傷心の聖下と、悪霊払いを用意する騎士
皆さん、お久しぶりです! 約二ヶ月もの間、更新をお待たせしてしまって本当にごめんなさい……!
待っていてくださった皆さんへのお詫びと感謝の気持ちを込めて、今回は2話同時に更新しちゃいます!
物語が一気に動き出しますので、ぜひ第9話も続けて楽しんでいただけると嬉しいです。これからも応援よろしくお願いします!
一方、王都を急速度で離れていく聖なる馬車の中。車内の空気は、劇場の悲劇よりも哀れで、喜劇よりも滑稽極まりないものだった。
ロワンは力なく背もたれに体を預けていた。突如として襲ってきた偏頭痛に、右手の指でこめかみを強く揉みほぐす。
あの忘れもしない出会いの日以来、ロワンは陰ながらアリーシアのあらゆる情報を調べ尽くし、ついにその王女の性格のすべてを把握するに至った。
アリーシアという少女は、無鉄砲で、計算高く、そして汚い場所を何よりも嫌う。
それなのに、なぜ今、彼女は跡形もなく消えてしまったのか?!
(どこにいるんだ、シア? 何か問題があるなら、なぜ僕の元へ逃げてきてくれなかったんだ……)
ロワンは心の中で、狂おしいほどの不安に苛まれていた。
昔からロワンは、皇帝がアリーシアを激しく叱責するその残酷な光景を、誰よりも陰から目撃してきた。
だからこそ、アリーシアが身を守るために弄するあらゆる「狡猾な企み」を最も理解し、受け入れてきた唯一の理解者であり、その秘密を外界から完全に隠し通してきたのだ。
たとえアリーシアに冷たくあしらわれ、無視されようとも、ロワンは一向に気に留めなかった。ただひたすらに彼女を見つめ、その王女の抱える痛みに寄り添い続けた。
それもすべて……彼が密かに、その少女に恋い焦がれていたからだ。
そう、世間から「純潔の象徴」として崇め奉られている聖下(大教皇)は、自分を拒み続ける少女に対して、許されざる禁断の情愛を抱いていたのである。
不運なことに、教会の「聖潔」という立場が彼の口を固く閉ざさせ、アリーシアの前では冷徹で神聖な聖職者を演じることを余儀なくさせていた。
先ほどスラム街で繰り広げた捜索を思い返し、ロワンは内心で忌々しげに悪態をつく。
(クソッ、あのソーセージ臭い生魚のような物乞いのせいで、完全に集中力が削がれた!)
彼は微塵も気づいていなかった。先ほど自分が「罪」について説教を垂れ、金貨を一枚恵み、挙げ句の果てには地下牢にぶち込んでやると脅しつけたあの「忌々しい物乞い」の正体が、他ならぬアリーシア――彼自身の初恋の相手だということに。
若き聖下は、古着の放つカビ臭さと安物の焼きソーセージのスパイスという最悪のコンボに嗅覚を狂わされ、幼馴染の顔を見落とすという痛恨のミスを犯したのだった。
トントン!
馬車の窓が外から叩かれ、傷心のロワンの感傷的な妄想は無残にも打ち砕かれた。腹心の騎士、ルーカスが馬を寄せ、窓と並走しながら声を上げてくる。
「報告いたします、大教皇聖下。市場の物乞いに対し、聖下からの『投獄の脅し』をしっかりと伝えてまいりました!」
ルーカスは忠誠心に満ちた顔でそう告げた。
「……うむ、大義であった」
ロワンはできる限り威厳を保ち、平然とした表情を装おうとする。
「我々の今の焦点は――」
「あの……お言葉を遮る無礼をお許しください、聖下」
青ざめた顔のルーカスが、恐る恐る割り込んできた。
「ベネディクトゥス大司教より、先ほど『魔法通信』が届きました。聖下におかれましては、今すぐ……ただちに北方の国境にある大聖堂の祭壇を祝福するため、現地へ出発せよとのことです。我々は今この瞬間から、進路を反転させねばなりません」
――ドクン。
まさに青天の霹靂。ロワンの保っていた信仰の防壁と、聖職者としての冷静沈着さは、一瞬にして音を立てて崩れ去った。
「北方だと?! 今すぐ、だと?!」
ロワンは思わず悲鳴のような声を上げた。その声は裏返り、およそ神聖さとはかけ離れたものだった。
「ならば、アリーシアはどうなる?! あのキリアンの野郎に誘拐されるか、森で迷子にでもなったらどうするんだ!」
「し、しかし、これは教会評議会の絶対命令でございます、聖下……」
ロワンの周囲の「神聖なオーラ」が、瞬時にドス黒い「怨念のオーラ」へと変貌していくのを見て、ルーカスは恐怖に身を縮めた。
ロワンは任務の羊皮紙を、原型を留めないほどにクシャクシャに握りつぶした。今すぐ馬車の隅っこで膝を抱えて、大声を上げて泣き叫びたい気分だった。
命がけで片想いしている幼馴染が絶賛逃亡中だというのに、教会評議会は自分に一週間もの地方出張(地方ドサまわり)を命じるというのか?!
自分が不在の間、あの忌々しい公爵、キリアンの奴が先にアリーシアを見つけ出し、弱みに付け込んでいいところを持っていったらどうする?!
