしちまう」

「ハンカイの言うとおりだ。そもそも塩の専売なんて、ものになるわけない。俺たちは、あの山に行けば、塩は好き放題とれる。勝手に取っていかれちゃ、どうにもならん。それに、遠くに持って行きゃ、そりゃ銭を出して買いたいってやつはいるが、そんな街に行くには、歩いても一週間はかかる。しかも、人が運んでいける量なんて限られている。そんな無駄な商売する奴はいねえよ」

 ハンカイと呼ばれた大男の隣に座っていた目が鋭い男が、吐き捨てるように言った。

「リシンの言う通りだ!」

「無理に決まってる」

「こんな男のことを信じられるか」

 リシンと呼ばれた男の周りにいた連中が口々に文句を言った。

 すると、ハンカイとリシンに挟まれて座っていた七十に手が届こうかという老人が、沈んだ声で話し始めた。

「トング、お前は正直者で、これまでも顔役として街の発展に尽くしてきた。お前が嘘をつく男でないことは、儂もよく知っている。だから、ハンカイの言う通り、儂もお前を信じたいのだが、このロセイという男をお前と同じようには信じられんのじゃ。まして、これは、街の生き死にがかかっている。悪いが、この話はなかったことにしよう……太守のご命令どおり、コメは6割出そう」

「ヤンクン、こんな不作の年に6割も出したら、この冬持ちこたえられません。食べられなければ、体を壊す者も出てきます。蓄えが少ないものの中には飢え死にする奴だって出てくるかもしれない」

 トングはヤンクンと呼ばれた老人に向かって、哀願するように言った。

「その時は、皆で協力し合って、なんとか乗り切るしかない。みんな、これまでだって、苦しいことはたくさんあった。その時もなんとか耐えてきたんだ。それに太守に逆らえば、もっとひどいことになってしまう。儂たちはしがない農民に生まれついたんだ。それがダイデイが定めた運命なんだ。じっと耐えるしかないんだよ……」

 ヤンクンが言い終わると、部屋にいた全員が、重苦しい雰囲気の中で黙り込んでしまった。


 

「本当にそれでいいんですか?」

 俺はずっと黙ったまま場の成り行きを見つめていたが、ヤンクンの言葉に、思わず口が出た。

 みんなの目が俺に向いた。

 俺は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、周りの人たちを見渡した。

 どの顔も、何か諦めきったような暗い顔をしていた。俺は、彼らに向かってしゃべり始めた。

「みんなが、俺を信じられないと思うのは当然だ。俺だって、いきなり見ず知らずの人間の言葉を簡単には信じないし、そんな奴に、自分の運命を預けようとは思わない……だけど、敢えて言う。あんたたち、本当にこのままでいいのか。欲深な太守から無法な要求をされて、抗いもせず唯々諾々と従う、本当にそれでいいのか。この先も、こんな風にただ黙って耐え忍んで過ごしていくのか……そんな未来に何の希望があっていうんだ。俺という人間が信じられないのは分かるが、俺がこれから言うことを心をまっさらにして聞いて欲しい」

 俺は、一旦、言葉を切って、みんなの顔をもう一度見渡した。そして再び語り始めた。

「俺の生まれた国でも農業はある。だがその農業も、どんどん分業化し始めている。コメを作るもの、野菜を作るもの、牛を飼うもの、そして、取れた作物を加工するもの、運ぶもの、それを商品として売るもの。そうすることにって、作業は効率化され、農業に掛ける時間は短くなった。その分、別な作業に従事するものたちが増えて、包丁や茶わん、皿や鍋や、いろんなものが豊富に安価に作られるようになった。そして、人の暮らしは見違えるように豊かになった。人々は、週に一日や二日は完全に仕事を忘れ、自分の好きなことをする時間を持てるようになった。旅をしたり、本を読んだり、一日中寝ていたり、そんなことができるようになったんだ。これは、夢物語じゃなく、現実の話だ。俺はそんな国に生まれ、そんな社会の中で生きてきたんだ。だけど、これは別に特別なことじゃない、ほんのちょっと、やり方と考え方を変えただけなんだ、つまり、この国でもできることなんだ。

 もしかしたら、一度ではうまくいかないかもしれない。だが、二度、三度と挑戦すれば、確実に知識が増えて、成功する確率は高くなる。肝心なことは、誰かが初めの一歩を踏み出すことなんだ。そうしてできた道に、大勢の人が続いていくんだ。そうやって、未来ってのは少しづつ開いていくんだ」

 いつの間にか、体が汗ばむように熱くなっていた。それは、俺自身の中から吹き出る熱だった。俺の心が燃えてできた熱だった。

「この街には多くの人間がいる。力が強いもの、計算ができるもの、足が速いもの、獣の扱いがうまいもの、外から生まれてこの街に住み着いたものもいるだろう、年中諸国を回って、いろんなことを知っている奴もいるだろう。これだけの人間がいれば、できないことなんてないんだ。みんなの気持ちが一つになれば、なんだってできるんだ」

 俺の熱が、少しづつ感染したのだろうか、さっきまで部屋のなかを占めていた重苦しい空気はいつの間にか消えていた。

「……だが、あんたには、たった一度のチャンスしかない。冬至までに結果を出さなきゃ、晒し首にされるそうじゃないか」

 リシンがボソッと言った。

「リシン、お前の言う通り、この事業を成功させるためには、規則を定め、街の人々であっても塩を勝手に取ることをやめなければならない。みんなが力を併せて、岩を砕き、たくさんの塩を掘り出さなきゃいけない、それを遠くの街まで運ばなきゃいけない、そして、商売をするなら店もつくらないといけない。でもそれって、俺たちには到底できないことか。塩を採掘するのは、みんなやってる、大きな荷物を運搬するなら牛がいる。店は市場にたくさんあって、この中には市場で店を出している人もいる。必要なものは全部、揃っているんだ。肝心なことは、人々をうまく差配して、水車のようにずっと回していけるようにすることなんだ」

