第二話 童行者
教授たちが見つけた木像だが、そこに彫られた出来事は、千年と少し前、本当に起きていた。
あるところに、観音丸という高名な童行者がいた。
高結びにした髪を後ろに垂らし、袖抜きの白衣、裾の短い緋袴を着用し、胴丸形式の鎧をまとっていた。
事が起これば、薙刀片手に獅子奮迅の八面六臂。
その法力で、宙すら駆け抜け、人々の病を癒して回る。
凛々しくも神々しい姿に、人々は自然と観音丸を神仏の化身と崇めた。
そんな観音丸が今、途方に暮れている。
「どうしよう、これ」
思わず呟いた。
いかな神仏の化身であろうとも、どうにもならぬことはある。
ことに、その相手が人智を超える存在なら、なおさらだった。
観音丸の傍では、彫像職人の天誅が、正座をし、両手を高々と上げてから地に伏す動作を繰り返している。
「か、観音丸よう、これ本当に善徹さんか?」
「そのようだね」
彼らの目の前には、タコと人間を掛け合わせたような姿の巨大な存在がいた。
一歩足を踏み出せば、大気が激しく揺れ動き、轟音と共に稲妻が走る。
殺気などという言葉では収まらない、身も心も震え上がらせる圧迫感が、そこにあった。
寺もなければ、山もない。
ここは、先ほどまで自分たちがいた場所ではない。
あたり一面、星々が漂う夜空のような空間だ。
逃げ道は見当たらない。
久谷度善徹。
二人がそう呼んでいた人物は、寺を訪れた遊行僧だった。
穏やかで、声を荒らげることもなく、困った者を見れば黙って手を差し伸べる。
少なくとも、つい先ほどまではそうだった。
「怒ってるよな」
天誅は、切羽詰まった声で、観音丸に聞いた。
健脚壮健とはいえ、五体投地を繰り返せば、腰の限界も見え始める。
「怒っているね」
観音丸は感情が抜けた声で答えた。
天誅は念を押すように言った。
「ものすごく怒ってるよな」
「そうだね」
声からは、観音丸の感情は見えない。
謝り倒すなら、一人より二人の方が良い。そう信じる天誅は、観音丸を説得した。
「何で怒られているのか分からないが、ひとまずそれは置いとこう。まずは、お許しを願おう。な?」
観音丸からの答えはない。
答えがないので、横目で観音丸を見た。
天誅は、顔を引きつらせた。
決意を固めた表情の観音丸がそこにいた。
「まさか、お前、やり合う気か?」
胴丸形式の鎧を着込み、手にした薙刀を構えて、目の前の存在と対峙する姿は、堂々たる勇士そのものだった。
だが天誅の脳裏に浮かんだのは、蟷螂の斧という言葉であった。
その時である。
「観音丸とやら」
野太い声が、大気を震わせた。
それは目の前の存在が発したものに違いない。
「我が娘を、何に捧げるつもりであった?」
「はっ?」
間の抜けた声をあげたのは、天誅であった。
地に伏す運動が止まり、思わず観音丸を見やる。
観音丸は、涼やかな声で答えた。
「知れたこと。この世をお救い下さる我らが神へ!」
天誅は悟った。観音丸は、何か良からぬことを企んでいたのだ。
正義は目の前の巨大な存在にあった。
そう思う間もあらばこそ、観音丸が手にした薙刀が、爛爛と輝き始めた。
「とぁ!」
薙刀が光の棒へと変じると、観音丸はそれを巨大な存在へ投げつけた。
見たこともない閃光と、凄まじい破裂音が響き、周囲は目も眩むほどの光の奔流に包まれた。
光が弱まり視界が戻る。
だが、相手は何事もなかったかのように、観音丸を見下ろしていた。
巨大な頭部から伸びた八本の腕を、ゆらゆらと揺らしている。
「まあ、こうなるよね。分かってたさ。せいぜい美味しく食べてね」
そう言うが早いか、観音丸は腰から小刀を引き抜くと、鎧の左右の高紐を切り離した。
野太い大音声が、慌てたようにそれに続く。
「成敗!」
八本の腕が一斉に伸びると、観音丸の胴、腕、脚へ絡みつき、その身体を宙へと引き上げた。
その拍子に胴丸がずれる。
胸元が露わになると、観音丸は、迷うことなく、自らの胸へと小刀を突き立てた。
巨大な存在の口へと観音丸が引き込まれると、次には、もきゅ、もきゅ、ばり、ごり……不気味な咀嚼音が辺りを満たし始めた。
天誅は、この一連の出来事を、ただ茫然と眺めることしかできなかった。
永遠に続くかと思われた咀嚼音が止まる。
「むぅ、空っぽであったか。なんと手際の良い……」
野太い声が、残念そうに響いた。
そして、ぬぅっと、天誅へと巨体が近づく。
頭上から視線を感じた天誅は、恐怖から背筋が伸びた。
「天誅とやら。お主は、最近、像を彫り上げたな?」
「はい!」
天誅は直立不動の姿勢を崩さずに答えた。
「ここに持ってきているだろう。見せよ」
「はい!」
天誅は、懐から美しい女神像を取り出した。
今日、観音丸が設えた祭壇に据える予定だったのだ。
自信作だ、本当は手放したくない。
頭の上から叱責が飛ぶ。
「素手で触るな!」
「申し訳ございません!」
存在は、女神像を受け取ると、愛おしげに眺めた。
「いい出来だ。これは我が娘の像だ。貰っていくぞ」
「はい! 御心のままに!」
自信作より命の方が大切だ。
頭の上から、波のようなものを感じる。
天誅は、巨大な頭が頷いているのを想像して少し安堵した。
「よろしい。ならば一つ頼まれてくれ」
「はい! 何なりと!」
断ったら死ぬ。天誅は、そう確信していた。
「我が、あの不埒者を成敗した姿を像に彫れ。顕彰の像として後世に残すのだ。あの不埒者が作った祭壇を潰して、その上に据えよ」
「御意!」