「……クソッタレが」
ロワンは低く毒づいた。神聖なる馬車の中で悪態をついた天罰が当たるのを恐れながらも、その瞳には悔し涙がじわりと浮かんでいた。
それを耳にしたルーカスは激しい衝撃を受けた。あの若き大教皇が、あろうことか女への未練でメンヘラになり、ブチ切れて罵り言葉を吐いたのだ。
「北へのルートを取れ。……出発だ」
結局、ロワンは力ない声でそう命じた。教会という巨大ブラック企業の社畜としての悲しい宿命に、彼は屈するしかなかった。
馬車は北方門へと急旋回する。車内では、ロワンが体育座りで愛おしそうにポケットの予備の金貨を見つめていた。その姿はまるで、最愛の伴侶に先立たれた悲劇の主人公のように虚無に満ちていた。
(シア……僕が戻るまで持ちこたえてくれ……)
ロワンは脳内で降りしきる『架空の霧雨』を見つめながら、ひどくメロドラマチックに呟いた。
(他の男に指一本触れさせるな。僕はすぐに、這ってでも戻るから……)
馬車の座席で、北方への出張任務という現実が、彼の脳内のメロドラマ的な妄想とぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。
脳内の『架空の霧雨』は、いつしか薔薇の花びらの嵐が舞い散る『神聖な光の輝き』へと昇華していた。
ロワンは目を閉じ、脳内でこの上なく美しい未来のシナリオを紡ぎ始める。
――妄想の中。彼は北方国境の、荘厳にして華麗な大聖堂の演壇に立っていた。しかし、一人ではない。彼の隣には、純白の穢れなきドレスを身にまとったアリーシアの姿があった。王女はどこまでも気品ある笑みを浮かべ、安心しきった様子でロワンの腕にその身を寄せてくる。
『見て、ロワン……私たちが施しを与えた孤児院の子供たちが、あんなに幸せそうに笑っているわ』
妄想のアリーシアは、絹のように滑らかな声で囁き、愛おしそうに前方の子供たちを見つめた。
『みんな私を「聖母」と呼んでくれる。これもすべて、いつも私に寄り添ってくれたあなたのおかげよ……』
妄想の中のロワンは、完全なる勝利の笑みを浮かべていた。教会の戒律など知るものかと、彼は燃え上がるような愛の眼差しでアリーシアを見つめ返す。
『これは始まりに過ぎないよ、シア。僕は。この聖なる祭壇を完成させ、神の御前で、君を世界一幸せな女にしてみせる――』
――バリィィィン! ドカァァァン!
突如として、そのロマンチックな妄想の中の大聖堂のステンドグラスが粉々に砕け散った。気品あふれるアリーシアの姿は一瞬で消え去り、代わりに不穏な黒煙が立ち込める。
そして、神聖なる祭壇の奥から、軍服を完璧に着崩し、公爵家の紋章を背負ったガタイのいい男が、この上なく不躾に飛び降りてきた。
キリアンだ。
その無表情な男は祭壇の上に傲然と立ち塞がり、氷のように冷徹なオーラでロワンを見下ろすと、低く響くバリトンボイスで致命的な皮肉を浴びせてきた。
『お恵みの最中に失礼するよ、大教皇。だが、あんたが脳内で抱きしめているその「聖母」とやらは……私の正式な「婚約者」ではなかったかな?』
キリアンは不遜な足取りで歩み寄る。それどころか、腕を組んでロワンをゴミを見るような目で見つめ、説教を垂れ始めたのだ。
『いやはや、実に見事な光景だ。世間から純潔の象徴と崇められている大教皇が、神の家の中で、他人の女を奪う不潔な妄想に脳みそを支配されているとは。あんたの信仰心は一体どこへ消えたんだ、神父さん?』
キリアンの言葉は、ロワンのみぞおちを短剣で抉るかのように鋭く突き刺さる。
『他人の婚約者を心配して恋い焦がれる暇があるなら、自分の「脳内姦淫」の罪を神に祈り、許しを請うておくんだな。目を覚ませ、聖職者。彼女は私のものだ。あんたのものではない』
「ああああああ!!! クソッタレ、キリアン!!! 僕の脳内から出ていけぇぇぇ!!!」
ロワンは疾走する馬車の中で、ついに我慢の限界を迎えてヒステリックに絶叫した。
――キキィィィィッ! ガッシャァァン!
外で馬を走らせていたルーカスは、心臓が飛び出るほどの衝撃を受けた。あまりの恐怖に手綱を激しく引き絞ったため、軍馬はパニックを起こしていななき、ルーカス自身も鞍から放り出されそうになる。
死人のように顔を引きつらせたルーカスは、即座に馬から飛び降りると、ロワンの乗る馬車の窓を狂ったように叩きつけた。
「大教皇聖下?! ご無事ですか?! なぜ今、キリアン公爵の名を叫ばれたのですか?!」
ルーカスは目を見開き、パニック状態で怒鳴り散らす。
ロワンが答える隙を与える間もなく、ルーカスは胸の前で電光石火の速さで何度も聖号(十字)を切り始めた。
「おお、神よ……! 教会のブラックな労働ストレスと嫉妬の悪霊が、ついに聖下の清らかな魂を蝕んでしまったというのですか?! 落ち着いてください、聖下! 今すぐ、頭の中の悪霊キリアンを調伏するため、最高位の『聖水』を準備いたします! 持ちこたえてください、教皇サマァァァ!!!」
車内でまだ肩で息をしていたロワンは、その場にカチコチに固まった。
恥ずかしさのあまり目元がピクピクと痙攣する。
今すぐ馬車の床板を突き破って、地球の裏側まで逃げ出したい気分だった。