 俺は最後の言葉を発すると、みんなの顔を見渡して、あとは口を閉じた。言うべきことは言った。決めるのは、彼らだ。言われたからやるんじゃない。自分たちがやろうと思うからこそ、前に進めるんだ。この事業の成否を握る鍵は、それ一つだと思っていた。

 しばらくみんな黙っていた。

 すると、ふいに、リシンが言った。

「いいじゃねえか。こいつに掛けてみようぜ。それによ、今年6割にするのを許したら、あの太守は来年もその次も、ずっと6割にするってきっというぜ、そんなのはまっぴらごめんだ。それに6割取られるのも7割取られるのも同じことだ。どっちにしたって、この冬越すのは難しいってことに変わりはない。別にこいつのことを信じたわけじゃないが、こいつの言う通り、二度三度やれば、やり方はつかめる。こういう話を聞けば、どうせ、いつか誰かがそれをやるだろう。だったら、今やったって、ちっとも構わねえ、そう思わねえか」

 リシンの声を合図に、至る所で会話が聞こえてきた。

 そうだというもの、難しいというもの、人々の意見は様々だったが、その声音には悲壮感はなかった。みんなが真剣に考えていた。もはや、部屋中が熱気に包まれて、暑いくらいになっていた。

「いいだろう、俺もこの男を信じよう。なにしろ、トング、あんたが連れてきた男だからな」

 ハンカイが立ち上がると、そのでかい図体をヤンクンに向けた。

「ヤンクン、どうだ、やってみねえか。あんなくだらねえ太守の言いなりになってたまるか。俺たちの未来は俺たちで決めようじゃねえか。街長はあんただ。あんたは俺が小さいころから長年、この街を守ってきてくれた。俺は太守の言うことを聞くつもりはねえ、あんたの言うことに従いたい」

 ヤンクンは、それまで目を閉じて、人々の言うことを黙って聞いていたが、ハンカイの言葉を聞き終わると、おずおずと目を開け、俺に向かって語り掛けてきた。

「ロセイ、あんたの目的はなんだ。あんたは何のために、これをやろうとしている。なんで自分の命を張る危険を冒してまで、見ず知らずの儂たちのために、こんなことをやる。その返事如何で儂も覚悟を決めよう」

「ヤンクン、それは俺が言いたいことだ。俺はロセイと名乗っているが、実のところ、本当の名を覚えていない。どうやってこの国に来たのかも分からない。だが、トングの娘のショーフェンが俺を助けてくれた。トングとヤオは、こんな俺をずっと家に置いてくれた。家族同然に扱ってくれた。俺はショーフェンに聞いたことがある。なんで、俺を助けてくれたんだって。そしたら、ショーフェンは、こう言ったよ。『困ってる人を見たら助けなきゃって思うのは当たり前じゃない』って。俺は、ショーフェンやトングたちのような善人じゃない。だけど、受けた恩義は返したい。それが、理由の一つだ」

 そう言って、みんなと一緒に俺の言葉を聞いているトングに小さく微笑んだ。

「でも、それだけじゃない。俺は自分の名前も覚えていないが、ただ、自分が何をしたかったかは覚えている。それは世界を変えることだ。世界は、大きい、とんでもなく大きい。たった一人で世界を変えるなんて、とても無理だ。でも、誰かが声を上げることで、人は考えるようになる。そうして、人は動き始め、同じ想いを持った人たちとつながり、大きな力となっていき、ついには世界を変えていくんだ。俺は世界を変えてみたい。俺が知っている知識によって、人が豊かになる可能性があるなら、それを使って、世界を変えてみたいんだ。このトンキンという街、インという国、そして、その外に広がる世界を変えてみたいんだ」

ヤンクンは、嘘偽りがあったら決して許さないとばかりに俺の顔を睨み続けていたが、俺がしゃべり終わると、言葉を全身で味わうかのように一呼吸置き、今度は自分がしゃべり始めた。

「儂は恥ずかしい。街長として今回のことに何の手も打てなかったことを恥ずかしく思う。本来ならば、儂が太守と話をして、なんとしても思いとどまらせるべきであった……自分ではそんな風に考えたことはなかったが、いつの間にか儂も年老いて、もめ事から目を逸らし、降りかかる災難はじっと耐え忍ぼうというひ弱な心持ちなってしまったようだ。だが、今日このロセイの話を聞いて、はっきりと目が覚めた。トンキンを守るのは、太守ではない。このトンキンに住む我々だ、儂たちの子どもたちのためにも、儂たちがトンキンを守っていきゃなきゃならんのだ。そのために必要とあれば、儂たちも変わっていかなきゃならん。街を豊かにできる方策があるというなら、やってみよう。みんな、ロセイのいう事業に協力しようじゃないか。そしてみんなで一緒になって、トンキンのために自分が何ができるかじっくり考えていこうじゃないか」

 ヤンクンの言葉に、部屋にいるもの全員が、所狭しと手を振り上げながら、応、応と、承諾の意を込めた言葉を叫んでいた。その割れんばかりの喝采の中で、俺は、ヤンクンと固く手を握った。

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