第一話 海女の珠取?
「なんだ、これは?」
懐中電灯で照らし出されたそれを見て、瀞具教授は驚嘆した。
石組みの壇の上に、大きな像が据えられている。
一見したところ、タコを象ったものらしい。
「うわぁ、って、なんです、これ?」
教授の後に控えていた、助手の揺木野が驚いて叫ぶと、その声が周囲の石壁に木霊した。
教授はそれには構わず、像に懐中電灯の光を滑らせた。
「木像だな」
教授はそう言うと、木像に近づき、さらに観察した。
そして呟いた。
「驚いたな、まるで腐っとらん」
調査員たちも集まってきた。
「高さは、二メートルほど。横幅は、三メートル近く。漆は塗られておらん」
異様なほど生々しい。
その造形は、タコと人が融合したような巨大な存在が、頭から生えた八本の腕で一人の人間を絡め取り、今にも口に運ばんとしているものだった。
絡め取られた人間は、胴丸形式の鎧を着込んでいる。
だが、肩を吊る高紐は切れ、鎧はずり落ちかけていた。
そして、その人間の姿形は、妙に美しい。
高く結んだ髪が後ろへなびき、袖を抜いた衣と裾の短い袴が、鎧の下で乱れている。
しかし、その人物は自分の胸に小刀を突き刺していた。
「題材は、海女の珠取か」
教授の独り言に、助手が首を傾げた。
「海女の珠取? どんな話ですか」
教授は嬉々として答えた。
「竜王に奪われた宝珠を取り返すために、海女が海中へ潜る説話だ。追われた海女は、自分の胸を切り裂いて珠を隠し、命綱を引かせて引き上げられる」
教授は像の胸元を指差した。
「ほれ、胸に小刀を突き立てておる。珠を隠さんとする場面だ。この像は、海中での最後の戦いだろうな」
助手は眉間に皺を寄せて、まじまじと教授を見た。
「海の中ですよね? 鎧なんか着ますかね」
教授はやれやれと首を振る。
「それで勇ましさを表現したのだろう。想像力を働かせたまえ」
助手は顔を顰めて、木像へ視線を移した。
「世間受けしそうな話ですね」
「うむ、江戸期には大いに流行った題材だ。しかし、この木像の真に迫る描写力。これは明治あたりの作品であろうな」
改めて助手は、教授を見た。
「ここ、平安期に廃寺になった山寺の跡ですよ?」
教授は再びやれやれと首を振り、助手を見やった。
「考古学というのは、先入観で物を言ってはいかん学問だ」
「へっ? いや、その」
「これが平安期の作品に見えるかね? 後世にここへ運び込まれたのであろう」
この発掘事業は、話題になった。
報道機関は、千年の昔に遺跡と化した山寺の地下から、近代彫刻の傑作が発掘されたと盛んに報じた。
世間の注目が集まったところで、地元の市民センターで公開対談が行われた。
「これは平安中期の作品に間違いないでしょう」
美術の専門家は、そう告げた。
「天が誅すると書いて、タカタダと読むんですが、その職人の作品ですね。作風がよく出ています」
教授は驚いて聞き返した。
「はて? 聞いたこともない人物ですが」
美術の専門家は、こともなげに返した。
「ええ、有名な人物ではありませんからね。代表作と呼べるような作品は残っていません」
「こんな近代的な造形を平安期に残しているのに、ですか?」
「作品は精緻なんですがね。この人物は、四天王などが踏んづけている邪鬼や、怪物の像ぐらいしか、作品を残していないのです」
その数日後には、木像の分析結果が出た。
年代測定も、構造も、加工痕も、平安中期の制作であることを示していた。おまけに像の台座の隅に『天誅』と墨書までされていた。
教授の木像明治期制作説は、完全に崩れ去った。
教授は自分の研究室で、その報告書を読んだ。
そして、呟いた。
「だとするなら、実に興味深い」
傍にいた助手が反応した。
「何がです?」
「海女の珠取という説話が定着したのは鎌倉以降だ。ところが、この像は平安中期。数百年も前に作られている」
「木像が腐りもせずに健在だったのは、二の次なのですね?」
助手の皮肉を聞き流し、教授は続けた。
「しかも、あの山寺は、伝承発祥のK県から遠く離れている」
そう言った瞬間、教授は手を叩いた。
「そうか! こちらが原型だったのか!」
「原型? ですか」
「元になる伝承はあの山寺周辺にあったのだ。平安中期に物語が完成し、K県へと伝わったのだ」
発見されたあの木像は、確かな物証になり得るのではないか?
思わず助手は納得してしまった。
気を良くした教授は、論文的な何かを執筆し始めた。
そんな文書が、K県の郷土史家の目に留まった。
彼は懇意の雑誌社を通じて、教授に対談を申し込んだ。
教授は快く応じ、二人は対面した。
「海の怪異に襲われ、胸に小刀を突き刺している人物とくれば、説話の海女でしょう」
教授はそう主張した。
だが、郷土史家は首を振った。
「違うでしょうな」
随分な物言いだと教授は思った。
「どこが違うと?」
「まず、この木像には宝珠が見当たりません」
郷土史家は、写真を見ながら、穏やかに続けた。
「説話の海女が胸を切るのは、珠を隠すためです。隠すべき珠がなければ、話が成立しません」
「構図の収まりが悪いからと、省略されたのでは?」
「まさか。一番重要なアイテムですよ。それに、命綱もつけていませんね」
「む……」
教授は言葉を詰まらせた。
「海女は帰還のための備えをして、海へ潜っています。ところが、この人物には、それらしいものがない」
郷土史家は、木像の写真を指差した。
「怪異に捕まっている。宝珠もない。逃げる手段もない。そして、自分の胸に小刀を突き立てている」
それは改めて指摘されるまでもない。
何が言いたい?
「つまり?」
「食われる前に自裁したのでしょう」
教授は思った。
宝珠を持ち帰る前に自裁となれば、海女の珠取の説話は成り立たぬ。
海女説を維持するには、多少なりとも修正が必要かもしれない。
「では、あの木像の題材は……」
「分かりません」
郷土史家はそう答え、写真の中の、鎧を着た人物を指差した。
「少なくとも、海女の珠取ではないでしょうな。だいたい……」
一呼吸置いた。
「鎧を着込んで、海に潜る人間はいないでしょう」
教授は返す言葉を失った。




